みなさま、こんばんは。
「ブラックペアン2」の第1話を見ました。自分の学びに対する葛藤や日々の疑問、高次元さんが学んでいる私の姿勢をどう思っているか等ちょっと見入ってしまう内容でした。
手術の条件として賭け(運試し)を要求し、掛け金を全財産の半分要求する天才心臓外科医の天城先生と天城先生に「ジュノ(青二才)」とあだ名をつけられた青年の世良先生。相反する思想を持った二人がメインで第一話は描かれていました。
いろんなことがあって世良先生は天城先生を探し出して日本に連れてくる(手術を引き受けてもらう)というミッションを遂行しています。天城先生はなんくせもある先生、首を縦に振りません。食い下がる世良先生に天城先生はとどめを刺すように言い放ちます。
「寝ないでずーっと努力してたどり着いたところが頂きが技術ではない。」
「手術は芸術、シンプルゆえに難しい。」
「一生かかっても君たちには無理。」
このやり取りから私の思考癖や変ながんばりぐせがまだ標準装備であること、課題克服が一生かかっても無理と思っている高次元さんが思い浮かびました。
「人生で一番大切なものは何だと思う?」
「執念だよ。」
「執念が一度見捨てた神を振り向かせた。」
「神と悪魔の共同作業が奇跡を起こすんだよ。」
執念とも言うだろうし、高次元的根性ともいうのかなと思います。絶対やってやるという気概を行動で表現し続ける。泥臭くてもみっともなくてもやめないこと。日向さんの掌の元、変わりたい自分と変わりたくない自分を突き合わる。いらないものは捨てる。大事なところは伸ばしていく。そういう意味では「自分との向きあい」は自分の陰と陽の共同作業ともいえるのかもです。
「生きたいと思って使ったお金に高いも安いもない。」
「時には何億、何十億の価値になる。」
「だって一生かかっても(他の医師には)できないから。」
掛けや手術の代金を法外な価格で要求する天城先生。でも、「生きたい」と思って使ったお金に高いも安いもないのかもしれないのはその通りだと思いました。価値の話、「一生かかってもできないから。」・・・・・。
一生どころかずーーーーーーーっとできないことを学びの場では学ぶだけでなく、仲間とともに経験させてもらっている事実。これも日向さんがあれこれご尽力してくださっているおかげで人間の世界の価値観の範囲の支払いですませていただいているということ。
ブラックペアン2は想像以上に私にとって今後日向さんの教えを実践していく気があるのかどうか高次元さんからの問いかけのようなドラマに受け取れました。
結果的に「僕のやり方を通させてもらう。」と条件付きで天城先生は日本に来ることになりました。そして、世良先生は「僕も自分のやり方を通し、目の前の患者さんを助けるために一生泥臭い練習を続けていきます。」と天城先生に宣言しました。
「青二才」とは「経験が不足していて未熟な男性」という意味だと今日知りました。女性には使わない言葉だそうですが、今の私にちょうどいい言葉でだからこそ、この場所で仲間とともに学ばせていただけているのだと思います。
それぞれ自分軸がしっかりある先生だけど、あだ名が「ジュノ」世良先生に共感できました。私は中途半端なところがあるから、なにか一本どっしりとした軸を通せるように愚直に日向さんの教えを実践していきます。
今日もお読みいただきましてありがとうございます。