30歳で、私がオランダへ行くことになった
当時の転機となった出来事を綴っています。
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「産むことにします」この発言が、後にありとあらゆることに
どんな影響を与えるかは、そのときは想像すらしていませんでした。
当時、私は大手企業出資の教育施設に転職していて、
それまでの英語教育というキャリアの集大成的な仕事を
手に入れていました。
新しい施設を作る企業に、その立ち上げスタッフとして採用された私は、
英語教育プログラムに関するすべての決定権も同時に
与えられていました。
これは、現在でもそうなのですが「立ち上げ」として今でもお仕事で
関わりにならせていただくことが不思議と多いのです。
どの企業先でも「自由にしていいよ」とおっしゃっていただくのです。
私はその言葉を当時も、「信頼されている証のお礼」として
一生懸命返そうと働いていました。
どんなスタッフを採用するか、プログラムをどんな風に組んで仕掛けるか、
設置する備品の発注ににいたるまで、連日書面を確認したり
アメリカとのメールのやり取りのコーディネートをする多忙な毎日でした。
CANDYに囲まれて仕事をしているところ
当時の関西にはまだなかった、算数、科学、体操、音楽、図工など
学校で習う教科をすべて英語で教育し、子供たちの能力を引き出して
世界に活躍する国際人を育てようというテーマで始まったスクールです。
今でこそ、そのようなスクールはあちらこちらにありますが、
当時はまだ珍しく、各方面から取材や視察など、
地元ではいち早く話題になったのを覚えています。
特に私が入念にコーディネートしたのが、教室の中のすべての配置です。
まるで、日本にいながらアメリカの幼稚園や小学校にいるような
別世界のようなデコレーション・配置に徹底的にこだわりぬきました。
それは私にとってもっとも楽しい作業で、頭の中で思い描いている
イメージをひとつひとつ細部にわたるまで形にしていくことは、
絵を描くことに似ていました。
小さい頃から、人見知りのはげしかった私は、自分の思いを
表現することがなかなか上手ではありませんでした。
しかし、そんな私でも唯一の表現方法が絵を書くことや
工作をすることでした。
言葉はうまく出てこなくても、思っていることや感じていることを
目に見える形で表現することのほうが当時の私にとって、
とても容易だったのです。
運よくそれを、周りの大人や先生達からほめてもらって育った私は、
今度はもっとみんなに「びっくり」してもらいたい為に、
とてもよい方法を思いつきました。
その2 誰も知らない30歳の一大決心 ・・・につづきます・・・

