こんばんは!松井ゆうこです。
先日のマネバナカンファレンスにて。
マネバナ×夢、の話があったのですが。
バイオリニストの大庭絃子(おおばいとこ)さんが登壇されていて。
だけど、同じく音大という道に進んだ中でも、
夢を叶える人と、あきらめる人がいる。
私自身の小さいころの夢が「バイオリニスト」だった過去、
そしてあきらめたことを思い出した。
わたしは6歳の頃からバイオリンを始めて。
それ以来、大学生になるまで、個人レッスンも受けてた。
(受験の度に、勉強を理由に休んでたけれど)
(こちらは当日演奏してくださった絃子さん)
小学生の頃、文集で聞かれるたびに書いていた夢は、
「バイオリニスト」
なぜなら、当時、バイオリンを習っていたから。
なんて単純。。。
今思えば、あんなに小さいころから、
夢なのに、夢を考える範囲が狭かった・・・・
社会人になってからは、アマチュアオーケストラで弾いてきた。
(今は楽器は弾く機会が激減しておりますが(^-^;)
それでも、今思うと、
バイオリニストという夢を高校であきらめたのですが。
その後の、わたしの夢って、言われてみたら、ない・・・・
夢を叶えなかったから、わたしはダメな人間、だと、
心の奥底で思い続けてきた気もする。
バイオリニストになれる人が一握りだとすると、
あきらめている人の方が大多数かもしれない。
本当に、バイオリンが好きだったか、
と聞かれると、どんな予定よりも、優先したい!!!
と、自分で心の底から思ったこともなかったかもしれない。
今となっては、いろんな記憶があいまいだけれど。
夢に対する、覚悟がなかった、とも思う。
バイオリンのレッスンがあるから、
友だちとの予定を断るしかなかった、とか、
バイオリンを弾いてきた期間が長かったから、
と、高校の部活とレッスンの両立ができないときに、
部活の方をやめる選択をした。
すべては、自分で選択したこと。
それだけは、後悔がない。
ただ、選択の仕方、の視点がズレていた、と思う。
期間の長さ、とかそういうもので、選択するのではなく、
「今、自分がどうしたいか」
で、選択していたらよかったのでは、と。
そうしていたら、きっと、
夢をあきらめたから、ダメな人間、
ってことは思わずにいたのではないか?
わたしは、バイオリニストになりたい、と言っていた時、
それを通して、何を求めていたのだろうか??
憧れのバイオリニストがいたわけでもなく、
誰よりも、音楽に詳しくなろう!
と勉強したわけでも、研究したわけでもなく、
時間忘れるまで、音楽を聴き続けたわけでもない。
そこに、明らかに、情熱はなかった。
夢は変わったっていい。
これは、コーチングを学んでいた時に
幾度となく聞いた言葉。
今になってやっと、わかった。
オーケストラに所属していた時、
何に一番、喜びを感じていたのか?を考えてみた。
あのステージで、
団員全員との一体感を味わえたこと、
演奏が終わった後に、観客からの拍手をいただいたこと。
・一体感
・感謝されること(拍手)
・練習成果をみてもらうこと=感謝されることをすること
わたしが大切にしたい想いが見つかった。
だから、バイオリニストでなくても、
この想いを満たせたら、
私の夢は叶うことになる。
夢はあきらめるのではなく、
形をかえて叶えられる!
周りの意見や、
外的要因(たとえば、何かにかけたお金、かけた時間の長さ、など)で、
選択するのではなく、
「今、どうしたいか」という自分の想いで、選択していきたい。
バイオリンしかやってこなかったから、
バイオリンをすることでしか、
自分がない、と思い続け、
心底やりたい!!という情熱がないから、
練習も中途半端・・・・
そして、音楽の世界に入ると、
たとえアマチュアでも、熱心で情熱的、上手な人は山ほどいる。
だからこそ、バイオリンに固執することは手放してみた。
(アマチュアオーケストラも退団し、楽器から放れる)
楽器をみたり、聴いたりすると、弾きたくなる。
その時は、想うまま弾いてみる。
不思議なもので、弾き始めると、好きなのかも?!と思うくらい、
2~3時間はあっという間に過ぎる。
なんて勝手なわたし。
だから、夢をあきらめる前に。
夢を叶えて、自分が誰に対して、何を伝えたいのか、
夢を語るときにも、夢の目的を考えてみる
と、いいんだろう、と思う。
(35年来?!の幼なじみと共に@先生の50周年記念パーティにて)
なんか、いつになく、長文になってしまったけれど・・・
ここまで読んでくださった皆さま、ありがとうございました☆