占い師けんけんTV
…という名前のYoutubeチャンネルをご存知だろうか。
チャンネル名に “占い師けんけん” とあるが、
けんけんは占い師ではなく、観相師、デバンカーとのこと。
けんけん先生は (なぜ先生と呼ばれるのかは知らない)、
占いや、霊、超能力などのスピリチュアルを完全否定し
オカルトや都市伝説などを科学的に考察しては
間違っている、根拠はないなどと否定的に結論付ける。
「みんなを不幸にするもの、それはスピリチュアル!」
というフレーズに始まるけんけん先生の動画は、
「パワーストーンはただの石」
という決まり文句で終わる。
そんな動画を見ている視聴者側としては
けんけん先生の歯切れのいい話し方と、
まったく隙を与えない論理的な考察に対して、
爽快感だったり、すっきりとして
気持ちがいい人もいるのかもしれない。
しかし私はそうではない。
考察の道筋は否定し得ない部分もあるのだが
けんけん先生がスピをここまで憎むのには、
これまでの人生で一体何があったのだろうかと
考えてしまうのだ。
すぐに人を「バカ」「クソ」「ゴミ」などと
平気で何度も発言し、
人を批判ばかりする様子は、
人生の中で起きたその何かのせいで、
性格や人格がねじくれてしまったとしか考えられない。
スピを否定し、詐欺被害者の救済を謳っているけれど、
本当に救済が必要なのは、
けんけんさん、あなたじゃないですか?
・・・
私は、
「パワーストーンはただの石」という言葉や
心霊現象を100%否定するとか
あやふやなものに対して、
例外なくすべてに白黒つけていく
…っていうようなやり方がすごい嫌いなんですよね。
母はけんけん先生が大好きで
いつもけんけん先生の動画を見ている。
感情だけで生きてる人(母)が、
論理的に繰り広げられる自論を信じると、
感情的な判断で『けんけん先生=正義』
となっているんだから、もう止められやしない。
それを見ていて、私は色々な感情を抱くのだ。
・・・
けんけん先生は、初詣とか行かないのかな。
お守りとかも持ったことないのかな。
「パワーストーンはただの石!」
と言うのなら、
「お守りはただの布と紐と厚紙!」
と言って引き裂いて捨てるの?
…という話です。
それを信じていて、それで幸せになる人がいるなら
それでいいじゃないの?
って思ったりするんだが、、、
この考え方をマカロンでけんけん先生に送ってた人が、
名前をYouTubeのチャンネル内で晒されて、
けんけん先生にズタボロに言われていたのが
すごい可哀そうだった。
私が無知なの?
スピはすべて詐欺で犯罪なんですか?
詐欺やら犯罪だと言うなら分かる。
だけどそうではないのなら、
そもそもスピ全面否定する必要あるの?
って思うのよね。
何を信じるかは人それぞれなんだから。
どうして「宗教はみなカルト」と言うのだろう。
けんけん先生に対しては、
正直、もう憐れみの気持ちさえ浮かんでくる。
寂しい人なんだろうなって思ってしまう。
・・・
私は無宗教ですけど
中高がカトリックの学校だったんですよね
それで聖書がいつも手の届くところにあって
その名残で大学生になってもそばに置いておいたんだけど
死のうかと思った時に
どうして死んじゃいけないのかなってすごい思って
その理由を必死に探して、それだけを考えながら生きていて
その理由が見つからないのなら
死んでもいいかなと思っていて
そんな時にふと私が手に取ったのが聖書で
殺してはならない、そして自死も同じく
その十戒を破ることになる
そして苦しい時、神様は手を差し伸べてくださる
と知った
中高時代には気にも留めていなかった一節が
私を救ってくれた
きっとこの感情は
絶対に誰にも分かってもらえないと思うけど
その時すごい涙があふれて
大学の図書館で嗚咽を挙げながら泣いたんですよ
“自殺はダメ” “死んじゃダメ” “親が悲しむよ” …どんな言葉より、
『神様から禁じられている』ことが、
一番すっと懐に落ちて、納得できて
だから、私は死んだらいけないんだなあって
思えたんだ。
神様は必ず手を差し伸べてくださるから。
それから少しして、大学から徒歩で
遠く離れたカトリックの教会に行った。
教会はネットで探して行った。
中高時代は、悩んだときは校内にお御堂があって
そこで祈りをささげることができたけど
卒業した今、そういう場所がなく。
突然、初めて訪れた教会で、中に入らせてもらえるものか
と思ってネットで調べたら、
「見学させてもらえますか?」というと入らせてくれる
と書いてあったので、その方法で行ってみた。
最初教会は閉まっていたが、
諦めきれず、
雪の降るなか、外で1時間くらい待っていると
50代くらいの質素な服装の女性が横から出てきて
見学を希望すると入れてくれた。
とても寒い日だった。
教会はとてもきれいだった、
幼稚園に併設?同じ敷地内にあったので
そこまで大きくないイメージだったが
入ってみるとそこそこ大きくて壮大な雰囲気だった
何分滞在したのだろう、30分くらいか
誰もいなかったので、大声で泣き続けて
涙がつきて外に出たら
先ほどの女性が立っていて
泣き顔を見られたくなくて
うつむいてお礼を言って去ろうとすると
「またいつでもいらしてください」と言われた
ああ思い出してもまた涙が出てくる………
イザヤ書41章10節
恐れてはいけない。私があなたと共にいる。
心配してはいけない。私があなたの神である。
私はあなたを強くし,必ず助ける。
私の正義の右手であなたをしっかりと支える。
繰り返すが、私は無宗教だ。
だけど、キリスト教を『宗教』だというなら
こうして宗教に救われた人もいる。
いや、現在進行形で救われているのかもしれない。
・・・
宗教はみなカルトとしか思えないけんけん先生。
このブログを書いているうちに、
けんけん先生に対する気持ちが変わっていた。
なんだこの人、言葉も汚いし
人を批判してばっかり、私はきらいだな。
そう思っていたけど
今は、なんだか、かわいそう。