引き続き地元ゆるポタ。可能な限り早く出た。
https://www.google.co.jp/maps/@36.1948945,139.1896476,16.29z?hl=ja&entry=ttu
まあ実はもう1か所、立ち寄るつもりの場所があって、実際に行ってみたんだが、期待外れだったんで割愛します。なかなか岡部も厳しい(´・ω・`)
でまあ蓮池のほうは、そんなに時間がかかるものでもないから、行きながら見物していったというわけですね。
最初に阿那志のところを見た。まあこのあなしの文字もすごいんだが、そのままなんで難読ではないっw まあ私、こちらのほうに車では糞糞糞来るまでは、こういうすごい名前に特になじみはない中南部埼玉人だったのだが、こちらのほうに来て、まあ最近サイクリングするようになってからw、こういう地名が意外なほど多いというか、むしろ当たり前なんだということに気づきましたね。荒川の西側とか、あるいは群馬方面に行くと、渡来人系、またはもっと古い時代のアイヌ的?な語感の地名などが多いということを実感していて驚いてますね。
まあそういう地域は元々渡来人が来ていたということも伝わっていて、それはよくわかるんだが、山の奥のほうなどに行くと、それとはまた違った感じの、北海道の地名のような、当て字のような、難読な地名がたくさんありまして、私の認識を越えた世界が広がっていますね。
やはり近世以降のオウユダ売国江戸開発されたような地域は、ありふれた名前が多いです。まあよく慣れた、普通の意味で平凡な名前が多いんですが、埼玉の西部や群馬、そして山間部には、全くなじみのない名前の世界が存在してます。それらはいろいろ研究する価値があるように思われますね。
私も最近はそれは意識しつついろんな地域を回ってますけどね。まあ現在のところの私の認識は、渡来人系で、中国風、あるいは朝鮮半島風の名前の地域があるということと、さらに山奥などには、それとはまた違った名前の世界があるように認識してますけどね。
https://www.google.co.jp/maps/@36.1714868,139.1916011,17.17z?hl=ja&entry=ttu
でまあこの阿那志という地域にある池と、そこから南下して、寄居のスマートインターのさらに少し南の、美里町の岡の中にある、長岡池というところを見学しました。
どちらもちょうど同じぐらいの規模ですね。そんなに大きくはないが、小さいともいえませんね。それなりの量の蓮が植わっていて、かなり楽しめます。ゆっくり歩けば一周10分ぐらいの感じでしょうかね。
特に長岡池のほうは今ほぼ満開ですね。時期的にはもう終わりに近いと思いますが、ここは地形的なものか、少し遅い感じで、十分楽しめます。とてもきれいに咲いていました。良く管理されています。隣にブルーベリー畑があり、有料で摘むことができるようになっているようです。また、ベンチも置いてあって、休むこともできますね。
阿那志のほうもほぼ同じ規模で、水車があったりしてなかなかいいところでしたが、残念ながら時期が過ぎてしまいました。大方散ってしまっていました。ここも休憩施設が作ってあって、地元の人が大事に守っているようです。
これらは大使蓮といわれているように、最近よくある古代蓮とは違うようです。先日見た、本庄総合公園のものも同じもののようで、これは、日中友好を記念して中国から贈られたということらしいです。実際に作られたのは平成ですが、日中の国交が回復する以前から関係があるということで、鑑真や江沢民の出身地だった揚州の大使から贈られたものであり、日中友好のしるしとして、現在でも守られているということだそうです。
ということは、またしても色々符合してしまいましたけどね。まあそのように、こちらでは、受け入れようが受け入れまいが、そういう大陸との関連性は強く、またそれは多分、うまくいっていたんだと私は理解してますね。過去の歴史を見ても、こちらではいざこざが起こったということよりは、うまく共棲できていたという現実があったと信じます。でもそれはオウユダ売国極右江戸明治昭和政府には不都合な事実なんでしょうな。糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞 糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞 糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞
私の見解では、奈良以前の時代、まだ文字がこの辺りに普及してない時代に、それらの文化を持ち込んだ人たちがいたと思われますので、弥生時代の後期から古墳時代辺りではないのかと思いますが、それらの渡来系の人々が、どういう経路かははっきりしませんが(場合によっては西日本を経ずに北陸や新潟から直接来た可能性もあるかも)、それら先進の文明や技術を持ち込み、おそらく、先住の日本人たちにもその知識を分け与えて、共存していた時代があったものと思われます。地名などからして棲み分けていた様子が見られるので、村単位で共存していたという時代が長く続いていたんじゃないのかという気はしてますけどもね。まあ群馬辺りだと、もはやそういう大陸系の人たちが支配権を握っていたかもしれませんけどね。でもまあまあうまく共存して、かなり豊かな社会が営まれていたんではないのかと、個人的には推測してますが。関東辺りだと、土着民としては、北方から進出していた蝦夷系の人間が多かったのではないかと思ってますけどね。少なくとその文化的な影響は受けていたでしょう。それが地名などにも残っているのではないですかね。
おそらくそんな背景もあって、こういう活動が普通に営まれているんだと思います。現代でもその影響は及んでいるといって過言ではないと思います。社会的にも、何らかのつながりを持つような関係者などがいるようで、中国料理の店とか、キムチの店などがあって驚きます。何もない田舎ににそういう店だけがあるという光景は、埼玉の中部南部では見ませんね。群馬では韓国風焼肉なども盛んですけどね。
* 江戸政治の闇を暴く義民遠藤兵内之碑 児玉神社 明和の大一揆、または、中山道伝馬騒動
ルートが短めになりそうだと予想できたんで、近くに何か見どころがないか探していて、これを見つけた。まあまあこの手の義民を記念したものというのは、こちらの地域では時々見かける。それはこちらの地域が貧しかったからだろうけどね。それだけでも、まあオウユダ売国都市圏の人間には全く縁のないことだろうが、まあまあ秩父事件ぐらいは知られているのかな糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞
で、まあこの碑を、七十五号熊谷児玉線の傍らに見つけたというわけですね。多分何度か通っていて、何かあるなというのは気づいていたのかもしれない。まあまあこの辺だと、土地改良記念碑のようなのが多くて、その一つかなと思っていたかもしれないけどね。
しかしここはなかなかのものだったね。この歴史的事実は、多分闇に葬られている。それで扱いも小さいし、知名度もないんだろう。まあ今回私はこの件を初めて知りましたし、これは当時二十万人もの人間が関係したというのだから、歴史的に無視できるような出来事ではないはずなんだが、私は初耳でした。間違いなく隠ぺい・ネグレクトされている事象でしょうな。それはオウユダ売国江戸幕府の失政の象徴のような出来事だからですね。糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞 糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞 糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞
まあ私が知る限りでも三か所ある。もう一つは有名な秩父事件、もう一つ、吉井のほうに254で入っていくときの、峠の場所にも合った。割とよく通るところなんだけどね。そこも確か、藩の悪政かなんかを直訴に行ったために打ち首になってしまったというような話だったと思う。まあそれは覚悟のうえで行動してるわけです。そのぐらいこれらの地域は貧しく、どちらにしても死ぬしかないというほど追い込まれていたからです。そのぐらい、江戸時代の地方は貧窮を極めていたわけです。
この辺ですらそうなんだから、さらなる僻地のほうでは、それは人身売買も当たり前に行われるような国であり時代だったのです。そんな国や時代をちやほやもてはやしていいものでしょうか?否、絶対にそんなことがあってはなりません糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞 糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞 糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞
ここは中山道沿いの地域ではないですね。しかし江戸幕府は、中山道を人為的な幹線道路と定めて、その宿場を整備するために、周辺の村に、助郷という制度で賦役や税を課した、ということが、問題の発端だそうです。
ところが、まあ私も今回も走ってみて痛感したが、この熊谷児玉線にしても、とても立派な道で、今でも非常に交通量が多いね。ということはあるいは当時はここは中山道に匹敵するくするぐらい重要な幹線道路であった可能性もある。もちろん、254・旧鎌倉街道のような道も、これらに勝るとも劣らない重要性があったはずだ。
少なくとも地元に住む埼玉県住民にとってはそうであったはずで、それが急に中山道偏重主義の時代になって、そこに奉仕しろと言われたら、周囲の人間は納得できないのも無理はなかったろうと思われるね。
まあ私、実際に埼玉の町を走ってみて、そして江戸時代辺りに行われた改革と、それ以前の時代の状況などを見比べてみた時に、そういう埼玉県の実態とかけ離れた政治が、江戸幕府や明治政府、昭和政府によって行われてきたのだなというのを痛感してるね。実際に走ってみると、道路として、これらの道が中山道に劣っているということはほとんど何もないからね。実際に交通量も多い。それは政治的な開発の仕方一つで、こんなにも地域の状況は変わってしまうという一つの事例を表しているね。江戸・東京中心主義が、こんなにも偏った都市計画を押し付け、地域を疲弊・衰退させてしまった。その影響は現代にも強く及んでいると私は断言しますよ。まあ最近その事実が明らかになり、中山道・高崎線中心主義は終わりを迎えようとしているようだけどね糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞 糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞 糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞
まあ私は野人ということもあって、もっと風土や地理に根差した都市や人々の生活の在り方が重要だと思っているので、それからすると、江戸・明治・昭和のやり方は糞だと思われるね。その結果、この国土の経済や文化、さらには人々の健康やメンタルまで蝕まれてしまっていると俺はまじめに思っている。まあ当然の結果かなとも思うけどね糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞 糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞 糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞
なので私はそこから離脱しました。それで少なくとも健康とメンタルは大幅に回復してるんで、十分満足してますが。
でまあ、歴史を紐解いてみれば、そういう実態はもう江戸時代の最中から噴出していたというわけですよ。探せばいくらでも出てくるね。江戸は糞のような時代でした。
やはり中央集権の独裁政治なんてものが、いい結果をもたらすことなどありえない。江戸時代はひょっとしたら日本史上で最悪の時代だったのかもしれないとすら思えるようになってきましたよ。あながち間違ってはいないだろう。江戸明治昭和は糞の極みだよ。
徳川ジョンイル、徳川ジョンナムのような無能な支配者とそのとりまきが、この国を三世紀にもわたって支配し、国を疲弊させ尽くしました。国を弱体化させ、国民の意欲をそぎ、世界の三等国に没落させました。そして敗戦国となり、今日に及んでいます。糞といわずして何でしょうか糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞 糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞 糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞
中途半端な戦後復興が進んだために、基本的に日本経済や日本の国土・都市開発の手法や発想には、それらの時代から変革が起きていません。ばかげた話です。これでは何もよくなるはずはなく、まさしくその通りに、日本は再び江戸時代のように衰退し始めています。日本は二等国のままであり、これではもう一度敗戦することになるでしょう、そうならなければなりません、否もはや3.11原発事故でそうなりました。この国は当面は立ち直ることはできないでしょう。そんなことはないと思っている人は、オウユダ電通に騙されています、騙されたい人は騙されてください糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞 糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞 糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞
人望を集めていた地域のリーダーであった遠藤兵内という人が、税の免除の代わりに、獄門の刑になったという結末だったそうです。その記念碑が道路わきにあり、児玉神社(旧若宮八幡社)というところの境内に、お宮が建てられています。お墓や刑場などがどこであったのかの細かい説明はなく、詳しいことは分かりませんが、記念碑は畑和知事の揮ごうのもので、境内のお宮は平成のものだったと思います(平成二年県の文化ともしび賞受賞記念事業。お墓は、脇の道をかなり進んだ場所にありますね。分からなかった。)。割と新しいですが、神社はかなり傷んできていました。
まあしかし、そういうわけで、これは意外に重要な史実であり、史跡かなと私は思いました。江戸政治の黒歴史を後世に伝える重要な事物ですので、大事に保存し続け、また少なくとも地元民や埼玉県人は、この事実は胸にしっかり刻んで、今後に生かしていくべきものと思います。特に役人どもがそれを学ぶべきなんだが、言うだけ無駄というものだろうさらば埼玉さらば日本( ・ω・)ノ~~糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞 糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞 糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞
というわけで、非常に短いライドだったんだが、実りは多かったただでは走らない鬼畜貧乏性野人ぶれない(`・ω・´)
バイクはアンカーで、特に整備する気力もなくそのままw、問題ナッシングら!体もまあまあだったね。特にブランクもなく、まあ1:50ほどだったけど、問題なく走れました(距離は20kmほどかw 深谷よりも近い岡部最短クラス(`・ω・´))。少し乗り込めばすぐに元に戻ると思いますので安心しましたね(`・ω・´)
ますますオウユダ売国江戸悪政暴くら!糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞 糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞 糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞