私がそれを知ったのは13日の朝。
いつものように会社に着いて、
始業時間までの間Twitter見てたら、
なんのことだかわからず
彗星読書俱楽部さんのツイートを翻訳、
その後日本語でのツイートも発見
ツイート内容はこちら
いくつかのメッセージの中で
いちばん刺さったのはやはり
最後のメッセージ
そんなの、無理だ。
事実を知ってから数日経っても
そこだけはまだ飲み込めない。
憧れなんて持たないけど
彼女のいないこの世に何の価値があるっていうんだろう。
どうしてもそう思ってしまう。
勿論、だからといって後を追おうなどとは思わない。
まだそれはできないから。
やっと知れたのに、もっともっと好きになれたのに、
これから新しい曲も聴けるのだと思っていたのに。
ほんの1か月前にやっと気付けたのに。
この1か月本当に彼女の曲ばかり聞き続けていた。
やっと動画も全部見終えて追いついた。
だけど13日以降見ることが聴くことができなかった。
ブログ記事にも書くことができなかった。
色々とあってやらなければいけないことも沢山あったし
崩れ落ちるわけにはいかないから
別の事考えて、なるべく何も考えないようにしていた。
WBC見ていたらやたら流れるCMにピアノ・マンが使用されていて
彼女の事を思い出してちょっと辛かった。
カバー曲ですら聴けないなと思った。
もう大丈夫かなと思い
人にこのことを話そうとしたら
涙で詰まって話せなくなった。
まだダメだった。
考えないようにしようと思いつつ
どうしても思ってしまったのは
自死ではないといってもやっぱり
自ら選んだのでは?という疑念。
これほど冷静なメッセージを残せる死って
何だろうと思って。
それか
元々活動を再開しようと思ったきっかけのひとつに
ご病気の発覚があったのかな、と。
何もわからないから
色々と余計な思いを巡らせてしまう。
彼女の死の日時すらわからず
私たちファンからすれば
知らされた日が命日となってしまう。
3月8日。
自分の誕生日が
大切な人の命日。
絶対に忘れることはない。
今日やっと動画を見るのを再開した。
新しいアルバムに収録される予定だった、
彼女が『思い入れがありすぎて歌うのにパワーを使う』
と言っていた曲、
What I feel is not what you want to fell
今までずっと不動の1番はDoveだと思っていたけど
この曲とSirenが同じくらい好きな曲になった。
Sirenは昔彼女のサイトにまだ
5~6曲しかupされてなかった時聴いたけれど
見知らぬ場所で迷子になって、
2度と帰れなくなりそうな不安感に襲われるから
恐くて何度も聴く事ができなかった。
そんな曲をいいと思えるようになったのは
何度も聴けるようになったのは
彼女がちゃんと存在して、
友達とライブに行ったり、
面白いおしゃれなゴーグルをお店で買ったり、
スパチャの金額が高額でブルブルしたり、
髪の毛剃ってた時代があったり、
そういう人なんだってささやかでも
知ることができたからだと思う。
残念という言葉では足りない。
これからどうしたらいいんだろう?
そういう風にしか今は思えない。
こんなに力のある楽曲を作れる人はいない。
自分の中にあるもの、見えたもの、
感じたものを素直に
「楽曲」として表現しました
というところ。
内面を、心を、
削り出して作ったような曲たち。
唯一無二だった。
未完成の物は発表しないというのが
彼女の方針だったようだけれど、
いつもそこが矛盾してる気がする。
ファンを愛していると言いつつ
そのファンが望むことと逆のことをしょっちゅうしてる。
Twitterのアカウントだって消してほしくなかったし。
そもそも音楽活動をやめようとしたとき
音源まですべて消し去ろうとしていたし。
それは彼女だけに限ったことじゃなく
クリエイターたるアーティストと
ファンの間にいつも起こる
すれ違いみたいなものだから
仕方ないんだろうけど。
今はまだ
安らかに眠ってください
という言葉すら言うことができない。
まだどこか信じられないし
信じたくない気持ちがあるせいだと思う。
いつになるんだろう。
言える日が来るのは