「アンゲルディエ」
ジャケットを彩る鮮やかなエメラルドグリーン。
メンバー2人がそれぞれ別の空間やタイミングで作品に対するイメージの
「色」を絵の具を混ぜて作り、そんな2つの色を同時に見せ合い、
更に混ぜ合わせたものがジャケットやブックレットにそのまま使用されている。
後のいくつかの作品達にも受け継がれているこの「色作り」。
「2人で作った色」だからこそ、大きな意味を持つワケである。
不思議なもので、何度どの作品で「色作り」をしても
メンバー2人いつもそっくりな色をお互いに持ち寄ってしまう。

タイトルの「アンゲルディエ」、
ローマ字に書き直すと「ANGEL DIE」であり、これを英語として読めば
悲劇を意味する言葉になってしまう。
かと思えば、(発音など少々の無理はあるが)某国の言葉で読もうとすれば
「世の中を根本的に変革する」というような力強い意味だったりもする。
実に不思議な力を秘めた言葉である。
「アンゲルディエ」…カタカナ7文字のこのタイトルは、
最初は僕のアタマの中に浮かんだだけの、ただの「造語」だった筈なのに。

「造語なんだから意味なんてもちろん無いだろうし、こんな言葉はどの国にも存在しない筈だ」と
思いながらも、当時いくつかのツールを使い検索していくと、
前述のように某国の言葉として「意味」に辿り着いてしまった。
意味などない響きだけの「造語」のつもりが、
偶然にも「世の中を根本的に変革する」という、とても力強い「意味」に出会えたのは運命としか思えなかった。
あの時の驚きは今でも忘れない。

そんな驚きの「意味」との出会いが僕の心の何処かに火を点けた。
「もっと調べれば、調べ方も変えてみれば他の意味にも出会えるかもしれない」と「スイッチ」が入り、
気付けば右手はローマ字でタイトルを書き出していた。
「ANGEL DIE」
…そのアルファベットの羅列が指す意味を理解した瞬間、
眼には見えない重圧にまんまと押し潰されて、嗚咽と震えが止まらなくなってしまった。

これは嘘のような本当の話で、当時19歳の僕の耳元で”見えない誰か”が囁いた、
何からインスパイアされたワケでもないカタカナの「アンゲルディエ」、
つまり「造語」としての誕生が先であり、
他国での意味やローマ字~英語読みにした場合の意味などは、
僅差ではあるが全て後から出会ったものなのだ。

夜通し嗚咽と震えに身悶えながら、
”見えない誰か”が教えてくれた「ANGEL DIE」という過酷な「現実」を受け入れる事と、
賛否何があろうともこの「アンゲルディエ」というタイトルで作品を発表する事が、
試練であり「1つ目のお役目なのだ」と確信した。

原作のライナーノーツにも似たような「思い」を綴っているのだが、
前述の通り「アンゲルディエ」という「意味」の重さに「心」が完全に圧され負けているし、
そんな僕の「心」の弱さと表現の乏しさが思い切り文体に出ているので、非常に「難解」である。
「雪」「月」「花」3曲の作詞の仕方についても言える事だが、
ワザと撹乱的に無意味な「キーワード風」の言葉たちも散りばめているものだから、
ライナーノーツも歌詞も、本質的な部分のメッセージを読み取るためのテキストとしては
今思えば残念ながら適していないし、前述の通り「難解」そのものである。

「花の彩」の作詞はまさに「難解」の最たるもので、
例えば「初めて笑った君を待ってる」という一節は
「最後」に見た「君」の笑顔でもあり、悲しみを乗り越えていつの日かまた
「笑える日が来ますように」といった「未来の自分」への「願い」でもある。
「永遠に目覚めないで」は、言わずもがな「目覚めないで下さい」ではない。
「目覚めない(まま)で、何処かへ行ってしまうの?何処へ行けばまた会えるの?」と
嘆きの「心」が続くワケで、全くもって「目覚めないで下さい」の「逆」の思いである。
蛇足だが、「塞ぐ」も当て字であって「鬱ぐ」の意味である。

「難解の先に在る理解」、
有名な絵画や書などには特に言える事かもしれないが、
この思想こそが創作芸術に携わる人間として最も重要な「意識」だと、
当時の僕は信じて止まなかった。
その時代ごとの価値観、風潮も大きく影響するかと思うが
音楽、殊に作詞においてこうした思想は世間一般には受け入れられ難いように思う。
「鐵」や「ラブレイン」といった後の作品まで色濃く続いたこの思想は
「はるか」という作品の誕生を切っ掛けに少しずつ変化していく。
(と言っても、
今でもカップリングタイトル等で時々お付き合い頂いている作風なのも間違いない。
今作では「鐵」で伝えきれなかったメッセージの一部もこうした作風に立ち返り
「すなお」の作詞で展開している)

「花の彩」の作詞に例を挙げた通り、
時系列も人称単位もワザとあべこべに入れ替えて綴る事で
渾沌とした心情…つまり「難解の先に在る理解」を表現したかったのだが、
当時の僕はまだ作詞に不慣れで、歌唱やMCにおいての表現も乏しく、
伝えたい事や届けたい思いが上手く言葉に変換できなかった。
それらのパフォーマンスはただの「難解」に過ぎず、
その先に一番欲していた人々からの「理解」を得るにはほど遠かった。
あの頃なりに精一杯に高く掲げた「芸術意識」に対して、
経験値も技術も何もかも追い付いていない自分がいつももどかしかったし、
眼に見えてファンが離れていく日々はどうにも苦しかった。

作詞はもちろんの事、楽器の演奏やプロデュース、ひいては
バンドやプロジェクトチームを牽引していけるような人格や能力は備わって居なかったし、
いつもどこか”見えない誰か”の真似事のような、
二番煎じな立ち回りしかできずにもがいて居る自分が情けなくて大嫌いだった。

毎日、生きている事が辛かった。



2012年の秋、悲願であった「再演」がついに実現した。
僕のバンド人生の「原点」である「Raphael」の「再演」である。
たくさんの方々の愛情に支えられて、「アンゲルディエ」より以前の作品達を
心の底から熱唱させて貰えた2日間だった。

悲しみが和らぐことはきっとこの先も1秒も無いし、
「同じ命」はこの世に2つとなく、失ってしまうと二度と取り戻せない。
悲しみは未だ毎日のように予告無く僕の心に訪れるし、
「お前が殺したんだ、お前のせいだ」と便箋いっぱいに綴られた手紙が
初めて届いたあの日を忘れる事も、きっと一生できない。



あの「再演」を経てまた1つ手に出来た「気付き」がある。

「思い出」は、悲しみだけで形成してしまっては思い出の「本質」に辿り着けない。
落ち着いて、勇気を出して「傷」も「痛み」も一緒に、深く深く記憶を掘り起こしていくと
一緒に過ごした楽しかった時間や嬉しかった事、時に喧嘩した事、
腹を抱えて笑い転げた記憶…本当の「思い出」が時間と共にどんどん蘇って来る。

つまり、「アンゲルディエ」という言葉の持つ「意味」は「ANGEL DIE」が「本質」ではなく、
大切な、天使と過ごした本質的な意味での「思い出そのもの」を指していた事に
「再演」を通じてやっと気付けたのだ。
悲しみを無理に忘れようとする必要もないし、弱くとも「ありのまま」でいい。
色褪せない「思い出」は、自分自身の努力とほんの少しの勇気で「永遠」のモノにできる。

忘れないことと、引きずることは違う。

だからもう、「ANGEL DIE」と無理にローマ字に書き直したり英語読みして
意味を紐付けたり模索する必要はないのだ。
10年以上の歳月を費やしてしまったが、僕はこうしてまた1つの「気付き」を手に出来た。
ようやく最初に僕の耳元で”見えない誰か”が囁いた「アンゲルディエ」に戻って来れた。
カタカナで「造語」の、本当の「アンゲルディエ」に戻って来れたのだ。

これがどれほど遠回りであっても無駄道であっても、
「動き」がなければ”あの日のまま”で止まっていたかもしれないし、
僕の存在そのものがとっくに「無」になっていたかもしれない。

アタマでも「心」でも、
何かどこか僅かにでも「動き」があれば、生きる時間には必ず「変化」が訪れる。
例えそれが一粒の「しずく」ほど小さなものだとしても、
「希望」を見失わない限り「零」は「無」ではないし、いくらでも”彩る”事ができるのだ。
これまで経て来た季節の、この眼で見て触れて来た雪月花の美しさに負けず劣らず、
これから先の生きる時間だっていくらでも凛として”彩る”事ができるのだ。