【ヒトと生きる、人生】
人生でもっとも素敵な存在。
と、同時に悪と善の両局面を持ち合わせる不思議な生き物。
賢くもあり、愚かでもある。
しかし、いつでも美しくあろうと努める。
「ヒトと繋がっている」。こんなに素晴らしくて幸福なことはない。
ヒトによって、生かされ、悩まされ、悲しまされ、喜ばされ、勉強させられ、一生涯に渡って「想い」を巡らせる。
とまぁ、理系人間がこんなにも哲学的な文章を書くのは非常に柄にもないことではあるが、この22歳という人生の分岐点であり、真骨頂である時期を迎えた今、「自分の人生をどう生きるか」と自問自答する毎日が続く。
特にそれといった答えが生まれるわけではないが、常に自分に言い聞かせることによって、自分の人生の軌道修正を図るという面では非常に有効的ではないかと思いにふける。
ここで、自分の人生について振り返ってみようと思う。
<保育所>
明るく、活発な普通の子供。この頃は、同時に3人の女の子からモテていた記憶がある。人生のモテ期を使い果たしたか。。。
その他にも、アメリカに1年間滞在すると共に、大きな人生の肥やしを得る。
日本語よりも、英語が堪能だったと両親は言うが、今はもうすっかり忘れてしまっている。
自転車を1人で乗れる特訓、バスケットのフリースロー、1つの物事にハマるとなりふり構わず熱中する性格がこの頃から顕著に見受けられた。
<小学時代>
将来の夢は、大工か寿司屋。あとは、活発にスポーツをしていた。ドッヂボール、泥団子づくり、縄跳び、マット運動、柔道。アウトドアな一面もあったが、友だちの家によくゲームをしに行っていたというインドアな面も強くあった
。
恋愛という文字は、一つもなかった記憶がある。
<中学時代>
柔道一色。毎日やめたいと思いながら練習していた。どの部活の練習より厳しく、量も質もかなりのものがあった。おかげで、全国大会4位という実績を残すに至った。礼儀も体力も忍耐力も、かなり鍛えられた。
勉強もそれなりにやり、F先生という恩師にビシビシ鍛えられる。受かる確率が少なく、担任の先生からも不合格だろうと言われた高校に入学が決定するも、全く嬉しくなかったのを覚えている。
それと、教室では、けっこうおとなしめの隠キャラ。全そのせいでくモテず。
<高校時代>
ダンスに出会い、先輩とダンス同好会を発足させ、柔道部と兼部だったが、ダンスメインの生活に。
好奇心旺盛な自分は、新しい仲間と、音楽に心奪われる。
教室では隠キャラのまんま。
部活、帰宅後は勉強といった毎日を送り、いたってまじめな高校生活。
しかし、3年生時に転機が訪れる。恋愛だ。初カノと大恋愛し、人を愛する幸せを実感。
受験そっちのけで彼女と遊ぶも、念願の第一志望校に合格。しかし、全く嬉しくなかった。なぜなら、実力の伴っていない合格だったから。一番泣き、苦しみもがき、病んだ時期かもしれない。
<大学時代>
一言で言うなら、晴れての大学デビュー。
多くの友人から、人が変わったとおほめの言葉を頂く。
上京の翌日、都内の寮の門戸をたたく。イベント事業会社の参画、資産運用、資産運用の営業代行、ベンチャー企業で派遣事業を展開、イベントサークルでイベントの開催、バイト7種類経験、合コン、飲み会、等やりたい放題行動しまくる。
失敗の連続だったが、経験知豊富な大学生活となった。
これら一つ一つが、人間形成の変化をもたらす大きなきっかけとなる。
よく学び、良く遊んだ。勉強が楽しい、とキチガイじみたことを思う。
就職活動もみんながやり始めた、2,3か月後に始動し、半年後無事に大手企業に勤めることに。
仲間にさんざん迷惑をかけ、メンタル、文章能力、伝える力、の3つを鍛錬した。
他にも、行動力が活きた延長線に海外渡航の概念が生まれ、オーストラリア、タイ、インドの3カ国を渡航する。
<社会人>
「どう生きたいのか」が大きな課題。
まぁ、やるだけやってみますか。って感じ
案外、振り返ってみると濃い人生送ってるな、と。
もっと自信もってみてもいいんじゃないかと我ながら思う。
変に自分自身を悲観して、ちゃんとした自己評価をできないのは一番勿体ないこと。
だからこそ、自分がどうありたいかという理想を常に抱き続け、それを実現させるために今をどう生きなければいけないのか、ということを考えながら生きて行きたいと思う。