2006年のムーンサルト | 眠たいことを言う

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140文字で収まらない思いを綴ったり綴らなかったり

武藤敬司選手がヒザを手術するからムーンサルトプレスはもうできないとか、最後のムーンサルトプレスのあとグレート・ムタがやったとか。

 

オレ、武藤ちゃんを見たのはいつだ?

で、どうやら2006年の全日本の時らしい。

後にも先にもその時だけ。

会場に足を運ぶようになった頃は武藤選手は新日の選手じゃなくなってた。

W-1なんかで静岡で大会があったこともあるけど、見に行ってない。

今更ながら悔やまれる。

2006年12月。世界最強タッグの最終戦が浜松で行われた。今はない浜松市体育館。

この日エスパルスもHOMEゲームが行われた。エスパルスのHOMEゲームより他のイベントを優先したのは後にも先にもこの時だけだ。

新日派のアタシが何故そこまで世界最強タッグを見たかったのか。

 

当時、武藤、小島聡、ケンドー・カ・シンの3人が新日を離脱して全日で戦っていた。全日所属の小島が世界最強タッグ参加にあたりパートナーとして選んだのが天山広吉だった。天山はもちろん新日所属であり、全日でテンコジが結成されるという、なんとも驚くべき現象が起きていたのだ。

さらに鈴木みのるも参戦中。武藤とあわせて新日テーストいっぱいなわけなのだ。ちなみに武藤がパートナーとして呼び寄せたのはデンジャラスK川田利明。この頃全日に賛成していた佐々木健介は故障欠場中だったのは残念だが、なんとも豪華なメンツかつニュージャパンな世界最強タッグの決勝が浜松で行われたのであった。

ちなみに写真を見ていてびっくり。デビュー前のSANADA選手らしき人物が写っている。

ますます新日テーストなわけですよ。

調べるとこの年の初めに武藤塾の入団テストに合格している。

この数カ月後にデビューし、今や新日そしてL・I・Jに欠かせないレスラーになっているのだが、それはまた別のお話。

全チーム1回戦総当たりの公式リーグの1位と2位が優勝決定戦に進出するレギュレーション。リーグ戦を終えて決勝進出を決めていたのは1位のヴードゥー・マーダーズ(ロージー&諏訪間)。2位はテンコジと武藤&川田が同一の成績で並んでいて、この最終日にその両チームが決勝進出チーム決定戦を行ってから決勝戦という、なんともオトクな事になってしまったのだ。

余談だがいざ会場に入ると席がない。チケットに記された番号の椅子などない。スタッフに言うと別のチケットを用意してくれた。同じクラスの席だし、見にくい席じゃなかった。コンビニの味気ないやつじゃないチケットが手に入ったし文句はないけど、さすがに会場に行ったら席がなかったなんてことは、後にも先にもこの時だけだ。

 

武藤&川田VS天山&小島が盛り上がらないわけはないのだが、まあ第2試合にして満腹になってしまったよ。この後決勝戦があるから急遽組まれたこの試合は序盤に組まれたんだけどね。

どちらかと言えば新日の大会に川田が参戦した感覚を覚えながらの観戦。

一進一退の展開の中、最後は天山がムーンサルト(!)で武藤から3カウントを奪った。

胸熱である。

 

ということで天山から受けたものがアタシにとっての武藤ちゃんの最後のムーンサルトなのだ。

 

この後決勝もあるんだけど、まあ、天山が武藤から全日のリングでムーンサルトで一本とるっていうのが、あまりにも夢見心地だったのよね。