日本民族 | パル、集団ストーカー被害で覚醒したこと(長距離ランナーの頭の中)

パル、集団ストーカー被害で覚醒したこと(長距離ランナーの頭の中)

 僕はランニング愛好家だが、よく人から走ってるときって何考えてんの?と聞かれる。自分の頭の中を我ブログを閲覧される皆様に公開して参考にして貰えればうれしいナ。

 今日よりブログを書いていきたいと思うのですが、できるだけ装飾を省いたシンプルなブログにしたいと思っています。当面は文字だけとか(笑) ジャックケルアックのようなスタイルで通したい!


 さてタイトルの日本民族ですが、これについて僕は集団ストーカーに遭遇してから日本人に生まれてよかった。日本を守らなねば。大和民族に生まれてきたことに今までよりずっとずっと誇りに思えるようになったんですね。


 日本は島国で今でこそ海外に飛行機や船ですぐ行ったり来たりできる時代になってるのですが、昔は朝鮮やシナに行くだけでも命がけ、帰るのも命がけだったと思います。大海が周りを囲ってるおかげで日本民族はたいして外国人の血を混ぜずにある時は戦いもし(元寇とか)そして肩を寄せ合って仲良く暮らしたわけです。


 僕は父母が在って、この世に生まれたのですが、その父母もそれぞれに父母がいて(僕からみると祖父母)それを何代も何代もさかのぼっていくと膨大な人数になるわけですね・・・当たり前の話だけど。


 その祖先は決して子供がいてお父さんお母さんおじいさんおばあさんがいるよく家族の素晴らしさを言う人がイメージして話すような典型的な家族の祖先ばかりではもちろんないと思います。が、祖先が懸命に生き抜いてこその今日の僕たち皆の存在なのは間違いありません。

 また例えば大化の改新や壬申の乱の頃は日本の人口はせいぜい600万人くらい(今は1億2000万)であったのですから、僕たちはみな親類関係であったのです。


 そうやって命がつながったのは天皇家があったからだと思うのですね。仁徳天皇は高台の上から民のかまどの上から煙が立ってないと自分のことのように悲しまれ、衣服はボロを着て雨漏りのする住まいにお移りになられたそうです。外国の博物館に行くとどこも王族は贅沢三昧なのがわかります。このような天皇家の伝統が日本民族のアイデンティティそのものなのだと思います。


 僕は都会ではなく農村地帯で育ちましたが、例えば子供会でクリスマス行事があれば子供たちはモミの枝を木からのこぎりで落として公会所の柱に結わえ付け、お決まりの飾りつけをしましたが、お母さんがたは朝からコメや野菜を持ち寄り半日がかりでカレーを作っていました。カレーのルーは市販のものでおそらくハウスバーモンドカレーかなんかでしょうがそれでも手間暇かけてもらってありがたかったです。その後、小学校も高学年になると簡略化されボンカレーとなりました。まあいろんな場面でうちの子もよその子もない、そんな空気で育ちました。


 またこれは実家にあった本で戦前の思い出話を集めた本なのですが、農家などでは田植えとか繁忙期になると大人たちはとても忙しいので当時はどこも子だくさんで小学生が乳飲み子の弟や妹をおぶって学校で授業を受けたそうです。そして休み時間になると女先生がおっぱいを飲ましてくれたそうでそれをのちまでずっとずっと感謝してるという話が載ってました。今の日教組先生とは世界が違うようです。


 いろいろ書きましたが、日本民族はこのように助け合ってまいりましたし、家族だけでなくそれをずっと押し広げて八紘一宇の精神で外国にも尽くしてまいりました。


 ところが朝鮮人などは恩をあだで返しているのですから情けない限りです。


 集団ストーカー被害に遭って日夜苦しんでいる同胞へこのブログを送ります。