この週末は、
溜まりに溜まった家の片付けをしよう!と、
心に決めていたんです。
最近、
部屋の中が、なんだか雑然としていて。
モノが多いというか、
居場所を失ったモノたちが、
あちこちに溢れかえっているような。
そんな感じだったんですよね。
そこで、
思い切って、
キッチンの棚の整理から始めてみました。
まずは、
古い調味料の整理から。
期限が切れているものとか、
存在すら忘れていた謎のスパイスとか。
そういうものを、
一つずつ確認して、
ゴミ袋へ入れていきます。
これって、
作業自体は簡単なんですけれど、
なぜか、
手が止まってしまう瞬間があるんですよね。
たとえば、
数年前に買った、
ちょっとお高めのドレッシング。
「これ、まだ開けてなかったっけ?」
そう思って確認すると、
しっかり期限切れ。
そんなものが、
次々と出てくるんです。
まさに、
『忘却の山』
とでも言いましょうか。
そう考えると、
片付けって、
モノを捨てるだけじゃない。
自分の過去の、
小さな記憶を整理する作業なのかもしれません。
なんて、
ちょっとかっこいいことを考えながら、
勢いに乗って、
どんどん捨てていきました。
気分は、
まるで断捨離の達人。
この調子なら、
夕方には、
モデルハウスのようにピカピカ!
そんな期待で、
胸が膨らんでいたんです。
けれど、
人生って、
そううまくいかないものですよね。
問題は、
ここからでした。
棚の奥から、
懐かしいアルバムが出てきたんです。
中学生の頃の、
恥ずかしい写真や、
友だちからもらった手紙。
こういうのを見つけると、
手が止まるのは、
当たり前じゃないでしょうか。
「懐かしいなあ」
なんて呟きながら、
つい、
読みふけってしまうんです。
気がつくと、
キッチンの床は、
広げたアルバムや手紙で、
足の踏み場もない状態。
せっかく棚を片付けたのに、
今度は床が散らかるという、
なんとも間抜けな展開。
こういうのって、
よくあることだと思いませんか?
片付けのつもりが、
ただの思い出話に変わってしまう。
あるある、ですよね。
ちなみに、
結局そのアルバムは、
「あとで見直そう」と、
リビングのソファの上に置きました。
そう、
ただ場所を移動させただけ。
根本的な解決には、
なっていないのです。
結局、
一日かけて頑張ったのに、
キッチンは少しだけ綺麗になったものの、
リビングはアルバムの山。
逆に、
散らかり具合が、
レベルアップしてしまったような気がします。
そう考えると、
片付けって、
ただモノを減らすだけじゃなくて、
『誘惑との戦い』
なのかもしれませんね。
みなさんは、
片付けをしている最中に、
つい脱線してしまうこと、
ありますか?
実は、
こういう脱線こそが、
日常の小さな楽しみだったりして。
本当は、
すっきりした部屋で、
優雅にお茶を飲む予定だったんです。
でも、
アルバムを眺めながら、
懐かしい友人に連絡してみたり。
それはそれで、
休日らしい過ごし方なのかなと思います。
もちろん、
また来週こそは、
ちゃんと片付けを終わらせたい。
そう思ってはいるのですが、
どうなることやら。
とりあえず、
散らかったリビングを横目に、
今日はもう、
ゆっくり休むことにしました。
こういう余裕も、
たまにはいいですよね。
また今度、
時間ができたら、
もう少しだけ頑張ってみようかな、
なんて思っています。
次は、
アルバムを開かないように、
気をつけないとですね。
そういえば、片付けをしている時に見つけてしまうものって、どうしてこうも魅力的なんでしょうか。
学生時代に買ったまま忘れていた、ちょっといい紅茶の缶。
旅先で手に入れた、使い道に迷う小さなお土産。
どれも、必要か不要かで言えば、今の私にはなくても困らないものかもしれません。
でも、それを手にした瞬間に、
当時の空気感とか、その時の自分の気持ちが、
ふわりと蘇ってくるんですよね。
これが、思い出の力というものなのでしょうか。
モノそのものには、
特別な意味なんてないはずなのに。
そこに、
『物語』
が宿っている。
そう考えると、ただ捨ててしまうのも、なんだか寂しいような気がしてしまいます。
もちろん、全部をとっておけるほどの広い収納スペースは、我が家にはありません。
だからこそ、時々は心を鬼にして、仕分けをしないといけないんですよね。
皆さんは、モノの処分、どうやって決めていますか?
私の場合は、
「また使うかどうか」
という基準だと、たいてい「使うかも」と思って残してしまいます。
結局、モノは減りません。
そういう意味では、私の片付けはいつも、
迷いとの戦い、
と言えるかもしれません。
最近では、
「いまの自分を、心地よくしてくれるか」
という基準で選ぶようにしています。
たとえば、
数年前に奮発して買ったけれど、あまり似合わなかった服。
それは、今の私を幸せにしてくれるでしょうか。
きっと、着るたびに少しだけ、心に曇りがかかる気がします。
逆に、
くたびれてはいるけれど、手に取るとなんだか安心するマグカップ。
それは、今の私にとって必要なもの、ですよね。
ようするに、
『基準』
を少し変えてみる。
それだけで、モノを見る目が変わってくるような気がします。
実は、こういう考え方って、
お出かけ先を選ぶ時にも似ているかもしれません。
「せっかくだから、評判のいい場所に行かなくちゃ」
そう思って、無理に予定を詰め込むことがありました。
でも、そんな日は、帰ってくるとどっと疲れが出てしまって。
最近は、
「今の気分に合うのはどこかな」
と、自分の心に聞いてみるようにしています。
天気がいいから、公園でただぼーっとしたいな。
ちょっと頭を使いたいから、静かな図書館に行こうかな。
そうやって、
自分の感覚を大切にする。
そういう時間を持つことで、
日常に、少しだけ余裕が生まれるような気がするんです。
それは、
自分自身を大切にすること、
でもあるのかなと思います。
さて、リビングのアルバムを片付けるのは、もう少し先になりそうです。
まずは、今夜はおいしいコーヒーでも淹れて、リラックスすることにしますね。
散らかった部屋のことは、一旦忘れて。
好きな音楽でも流しながら、ぼんやりする。
こういう時間こそが、明日を元気に過ごすための、一番のエネルギーチャージなのかもしれません。
みなさんも、たまには忙しい手を休めて、
のんびりする時間を意識的に作ってみませんか?
片付けなんて、
また次の休日にでも、
ゆっくりやればいい。
そう開き直ってしまうのも、
大人ならではの知恵、
ですよね。
さて、次はどこへ行こうかな。
あるいは、次のお休みは、どの本を読もうかな。
そうやって、
楽しい未来を想像している時間が、
一番の幸せだったりして。
また、そんな何気ない日常の出来事を、ここでお話しできればと思っています。
それでは、また。
そういえば、最近ふと思ったことがあるんです。
未来のことをあれこれ想像してわくわくするのと同じくらい、実は「過去の記憶を整理する」ということも、意外と大切なんじゃないかなって。
きっかけは、キッチンの引き出しの奥から出てきた、古いレシピのメモでした。
もう何年も前に、友人から教えてもらった手書きのメモ。
字の癖までそのままで、見つけた瞬間に当時のランチの風景がパッと蘇ったんです。
あの日、二人で食べたパスタのこと。
窓から入ってきた、少し冷たい風のこと。
他愛のない話で笑いすぎて、お腹が痛くなったこと。
そういう、「忘れていたけれど、実はすごく大切な瞬間」が、
日常のあちこちに、こっそりと隠れている気がします。
みなさんも、そんな経験はありませんか?
ふとした時に思い出す、ちょっとした思い出。
そういうのって、
自分を支える、
「根っこ」みたいなものなのかもしれません。
今の私は、毎日をなんとなく慌ただしく過ごしているけれど、
過去の自分が紡いできた小さな記憶たちが、
今の私を、少しだけ優しく包んでくれているような。
そう考えると、
片付けも、単なる「整理整頓」ではなくて、
「自分を見つめ直す作業」と言い換えることができるのかなと思います。
たとえば、
アルバムを整理している時に出てくる、
何気ない家族の写真。
その時は、
なんてことない、
ただの日常の一コマだと思っていました。
でも、数年経って見返してみると、
そこには、
言葉では説明できないほどの、
温かさが写っていたりします。
不思議ですよね。
時間は流れていくけれど、
こうして形に残るものや、
記憶として残っているものは、
私たちの心の中で、
いつまでも色あせずに輝き続けている。
そう思ったら、
散らかった部屋も、
少しだけ愛おしく感じられてきました。
だって、
この散らかりは、
私たちがここで、
一生懸命に生きてきた証拠なんですもの。
もちろん、
綺麗に越したことはありませんけれどね。
でも、
たまには、
そんな「生活の跡」を愛でる余裕も、
あってもいいのではないでしょうか。
ところで、
最近は、
カフェ巡りも、
少し変化してきました。
以前は、
「話題のお店」とか「映えるスイーツ」を目当てに、
遠くまで出かけていたんです。
もちろん、
それもすごく楽しいし、
新しい刺激を受けるには最高です。
でも最近は、
もう少し、
「自分にとっての心地よさ」を優先したくなりました。
たとえば、
家から歩いていける、
小さな喫茶店。
そこは、
古びた椅子があって、
店主さんが一人でコーヒーを淹れていて。
特別なメニューはないけれど、
そこに行くと、
なぜだか、
心がすっと軽くなる。
そういう場所を見つけると、
なんだか、
自分だけのお気に入りの秘密基地を、
見つけたような気分になります。
みなさんにとっての、
「ほっとできる場所」はどこですか?
大きな公園のベンチでもいいし、
近所のパン屋さんの帰り道でもいい。
そういう、
自分にとっての「聖域」のような場所を、
いくつか持っておくこと。
それだけで、
日常のストレスの受け止め方が、
少しずつ変わってくる気がします。
実は、
私も最近、
そんなお気に入りの場所を見つけました。
といっても、
本当に何でもない、
駅前の小さな公園なんです。
でも、
そこには大きな木があって、
今の季節だと、
木漏れ日がすごく綺麗なんですよ。
コーヒーを片手に、
ただ、
ぼんやりと木々を見上げている。
それだけで、
心のデトックスができるような感覚です。
「デトックス」というと、
少し難しく聞こえるかもしれませんね。
ようするに、
心の中に溜まった「もやもや」を、
外に出してあげるということ。
深呼吸するみたいに、
自分の中を、
一度空っぽにする時間。
こういう時間が、
現代を生きる私たちには、
必要不可欠なのかもしれません。
そう考えると、
休日の過ごし方も、
もっと自由でいいんだなって思えてきませんか。
「どこかに行かなきゃいけない」
「何かを成し遂げなきゃいけない」
そんな思い込みを、
そっと手放してみる。
そうすれば、
本当の意味での「休日」が、
始まるような気がするんです。
たとえば、
お休みの日は、
あえて予定を入れない。
朝は、
ゆっくりと起きて、
温かいお茶を飲む。
窓の外を眺めて、
風の音を聞く。
そんな、
なんてことない時間が、
実は一番、
贅沢なことなのかもしれません。
もちろん、
お出かけも大好きです。
新しいお店を見つけたり、
季節の花を見に行ったり。
それも、
かけがえのない人生の彩りです。
でも、
どんなに素敵なお出かけをしたとしても、
最後には、
「いつもの自分」に戻ってこられる場所がある。
それこそが、
幸せの土台なのかもしれませんね。
そういえば、
最近、
小さな観葉植物を育て始めました。
名前はまだないのですが、
毎日、
少しずつ水をあげて、
葉っぱの様子を眺める。
それだけで、
なんだか、
自分も成長しているような、
不思議な気持ちになります。
植物って、
喋らないけれど、
ちゃんと生きている。
私たち人間も、
同じように、
ただ生きているだけで、
十分なんだなって。
そうやって、
自分を肯定する時間。
たまには、
そんなふうに、
自分に優しくしてあげても、
バチは当たりませんよね。
さて、
ここまでいろいろと書いてきましたが、
何が言いたかったのかというと。
私たちは、
もっと、
自分のペースで生きていいということ。
誰かと比較する必要も、
無理に自分を飾る必要も、
ないんです。
今日という一日を、
丁寧に、
そして、
心穏やかに過ごすこと。
それができれば、
もう、
百点満点なんじゃないでしょうか。
明日はどんな一日になるのかな。
少しだけ早起きして、
美味しい朝食を作ってみようかな。
そんな、
ささやかな楽しみを抱えて、
今日はお布団に入ることにします。
みなさんも、
素敵な明日を迎えられますように。
それでは、
また、
お会いしましょうね。