行って、見て、帰ってきただけです。例によって、ポンコツD号なんで余計なことはできない。帰りは向かい風で死にましたが、書いても仕方ない。

 

 

 時間は全部で6:10も架かった。帰りは二倍ぐらいかかったんではないかな。へとへとに疲れて104%振り絞ってしまいましたね。久しぶりに限界まで行ったw

 

 ゆえに、ちょっと自信喪失したね。今年はいよいよ限界を迎えるかもしれんと思った。そうなるとモチベが下がってしまうかもしれないけどね。まあ仕方ない(^ω^)

 

 まあ例年この時期はきついかな。昨年も確かF号でヘタレて泣き言を言ってた気がするねw 風邪気味で体調悪くて、よほど明日にしようかと迷ってたが、予定通りいきましたが、やはりやめるべきだった。頭痛が痛い。判断は早めにしないといかん(・ω・;)

 

 白鳥は、まあまあいた。ガバ沼にも30ぐらい。ただし、昨年見た干潟のとこにはいなかった。遅かったので移動してしまったのかもしれないが。がっかりしてたところ、表側にいたんで安心したというか、期待に応えてくれました。神オジが到着したということで、微妙にざわついてみんな騒ぎ出したように思えたのは気のせいかw

 

(今回は一周したので気づいたが、島からの角度は逆光で写りがよくない。南側に回ると、水も青くて白鳥が映えるので、そちらから見るのもいいと思う。少し遠いので、双眼鏡とか望遠レンズとか必要かもしれんが。そのほかにも野鳥類はいるんだが、小鳥のような奴で名前が全くわからんw)

 

 当初は、県立舘林美術館を見学しようかなどと考えてたんだが、到底無理だった。またいつかそこを目的に来てみたいと思ってます。調べてたらなかなか良さげなとこだった。なので、公園のとこだけ見てきた。カルガモがいましたw

 

 いい地域で、ちょっと独特の雰囲気がある。以前も書いたが、リゾート地的な雰囲気があるところで、群馬の河口湖やーとか書いたw とか軽井沢みたいな。自然豊かで森があり、関東平野ぽ区内とこなのは不思議ですw いい雰囲気で維持されてるんで、これからも頑張ってほしいけどね。ただし館林の道はあまりよくない。町も政治が行き届いてないようであまりきれいじゃない。それだけに余計奇跡的に感じるいい場所です(^ω^) 邑楽町

 

* 横伸び写真集白鳥殺し

 

ガバ沼。数字書いてあったが、30前後で推移しててまあまあの感じですかね。ここは餌付けしてる。寄付を募ってました。(やったもの勝ち)

個人的な考えだが、そんなで毎年客が結構来てる。釣り堀もある。ウォーキング、ランニングの人も多い。なのに食品類を売ってる店が全くない。あればそこそこ商売になるんじゃないのかという気がするのは俺だけか。一年中人が来てると思うのだが。(言うだけ無駄の過疎地域)

 

遠くの真ん中のとこに、五羽ぐらいいて寝てるのが写ってる。

 

南側の広いとこ。毎年いますかね。全部で100以上いたんじゃないか。浅いので足をついて寝てる。神オジが到着したので、ざわついて鳴いたり、羽ばたいたり、向こうから飛んできたりしましたw

 

この辺は男体山がよく見える。(左) 天気が良かったのでその奥の山とか、もっと奥の白い山も見えてた。

右手のほうはなんか環境破壊されてんのかな(やったもの勝ち)

 

美術館の前庭のとこにカルガモの群れ。

 今回は何とか偽クロモリD号を復帰させて乗ってきました。引き続き地元シリーズだが、今回はまあまあ頑張って時間を乗りましたね。徐々に長いのに慣れてかないと、急にロングには行けんので。

 

 

 

 初めに神川の神流川方面に向かいました。話せば長いが、これは俺がサイクリング始めたときに初めて走ったようなルートだった。そっちの方が空いてて安全だと思ったからw なので来ると懐かしさを感じますね。用水路も二、三年前に来て写真を撮った。同じとこですね。過去記事あると思います。逆に回りましたけど。

 

(寒いからかもしれんが、当時以上に過疎ってて日本の終わりを痛感しました。この流れは止まらないね(^ω^))

 

 それで、大塚稲荷古墳に寄りながら、一旦神流川頭首工まで行って、そこから神流川の堤を下って、上里のほうに向かい、ずっと烏川?沿いを走り続けます。上里町のゴルフ場とかあるあたりですね。

 

(相変わらず道路の連絡はよくない。まあ工事してて改善しようという意思は感じるけど、仕事が遅いね。そして、crとか遊歩道はまず考えられてない。国道の橋をかけ替えたけど、そこも混乱してる。まあ言っても仕方ない。急に改善はしないだろう。)

 

 そして今回は、距離を稼ぐために、そのまま進み、深谷まで行きましたね。上武大橋ですかね。14のとこ。そこで下に降りて、一般道で道の駅おかべ迄向かい、最後に、普済寺線で本庄総合公園まで戻って、梅を見てきました。もう咲いているという情報がありましたので。

 

 今までだったらこれらを一度では回らなかったと思うのだが、最近はそこそこ強気に攻めてるw まあでも疲れましたけどね。全部で4:15でした。crでは速い人に煽られたのもあって(被害妄想。一瞬で抜かれて離されたw)、無駄に踏んでおきました(^ω^)

 

 まあまあいい運動になりましたね。かなり疲れた。102%振り絞ってしまいましたw。しかし相変わらずD号は乗り心地が良くて驚くね。クズホイールだったけどなかなか良かった。そういう点からも俺はいろんなヒントを得てる。いいリアルクロモリだったらw、もっとはるかに軽くて速いだろうから、相当使えるだろうね。いいやつが手に入るといいかなとは思ってるね。アルミとはかなり違いますね。ましてカーボンとは。

 

* 横伸び写真集垂れ流しせっかくの鳥のチャンスも中華カメラで丸つぶれ

 

 青柳古墳群・南塚原支群一号墳(大塚稲荷古墳)

 改めて来てみたが、円墳としてはかなり大きいね。埼玉北部にはよくあるタイプと思うけど、かなり大きい。まあここは大きな前方後円墳もあるけど(中新里諏訪山古墳)、それに匹敵するぐらいの存在感。

「径40メートル、高さ6.5メートルの大きな円墳です。確認調査の結果、埋葬施設は両袖型と思われる横穴式石室で、全長が11.2メートル、奥壁は縦横ともに3メートルをこえる一枚石で構成されています。墳丘は3段になっていて、上・中段に葺石が施されており、円筒埴輪や人物・馬などの埴輪が出土しています。築造時期は6世紀後半 」

 うーむ。驚いた。これは埼玉で五本の指に入る円墳だと思います。見たところ、おそらくへこんでる部分が石室跡で、盗掘されていたのではないかと思うから、もっと多くの副葬品があった可能性もあるかもしれない。まあそのぐらい、この辺りは古代には栄えていたのだと私は想像しています。農地がいいからね。

 裾の部分がよくわからなくて確認してみたんだが、はっきりしない。三段目が薄くて低くなっているのかもしれない。東から見ると、角度がついて立ち上がっているように見えるんだが、他の面はさほどではなく、よくわからない。土が取られたりして形が変わっている可能性がある。

 近くに貯水池があるんだが、水をためやすい地形であった可能性もあるかもしれない。

 

 

 古墳からすぐの段丘を見下ろす地点。なかなか見晴らしがいいところで、急な段があり、豊かな農地が広がっている。野良オジが見たところ、多分かなり昔からある古い田畑だと思われる。

(ただし水の問題があったようで、群馬側ともめたりした歴史があるらしいw)

北の赤城方面、北西の榛名、西の浅間、南西の鬼石方面。

 

頭首工下の沈砂池のところ

 

神流川頭首工。上の写真では水あるように見えたが、上流は水が少なくて魚道のとこしか流れてなくて驚いた。まあわかってたけどw

 

ぐるっと川沿いを戻ってきて、上里の公園のとこ。見晴らしがいい。浅間方面と御荷鉾山方面。俺の心も清められてきて、今回は浅間山が見える( ;∀;)

 

岡部の道の駅に寄ってから、本庄総合公園まで寄った。

まだ咲き始めだが、紅梅などかなり咲いていてすでに楽しめる。メジロが群れで来てました。

本日のベストショットで、少なくとも三羽(多分四)はメジロが写ってる(^ω^)

 見出しそのままのライドでございましたね。まだ完全復帰ではないので、引き続き出しやすいE号で、さらっと回ってきただけです。本来なら、偽クロモリのD号で行くとこだけどね。

 

 まあ寒すぎて、ぶっちゃけモチベも低かったんだが、一応行ってきました。もう俺も真冬は完全休養しようかと、今年味を占めてしまいました(^ω^)

 

 時間は全部で3:45で、前回と全く同じ。神野良(`・ω・´)(無意味) 距離は全部で30kmぐらいかw

 

* ルート

 

 最初に、野良オジの訪問を待ちわびている、愛しきハクチョウたちにあいさつに参りましたね。いつも通りいましたが、少し数が少なかったかな。餌付けしない方針なんでね。でもどこも多少はしてるし、白鳥もそれを期待してるみたいなんでw、保存会の方はちょろっと上げてほしい。そうしないと来なくなってしまうのではないかと心配しますw

 

(昔はがっつり餌付けしてたらしいので。また全国各地を見ても、普通にやってるとこが多いから、埼玉だけがやせ我慢して正論を通したところで意味はありません。売国環境破壊してなんぼの世の中ですマスゴミやユダ西専門家の言うことをうのみにしてはいけません詐欺です(^ω^))

 

 今回は、雨が少ないせいで、荒川の水位が過去一下がっていて驚いた。川底が半分近くまであらわになってたかな。洗濯板のような岩場が出ていて、苔がついているのが見えました。そういう水草類を食べているのだと思いますが。しかし人がやるパンくずのほうが圧倒的に高カロリーで受けるはず(^ω^)(脳筋サイクリスト的発想)

 

 今日は全体的に風が吹いてて寒かったね。晴れてていい天気だったんだが、まだ真冬でした。

 

 そこから、鹿島古墳群のほうまで足を延ばして距離を稼ぎました。E号だから、D号よりも負荷が低くなってしまうので、無駄に走りました。

 

 まあ鹿島古墳群のとこは、管理が行き届いてないことがほぼわかってた。二、三年前にも来たことがあって、そう感じたんだが、まあここ最近の状況を見てても、まず改善してるとは思えなかった。

 

 ロウバイは咲いてて、かなり近くで見られるので、においも楽しむことはできます。しかし、そういうわけで、木なんかも大分傷んでいて、もはや廃業寸前の状況ですかね。ここは、一般の方の植樹で成立してるようなんだが、放置状態のようで、もうすぐ終了しますね。わざわざ見に行くほどのとこでもないです。ここは残念なとこで、古墳群も漠としてるし、河原もいいとこなんだが何の工夫もなくて、殺伐としてます。いかにも埼玉らしいとこですね(^ω^)(無気力、過疎、開発下手)

 

 まあ今回も思ったが、本来はいい地域のはず。本田というとこですね。中世には最高の場所だったはずです。私はクロスバイクで最初期に来たことがあるので、懐かしさを感じる場所です。この川本の畑や道は、埼玉にしては驚くほど洗練されていて整っています。道は走りやすくて気持ちのいいところです。それはそのように、中世の政治がよかったからだと今ではわかります。

 

 だが、現在では放置されています。しかし、埼玉の父なる川である荒川の両岸が、こんなにさびれてしまっているのは悲しみの極みです。最初期から来てるのですが、熊谷駅から上流の地域が放置状態でひどいことになっています。楽しめるところではありません。とても人に見せられないような荒廃した地域です。どうして埼玉県の行政は、荒川をこのような姿に放置できるのか理解に苦しみます。

 

(それについても、考えが走馬灯のように頭の中を巡っていますが、浦和批判にしかならないのでやめておきますやった)

 

 それで道のりを稼いで、同じ道をバックして、例の畠山重忠公史跡公園に向かいます。ただし今回は、途中で白田山満福寺に寄りました。存在は知っていたんだが、参拝したことはなかった。しかし今回は余裕があったせいか寄りました。えーとそこに至る道の舗装が改善してましたw 植松橋のすぐ下のところの信号に入り口がありまして、それが重忠橋のほうまで続いていて、満福寺から記念史跡公園に行けるようになっている道ですが、確かに舗装があまりよくなかったw しばらく工事してましたが、きれいになっていました。そんなのもあって寄ったw

 

 立派なところでしたし、認識が間違ってた。知っていたんだが、重忠公の本当の墓地にはいくつか説があると思う。確かなことがよくわからない。ここにもありました。菩提寺だということなんだが、墓所は史跡公園のほうにある、と言われている。移動したとかいう話もあって錯綜しているので、各自で確認してくださいw 多分公園に移されているんではないかと思うが、元々は満福寺にあったのかもしれません。それで満福寺にも五輪塔がありました。写真参照してください。

 

 あと横に立派なお堂があり、そこが菩提所(観音閣)と言われているんだが、なんとそこに等身大の千手観音像が祀られているとのことです。その大きさはなんと、六尺三寸だそうです!

 

 やはり重忠公は、決して小さくはなかった、むしろ巨漢ともいうべき偉丈夫だったようですね。そうではないのかと私は思ってた。私が見たいろんな資料などでは、体が小さいというものは一つもなかった。何故かそんな風説が流布されているが、悪意の印象操作である可能性が高いと思います。

 

 重忠は頼朝にたびたび先陣を任された経験があり、確か都に入るときもそうだったので、おそらく見栄えもとてもする立派な武士であったのだろうと私は想像しているわけです。西国人が最初に目にする東国武将が先陣にいるわけですので、そこに最高レベルに見栄えのする人間を置くのが当然の措置と思われるからです。

 

 そう考えると、文武と将としての器、さらに容姿にも秀でた、本当に非の打ちどころのない立派な武士であったということになります。どうしてこんな北武蔵からそんな人材が出たのかというのは不思議ですらありますが、事実でありますw 私が思うには、これほどの人材がたまたま出たということは考えられないと思います。おそらく血筋は悪くなく、秩父など北武蔵(桓武平氏)一族の期待を背負った、選び抜かれた英才だったのだろうと見ています。それだけにマークもきつかったわけでしょうが。

 

 今回たまたま堂に寄ってみたところ、そのような情報が書かれていたので、確信が深まりました。六尺三寸が事実なら、190cmの巨漢ということになります。多少盛ってあるにしても、当時としてはかなり長身だったのではないかといえるかと思います。そうでこそ、大力の伝説もあったのかもしれないわけです。

 

(重忠は北条氏にとってはコンプレックスなので、記述はいろんな意味でうのみにできないので、要注意ではある。とか言ってるが、原文は全く見たことがないww)

 

 それであとは公園によってお墓参りして帰還です。大体年初のルーティーンですねw 多分サイクリング始めてから毎年来てる。当初は重忠のことなんか何も知りませんでしたからサイクリングのおかげで俺の武蔵魂も目覚めた(^ω^)

 

 上々でした。楽しめましたね。風が冷たくてなかなかつらかったが、真冬だから仕方ないw そろそろ本気出せるといいんですけどね。

 

* まとめて横伸び写真集垂れ流し