人志松本のツマミになる話で、究極のエンターテインメントはお笑いか、音楽かというのがあった。

松ちゃんはストリップと言っていたが、今年の元旦に書いたように色々混ざったものだと思う。

ひねくれた見方をすれば(基本的そういう見方しかしないけど)、究極でも完璧でも無いものがもしかたしたら正解かもしれない。

 

それはいつか考えるとして音楽は残るけど、お笑いは残らないという話になった。

それで思い出したのが料理の鉄人の全盛期に道場さんがゲスト出演した番組で芸術は残るけど、料理は残らないという話があった。

道場さんはむしろ「それが良い」と言われていた。

失敗しても食べて無くなるからと。

ケンタッキー・フライド・チキンのレシピのように永遠に残るものがあるので料理人も色々だ。

 

これをお笑いに当てはめると日本のお笑い史が見えて来る

 

第一期 江戸時代~

落語

 

これはラジオの時代が終わるまで続く

 

第二期 70年代~

ギャグ

 

ラジオから一家に一台のTVの時代になると、話という音声だけじゃなく動きがあるギャグの時代に入る

 

昨日の電波少年Wで抱きしめたいから日本オリジナルのドラマが始まったとあったけど、TV70年史と言ってもジャパンオリジナルになったのは80年代に入ったぐらいだ。

ただお笑い自体は江戸時代の落語とかその前の狂言とかそもそもジャパンオリジナルがある。

検索してみたらこの2つが一緒に何かやるとか。

落語の間に色々芸をやるのが寄席ではあるけど。

 

話を戻して第三期を考えると、今日のテーマである残す残さないを考えると天才松本人志という事になる。

なぜ天才なのかというと残そうとしたからだ。

落語だって古典は残るし、狂言も残る。

ケンタッキー・フライド・チキンと一緒でレシピが残っている。

それ以外の笑いを残そうという変態性が天才的だ。

その為の発想の転換は料理を作るのでは無く、盛り付ける皿を作るという事だった。

 

第三期 2004年~

システム

 

この年人志松本のすべらない話がスタートした。

すべらない話はさんま師匠の師匠笑福亭松之助から雑談をTVでやったらという提案で笑っていいともさんまのまんまの成功に繋がるけど、その雑談をDVDとして残すシステムを後輩の松本人志は作った。

それからも狂言・落語以外をシステム化するというのは続いた。

 

明石家さんま 雑談右矢印人志松本のすべらない話 2004年

 

立川談志 大喜利右矢印IPPONグランプリ       2009年

 

第二期   ギャグ右矢印芸人以外ドキュメンタル   2020年

 

M-1が生まれて芸人の数が爆発的に増えて言い方は悪いが駒が増えた事でこれが可能になった。

 

システムという意味では有吉の壁のが芸人用ギャグ番組のシステムとして生まれた。

 

アメリカのドッキリ番組が好きだったからみたいな発言もあったけど、それにインスパイアされてロケ中にコントが始まるフォーマットが生まれた。

そのブームのパクリネタがフジの新しいカギ=ひょうきん族時代っぽいコント、TBSのザベストワン=ステージでネタというのが残念だ。

ただここから全く新しいフォーマットが生まれて欲しいと祈るしかない。