大好きな森博嗣先生のデビュー作品です。
最近はドラマ化に引き続きアニメ化もされましたが、私は両方観ていません。
他人のイメージによって、私が昔から持つ作品のイメージを崩されたくないからです。
森先生は「自分と他人のイメージは決して同じにはならない。同じになる方が気持ち悪い」
と言っていました。私もそう思います。


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この記事では「四季シリーズ」「すべてがFになる」の内容に触れていますので、
作品を未読の方はお気をつけください;;



「すべてがFになる」では、"エネルギィと人類の問題"や"生命"に関することがテーマになっていると思います。
このテーマは森先生の著書の中に以降も何度も出てきますが、、、
特に生命とコンピューターサイエンスに関することは四季自身の重要なテーマでもあると思います。


【お気に入りの箇所】

P20 :
他人と実際に握手をすることでさえ、特別なことになる。人と人が触れ合うような機会は、贅沢品です。
エネルギィ的な問題から、そうならざるをえない。人類の将来に残されているエネルギィは非常に限られていますからね。
人間も電子の世界に入らざるをえません。地球環境を守りたいのなら、人は移動すべきではありません。
私のように部屋に閉じ籠るべきですね。


P228 :
大人の社会の醜さにいずれ彼らは驚くことだろう、と突然の連想をして犀川は独りで苦笑した。
大きな岩が長い年月をかけて砕かれ、こうして海から吐き出され、浜に集まってくる。
水を吸うことを覚え、流れることを覚え、変化することを覚えることごとに、小さくなるのだ。


P278 :
「この世界ではね……。西之園さん」女はゆっくりと答えた。「知りたいことは、すぐ目の前で見られるのよ。話したい相手はいつも目の前にいる。それが、ごく自然なことです。それが当たり前のことなの。そうでしょう?もともと、世界はこうだった。でも、今の貴方の世界が、どれだけ中途半端で不自由か考えてごらんなさい。遠くの声が聞こえ、遠くのものが見えるのに、触れることはできない。沢山の情報を与えられても、すべてが、忘れられ、失われるしかない。情報の多さで隣の人も見えなくなる。人はどんどん遠くにいってしまうわ。何故、そんなに離れて、遠ざかっていこうとするのかしら?ピストルの弾が届かない距離まで離れようというのかしら?目の前にいると相手を殺してしまうからなの?ねえ、西之園さん……。神様だって、どうして、あんなに遠くにいるの?本当に私たちを救って下さるのなら、何故、目の前にいらっしゃらないの?おかしいでしょう?」


P308 :
Time is moneyなんて言葉があるが、それは、時間を甘く見た言い方である。
金よりも時間の方が何千倍も貴重だし、時間の価値は、つまり生命に限りなく等しいのである。


P356 :
今に、電子空間で手も握れるようになる。肉体的な感触のレスポンスが欲しいというのは、
人間の贅沢な欲求だけど、多少のエネルギィの無駄遣いで解決する。


P358 :
「そう、ほとんどの人は、何故だか知らないけど、他人の干渉を受けたがっている。でも、それは、突き詰めれば、自分の満足のためなんだ。他人から誉められないと満足できない人って多いだろう?でもね……、そういった他人の干渉だって、作り出すことができる。つまり、自分にとって都合の良い干渉とでもいうのかな……、都合の良い他人だけを仮想的に作り出してしまう。子供達が夢中になっているゲームがそうじゃないか……、自分と戦って負けてくれる都合の良い他人が必要なんだ。でも、都合の良い、ということは単純だということで、単純なものほど、簡単にプログラムできるんだよ」

「そうやって、個人を満足させる他人をコンピューターが作り出して、その代わり、人はどんどん本当の他人とコミュニケーションを取らなくなる……、とういうことですか?」
「そうだね……、そう考えて間違いないだろう。情報化社会の次に来るのは、情報の独立、つまり分散社会だと思うよ」


P466 :
時限装置は、最初から、FFFF時間後、つまり、65535時間後にセットされていた。
真賀田博士の砂時計は、あの日の65535時間まえにスタートしたんだ


P487 :
昼寝のために膨大な電気を消費して空調が働いている。火力発電は空気を汚す。水力発電は水系の生命を殺す。
送電線のために森林は伐採される。そうやって、何かの生命を奪わないかぎり、人間は昼寝もできないのだ。


P495 :
「死を恐れてる人はいません。死にいたる生を恐れているのよ」四季は言う。
「苦しまないで死ねるのなら、誰も死を恐れないでしょう?」

「そもそも、生きていることの方が異常なのです」四季は微笑んだ。「死んでいることが本来で、生きているというのは、そうですね……、機械が故障しているような状態。生命なんてバグですものね」
「バグ?コンピュータのバグですか?」犀川は一瞬にして彼女の思想を理解した。プログラムに潜んでいるミス……、そう、バグかもしれない。神の作ったプログラムのバグこそ、人類といえる。

「そう、たとえばね、先生。眠りたいって思うでしょう?眠ることの心地よさって不思議です。何故、私たちの意識は、意識を失うことを望むのでしょう?意識がなくなることが、正常だからではないですか?眠っているのを起こされるのって不快ではありませんか?覚醒は本能的に不快なものです。誕生だって同じこと……。生まれてくる赤ちゃんって、だから、みんな泣いているのですね。生まれたくなかったって……」


P497 :
「どうして、ご自分で……、その……、自殺されないのですか?」
「たぶん、他の方に殺されたいのね……」四季はうっとりとした表情で遠くを見た。「自分の人生を他人に干渉してもらいたい、それが、愛されたい、という言葉の意味ではありませんか?犀川先生……。自分の意思で生まれてくる生命はありません。他人の干渉によって死ぬというのは、自分の意思ではなく生まれたものの、本能的な欲求ではないでしょうか?」



森博嗣の作品を一般的な順番(出版順)で読んだ私には、天才、真賀田四季の殺人に至る考えなんて少しも理解できませんでした。
しかしそれは、四季シリーズなどを通して、真賀田四季という人間の生い立ちや心情に触れることによって少しずつ明らかになるのです。
四季シリーズを読んだ後にこの本を読み返してみると、また違った印象を持ちました。
「すべF」と「四季シリーズ」は切り離せないと思います。
というか私の中ではメインは「四季シリーズ」で「すべF」は、パンケーキの上のクリームのよう、、
ちなみにクリームは、、単体ではあまり食べられません;;


犀川先生も、萌絵ちゃんも、最後まで真賀田博士の犯した殺人の真意にたどり着けませんでしたね。
犀川先生なんて、最後に四季と会った際、最愛の叔父と娘を殺害した理由について
「新藤が四季の両親を殺したことに対する復讐か?」と四季に尋ねでいます。これは読者の疑問を代弁してくれているのでしょう。
だって彼自身、そう信じてはないって言っていたし・・(こんなところに見える森先生のジョークですね。)

しかし実際、母親を刺したのは四季自身です。父親を刺した時は叔父が四季の背後から一緒にナイフを持っていたのだと私は思います。
しかしその描写は「すべF」には書かれていません。四季「夏」から引用することになりますが、、

四季は新藤が持っているナイフを取り上げようと手を伸ばした。彼の意思が確かめられただけで十分だった。
「私がやります」四季は小声で囁く


つまり、両親殺害は四季本人の意思(無言ではあったものの、叔父の意思も感じられた)であることが分かります。
それに「すべF」で四季も言ってますが、復讐とは敗北を経験したことがない自分にとっては概念すらない、、と。
なので叔父を殺した理由は復讐ではありませんでした。では何故殺したのか・・。それはとても切ないお話になりますが
私はこれ、理解するのに何度も読み返しました。そして自分なりの理解で落ち着きました。
叔父を殺す理由は「約束したから」です。叔父である新藤殺害のシーンは四季「冬」からの引用です。

「僕を、殺してくれるんだね?」彼は言った。彼の瞼が一瞬震える。「はい、お約束しましたから」彼女は頷いた。
何かの拍子に、ちょっとついてしまった傷。それが人の約束。表面的な、すなわち装飾的な、傷痕。
「自殺しなくて、良かった。今まで生きてきて、本当に良かった。君に殺してもらえる夢を、何度も見たよ。ああ、本当に……」息を吐き、新藤は口の形だけで笑った。「その救いのために……、今まで、ずっと僕は……」


基志雄との会話ではこのように語られています。

「彼が命乞いをしたら、殺さなかった?」
「当然です」
「では、何故、彼は命乞いをしなかったのだろう?」
「それが、私に対して愛情を示す唯一の方法だと彼は考えた」
「君はそれを評価する?」
「ええ」
「だから期待に応えて、殺したの?それが、彼の愛情に応える唯一の方法だと考えたから?」
「いいえ」四季は首をふった。
「それが、彼の愛情に応える唯一の方法ではなかったけれど、ただ、彼の手前、それが唯一の方法だと考えている振りをしただけ」
「そうか……」基志雄は頷いた。「彼に合わせてあげたんだね」
「ええ」

真賀田博士の第一印象は、とても無機質なものでした。しかし、四季シリーズを読んでみると印象を大幅修正せざるをえません。
彼女にも愛情があったのです。というより、生まれた時から愛というものに対して激しく執着している様子があります、、
しかし愛などという非論理的な概念は、天才 真賀田四季の思考にとってはウイルスのようなものです。
だからこそ、基志雄などの別の人格を自らの中に作り出し、訳のわからない感情からの自己防衛をしているんですよね。。
天才も、一人の女性、そして、母親だったのですね。新藤を殺さなければならなかった彼女の気持ち、、辛かったことでしょう。
しかし彼女は、やると決めてやらなかったことは一度もありません。。なんてかわいそうな天才、、


さて、次に疑問なのは「何故、娘を殺す必要があったのか」です。
「すべF」の中では、娘は天才ではなかった為に母親を殺せなかった。とありますが、、
そもそも最愛の娘を殺してまで研究所を脱出する必要があったのか。と凡人の私は思いました。
これも「すべてがFになる」では明らかになっていません。誰も分かるはずなんてないのですが・・

この理由は、四季「冬」で明らかになりますね。私はこの理由に触れた時、感動で泣きそうになりました;;

「わしが初めて君に会ったとき、君が、あの冷凍保存された手首を見せてくれたとき、わしはなにも言わずに、それを引き受けただろう?」
「はい、そうでした」
「つまりは、わしが切ることのできなかった姉の指への償い、そう直感したからだ」
「よくお話し下さいました」四季は頭を下げた。

今でも、
ときどき考える。
彼女を、
道流を、
自由にしてやりたかった。
肉体の機能停止などといった些末なことで、
精神が消えていくなんて、
二度と戻らないなんて、
なんて馬鹿馬鹿しいことだろう。
死にたくないのに、
死んでいくなんて、
馬鹿げている。

私は、既に、あの細胞を、自分から切り離していたのです。
ドクタにお預けしたときには、既にわたしはそれを諦めていた。
自分ではどうにもできない、と考えていたのです。
失礼ですが、だからこそ、人に託すことができた。


以上が、四季が娘を殺して四肢を切断した彼女の意見です。彼女は人の死とはその者の精神や思考が失われた時だと考えています。
よって、それらを包む器の機能停止によってミチルが死ぬということが、かわいそうでならなかったんでしょうね。
彼女が研究所を脱出した時には、既にウォーカロンがある程度、形になっていました。しかし、それを完成させるためには
あの研究所では無理だった。そこで彼女は脱出する必要があったのですね。

ウォーカロンのパティと四季の会話が数ページに渡って書かれていますが、そのシーンを読んで、
天才の孤独に触れ、感動された四季ファンの方は私以外にもいるはずです。全ては書ききれませんが
ここは四季シリーズで最も価値のあることが書かれている箇所だと思うのです。

「あの頃は、ずっと楽しい毎日でした。私の人生の中で一番楽しかった、と言えるかもしれません。環境がとても純粋でしたし、広がる未来、無限の可能性を常に見通すことができた。それに手が届くと思いました。なにもかも、自分のものだと……。けれども、娘が死んだときに、いえ、娘が死んだときも……、同じように、私には、沢山の課題があって、やはりこれを解決すべきだと、興奮しました。私は、そのときね……、パティ」(中略)「そのとき、私は、ミチルの死体をバスルームへ運んで、彼女の腕を切ったの」(中略)「ノコギリで切りました。金属を切るための、弓形のノコギリよ。それを、こうして……」四季は、パティの手首を掴み、もう一方の手を、その上で前後に動かした。(中略) 四季は、握っていたパティの手を離し、椅子の背にもたれかかった。溜息をつき、目を閉じる。もう涙は乾いていた。これからはずっと、乾いているだろう。一つの処理が終わったからだ。(中略)
「どうして、人間を相手に、それを言えなかった?」基志雄がきいた。
「人間がいないわ」
「僕がいるじゃないか」



四季は、新藤のこともミチルのことも愛していた。愛する者を殺す理由が「憎しみ」意外にあるということを
凡人には思いもつかなのですが、、彼女が二人を殺した理由はまさに、「二人を愛していた」からこそ。
四季が幼い頃から取り憑かれていたと言ってもいい。。愛情という最大の敵によるものだったのかもしれません。。


「すべてがFになる」からの考察、感想だったのに、半分は四季シリーズの内容になってしまいました。
森先生の本については今後も書いていきたいですが、本が多い;;
出てるものはもうほとんど読んでしまっているのですが、読み返したものから書こうかなと思います。。

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