相変わらず天気が怪しいので、近場ですね。晴れれば晴れたで日差しが強くて暑くなるだろうし。ああ言えばこう言うヘタレ野人(・ω・;)

 

 https://www.google.co.jp/maps/@36.2080093,139.2502978,17.13z?hl=ja

 

 まあ話せば長いんだけどw、いろいろ城のこととか調べていたら、岡部六弥太忠澄という人に到達したw 

 この人のことをすぐにあの人かと分かった人は非常に優秀です。まあ日本史や日本古典文学にとても詳しい人ですね。

 あるいは高校あたりの古文の時間にまじめに勉強した人。私も実は、惜しいことには、かすかに記憶には残ってたが、まさかこの人とは思わなかった。

 

 まあそういう歴史的内陣糞な偉人といってもいい人なんですけどね。まあ私もいろいろ不勉強で恥ずかしいが、埼玉あたりにも有名な武将がたくさんいたようで、こうしていろいろサイクリングしていると、なんやかんやでそういう縁のある場所に当たるw

 

 一言にいえば、平家物語に登場する武士で、しかも一の谷の戦い、忠度の最期といった、極めて有名な場面に登場する人。まさしくその忠度を打ち取った人物として、日本の歴史に名前を残しています。

 まあ私もこの話は確か学校で習った記憶がある。有名な場面なんで、埼玉に限らずw、全国的にも学校の古文の時間に学習するところかもしれない。ツーか、これは大学入試に出るかもしれない必修課程ですかねww

 

 まあまあほんとに、埼玉人だから必ず学ぶものなのかもしれないという気もするね。とにかくこの話自体は知ってた。しかし、この岡部忠澄という人が、岡部を所領とし、しかも政治的にも上手に治めていたようだということは全く知らなかった。

 

 なので、改めて岡部ゆるポタルートを調べていた時に、この人にゆかりのある場所がたくさんあることを知って驚いてしまった。近くにまとまってあるから、これはぜひとも行っておきたいということで、ちょうどいいんで行ってきました。理由をつけてゆるポタ三昧する野人w

 

* 土着埼玉

 

 まあ私岡部の農道を走るのは好きだと、今までも書いてきたんだけど、どうもその理由の一つが分かった。それはこの町が古来から政治が行き届いていて、道路もよく整備されている優れた街だからだ。

 要するに、源平合戦の時代とか鎌倉時代だ。かなり古いので、私たち埼玉人にもいまいちピンとこない。余り教えられても来ないし、やはり江戸時代以降に整備された中山道や農地や用水の整理というのが支配的なんで、それ以外のイメージというのが湧きにくい。

 

(それはまさしく江戸勢力・大日本帝国保守売国勢力の恣意・洗脳・失政隠しでもあるね。江戸は実際は糞だよそれを痛感する日々糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞)

 

 しかしいろいろ調べてみたり、あるいは実際に町をめぐってみると、どうもこの辺りの文化というのはそれ以前からのものの影響力も非常に強い。むしろそちらが根源的ですらあると俺は思ってしまう。今回のライドもまさしくそんな思いを強めるものになったけどね。

 

 もちろん近世以降の発展に江戸政治の恩恵があったのは事実だけども、特に俺個人はそれにしっくりなじめないのはなぜなのかと言えば、それが本来の埼玉、あるいは武蔵の国固有の文化に根差しているものではないから、かもしれない、というようなことも最近は思う。埼玉人は基本的に中央集権的じゃないのだと思う。悪くいえば村的だけど、よくいえば独立自尊的だ。土着系の豪族のようなのが昔から勢力を持っていて、そういう単位で文化や風土が築かれてきたという現実はあるんだと思う。

 

 まあそういうものを再確認しに行くようなライドですね。私は最近はそういうのばかりだ。日本の近現代は糞だという結論にほぼ達しているので、それ以前の世界をよく確認して、自分のアイデンティティを取り戻したいと確認する日々ですね。私は一見フレンチではあるが血筋的にはかなり土着的な埼玉人ですのでね。父方も母方も。糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞

(やや群馬寄り。)

 

 で、この岡部さん、そのように、非常に武勇で鳴らした人らしい。鎌倉時代のこの辺りの武士は相当強かったようだな。他にもたくさんいますけどね。まあ私が思うに、西国の武士たちがおごり高ぶっていて気が緩んでいて、実力はなかったんだろうというそれだけの話だろうとは思う。都というのはどこもそうだなホモサピエンスはあほだな糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞 

 

 この人は、まあ源氏の将軍家に仕えていた人で、いろいろ戦功があるらしいが、詳しくは調べてみてくんさい糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞

 でまあそれはいいとしよう。そのようによく知られているのでね。

 今回のテーマは、この人は地元地域の統治に関しても優れた能力を発揮して、のちの時代にまでその恩恵をもたらしたのではないのか、ということを私は予感した、ということですね。それで、それを確認するために、そういうゆかりのある血wをめぐりながら、岡部の街づくりについて再確認してみる、というようなライドになりましたね。とても有意義で、楽しいライドになりました。多分私の見込みは当たっていると確信歩きしてますけどね(`・ω・´)

 

* ルート。岡部愛炸裂ら!

 

 まあとにかくいいとこで、走りやすい。それは、道が広いだけではなく、道が分かりやすく、合理的にできていて、見通しもいいことに理由がある、ということに今回気づいたね。それが確認できたと思う。

 

 この町は意外に整然と整っている。田舎の農業地帯でもはや過疎の町ではあるけど、町の作り自体は、古くから、そのように良く整っているものだと思う。

 

 今回は、最初は私の住む西側の町から入って行って、まず、西部にある岡部城跡という場所。西田通りから少し入ったところにある。えーと売国ボート券売り場が隣接してますね。糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞 

 

 https://www.google.co.jp/maps/@36.2196231,139.2321484,16.25z?hl=ja

 

 ここも周りの土塁のようなものがかなりはっきり残っていると思う。大規模なものです。やはり周囲に水路のようなものがめぐらしてありますね。

 ここも歴史的にはさほど重要ではなかったのかもしれず、大規模な遺構が残っている割には、あまり管理されていない。

 直接は見られず、周囲と、現在そこに残されている浅間神社のほうから見た。それは多分、城の本丸あたりに作られたんではないのかと思うが。

 かなり本格的な大掛かりな城だと思う。上杉氏のものだというが、それらしいかなという気がする。

 

 そしてここから、おそらく旧道のようなものをたどって中山道のほうに移動する。いい道がつながっている。

 

 その途中で、たまたま寅稲荷神社というのを見かけたんで寄っておいた。

 まあ今回走ったルートの近くにも、相変わらず古墳が多かったんだが古墳に対する嗅覚が鋭すぎる野人w、ここは神社というが、説明板には古墳と書かれていたね。先ほどの岡部城同様に、古墳の上に神社がまつられているという形式で、古墳のほうが先にあったものと思われる。

 前方後円墳タイプで、かなり大きいもので立派だ。本格的な発掘調査はまだ行われていないようなんだけどね。

 なかなかいいとこでした。古い石段が残っているようでかなり趣はあったね。社は小さなものなんだけど、地域土着の感じがして興味深かった。

 

 で、そのまま旧中山道に接続する。何だったか、中山道がカーブして下っていくとこで、石碑が立ってるとこw そこから少しバイパス側に降りると、例の中宿古代倉庫群跡に到達する。

 

 俺が思うには、この辺りは江戸時代以前にはメイン通りぐらいの重要な通りだったんではないのかと思う。そのような施設類が連発するところで、現代でも走りやすい道になっている。

 

 で、今回は、その遺跡から段丘の斜面にある道に沿って東に進んでみた。

 まあこの辺り、利根川方面に行くときに、道の駅によったりしながら、何度か通ったことがあるわけなんだが、今回は、普段と違って、深谷側に進んでみた。

 

 まあそれで痛感したんだけど、岡部というとこは、今更ながら、岡のような場所なんだねww

 まあこれ、話せば長いけど、要は、利根川の河岸段丘なんだと思われる。ものすごく広くて遠いけど、多分そうだ。ここも例によって、段がついて上がるし、その後下がるということもない。つまり、利根川側が低くなっているというわけだ。

 それでその一段高くなった丘沿いに住居などが立ち並び、道が通り、遺跡も並んでいるというわけだ。まあそれが人間というものの習性なんだね。

 

 河岸段丘だから、高いほうからは岡とは見えない。しかし、利根川から見ると明らかに丘になっているというわけ。つまり、古代のこの辺りの人たちは、恵みの川利根川のほうを常に意識していて、そちらから見て確かに岡部は岡になっており、そしてそこに人々が住み着いて繁栄してきたというわけだ。近世以降の中山道中心の見方だと実感がわきにくい。

 

 でも今回行ってみて、古代の人たちは、そのように、中山道側からではなく、利根川側からこの辺りの地域を見ていて、少なくとも現代よりもはるかにその意識は高かったのだろうと感じた。

 

 そしてこの道を突き進むと、自ずと普済寺に到達する。そのようになっていたのだ。

 普済寺はまさしく岡部氏の菩提寺で、その所領の中心部にあるということだ。すぐ近くに、忠澄の墓と、館跡と言われる場所がある。

 少なくとも、この岡部氏の居館を中心とする道路網はよく整備されている。そのころにはこの辺りが整備されていたのは間違いないと思われるので、その歴史はかなり古いといえると思う。そしてそれが今日まで有効に働いているといえるのはなかなかのものと言える。

 

 そう考えると、岡部にあるその他の主要な道路や街づくりの基本的な構想は、すでにその頃にはできあがっていた可能性がある。

 この辺りの河原側は、広い農地の間にぽつぽつと集落が連なっているような構造になっているが、それは効率的な道路でつながっている。そういう場所を走るのが私にはとても楽しいと感じられる。単に走りやすいだけでなく、古い時代の風情も感じられるからだ。

 

 なので、効率的な道路網というのは、何も近代にならなければ現れないというものでもない。努力次第ではそれは古くから実現していたものであり、それは岡部では実現していたが、深谷や熊谷、上尾では実現していなかった、というように俺には感じられるというわけだ糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞

 

 そういう意味では、岡部は古の時代はかなり先進的な地域であった可能性もあるというわけ。今では、オウユダ売国不正隠し合併によって深谷のほうに併合されてしまっているけど糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞、本当はこの辺りの地域の文化の根源は多分岡部にあるように思う。古墳や史跡も多いし、さらには岡部氏というのがかなり有能で、地域の統治を上手にやり、住民をうまくまとめていたという気がする。

 

 この後、清心寺というところも訪れたが、ここにある忠度の墓というのは、のちの時代に作られたものかもしれないという。しかし、少なくともそういう精神性がこの地域に残されていたということは、岡部氏の遺徳というべきものだろうと思われるわけだ。

(寺による単なる詐欺行為の可能性もなくはないが。糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞 だとしても、そのことが意味を持ちうるとすれば、それは地域の人々に忠度に対する同情心が残っていたからだろう。)

 

 普済寺、忠澄の墓、菅原神社という辺りを詣でて、それから隣の集落のほうまでライドし、そして清心寺に寄った。ここは、線路沿いに駐車場があるとこなので、近くを通ったことがある人は多いだろうが、中に入ったことはあまりないだろう。外からは本堂は見えないが、入ってみると立派な大きなところで感銘を受ける。大きな阿弥陀仏の本尊が祭られてます。

 忠度の供養塚は入ってすぐの左側にあった。

 

 で帰りは、パティオで休憩しww、熊谷児玉線でチサンの山を越えて帰ったので、とにかくすべてがザ岡部といった感じのライドでした。我ながら完璧だったねww

 

 つまり、俺が思うには、岡部と深谷は全く違うといってもいいほどだ。むしろ岡部が文化的な中心のように俺には思えた。岡部の町のほうが行き届いていて洗練されている。それが俺には走りやすいと感じる。

 近世以降にそういう状況が変わったんだろうけども、私の埼玉県人的な本性としては、岡部のほうが本来の埼玉だと思う。波長があう。共感が持てる。とてもいいところで、親しみを感じます。素晴らしいとこ。住みたいぐらいのとこです。w まあ冬は風が強いんだけどね(´・ω・`)

 

 古き良き埼玉の姿を見られる町ですね。そういう意味では、行田に似ているかな。北の行田ですねww

 

 まあ素晴らしい発見だったかな。やはり江戸以前のほうがいいね。江戸は日本をだめにした。間違いないね。糞です糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞 

 日本は新しければ新しいほどダメだ糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞 糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞 糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞

 

* バイクとか

 

 今回はE号でしたが、いいね。速い。すべるように進むね。平坦ならw

 だから今日のルートには最高だった。岡部の農道を走るのには絶好で、気持ちいい。ルートは短かったが、存分に楽しめたw

 

 最近のマイブームでw、空気圧を少し下げてみたが、とてもよかったね。乗り心地が改善するし、特に遅くなるということもない。

 振動吸収性がよくなるから、むしろ細かい凹凸を気にせず走れて、走りやすくて楽だ。むしろ速いぐらいだったかもしれない。

 

 まあ俺、普段からかなり低いと思っているんだが。通常はまあざっくり言って、23cなら6-8barぐらいの表示だろう。でも俺はその下限か、それよりも少し低いぐらいしか入れないんだけどね。

 それよりも少し下げていった。前が4.5、後ろが5ぐらいだったね(ホイールは標準のややエアロw タイヤも重め。)。まあこれは、雨模様の時とか、砂利で滑りやすい時なんかにはたまにあるけど、過去最低に近いぐらい。でもそれでも良かったね。

 

 まあ場合によるのかもしれないけど、いわれているよりは低くていいんじゃないのかと俺は思っているけどね。まあやってみて、そういう結果ですね。これでも良かったから、今後も低いほうをもう少し探ってみたい。

 もちろん、高めれば、軽いフィールになって、最高速が上がるのもわかっているんだけど、それだと、乗り心地が硬くなったり、はねたり、滑りやすくなる、というような副作用もあるのは事実だ。そしてそれは実際のライドだと無視できない。

 今回はこういう町巡りみたいのだから、ますますよかったと思うんだが、高速で広い道を走っている時も、これで全く問題なかったから、これでいいんじゃねという結論なんだけどね。まあ俺はこんな感じでやっていこうと思った。最悪リム打ちしなければ、それでいいんだと思う。

 

 でもたまに経験あるが、スピード出ているときに、穴や段差に出くわすこともあるんだよね。その時に空気圧が低いと、たまたまリム打ちしてしまい、たまたまパンクしてしまうというケースは起こりうる。だから、高速で走る人で、そう言う障害を回避しにくい、というタイプの人は、安全の意味で少し高めにしておく必要性はあるのかもしれないと思うけどね。低すぎるのもリスクはあるというわけ。

 

 まあ後は特に書くこともないけどね。時間は、3:30、距離は片道20kmもなかったかもしれない。深谷まで行って帰ってきたぐらいだけどね。

 

 でもまあ文化的にはかなりハイレベルなライドになって満足度は高かったね。そして道もいい。岡部を走るのは楽しいし気持ちいい。岡部ラブw(。・ω・。)ノ♡

 

 まあ近くにも本当にいいとこある。それはわかっているんだけど、将来のために温存してたんだが、最近はどんどん切り札を切ってますw ストックがなくなるww

 

 ますます岡部攻める!