お疲れ様です。


自分探しの旅で人生振り返り中のきょんです。



本 前回のストーリーはこちら下差し
【21】






働きながらの看護学生。

給料の大半は洋服セーターTシャツスカートデニムに費やした。

中高生から
華やかな世界キラキラに興味あり
美容師、メイクアップアーティストの夢も
夢で終わったせいか

美しいモノが好きだった。

小学生の時は
『いぇーぃ、ブツブツぅニヤリ』と
そばかすの事、いじられ

高校の時だったか
看護学生の時だったか

見ず知らずの男性に
すれ違い間際言われた一言。

『…ブスえー

…え?
…誰?
周りを見渡しても私と友達以外
誰もいなーい滝汗

しかも友達は可愛い真顔

『それって、私ぃ??笑い泣き

…たった2文字、されど2文字ガーン

めちゃくちゃ傷ついたハートブレイク
それは何十年も、引きずるほどの
トラウマチーンもやもや

だから、メイクアップアーティストになって
そんなに可愛くない子を
格段に可愛くメイクしてあげたいという夢があった。

でも、私は夢より現実を選んだ。
夢よりお金を取った(苦笑ニヤニヤ

それが看護の道病院

メイクアイシャドウブラシは諦めたけど
自分を着飾る事は好きだった。

思い起こせば
母も借金してた割に
衣装持ちだった気がする。
まぁ、営業やってたから
仕方なかったのだろうが。

そこら辺の影響も受けてたのかな?

洋服は毎月買ってたし
お給料の大半は洋服代に飛んでった札束

しかもバーゲンとかで買うとかでも無く
ローンを組んでまでイイやつを買っていた。

靴も安いやつを買うわけでもなく。
まぁまぁの価格のものを買ってた。

お給料の一部を貯金に回すなんて発想は
全く無く。
余ったら貯めよう位の感覚。

余るはずが無いニヒヒ

今思うと、
この時から金銭感覚おかしかったのかな?

高校3年の時
お化粧の講習があったのを覚えている。
就職する人が殆どだったから
その前準備の講習。

メイクアップアーティストになりたかった割に
化粧に目覚めるのは遅く
母に聞いても適当だったから
化粧なんて、当時は適当だった。

そばかすが邪魔で
化粧で化かすより
洋服で誤魔化す方を選んだのかな?

化粧品コーナーを通ると
必ずといっていいほど
美容部員に止められ
美白化粧品
100%に近い確率で勧められた。

ブスとそばかすのトラウマは
ずーーーっとつきまとったチーン

あ、ブスで思い出した。

あれも高校位の時だったかな?
母の行きつけのお店について行った時

母が知り合いに私の事を
『この子は器量はよく無いけど…』と言ってた。
私が近くに居るのも気付かずに。
謙遜して言っていたかもしれないが

子供心に
『母親であるお前くらい、可愛いって言えよムカムカ
…と傷ついたのを鮮明に思い出した。

ブスコンプレック
洋服で着飾る事で解消させていた説
…否定出来ない。

何かを埋めるため何かで繕う。

美意識高めの始まりは
この頃から始まっていて
金銭感覚のズレも
この時からあったのかもしれない。