今日も、
我が家の台所から、
お送りいたします。
みなさんは、
休日のお昼ごはん、
どうされていますか。
めんどうだなあ、
そう思うこと、
ありませんか。
パパッと済ませたい。
でも、
ちょっと美味しいものが食べたい。
そんなとき、
ありますよね。
たとえば、
お休みの日の、
お昼どきです。
お腹がペコペコで、
何か甘いものが、
無性に食べたくなる。
そんな瞬間です。
我が家でも、
まさに、
その瞬間が訪れました。
妻がボソッと言ったのです。
「ホットケーキ、
焼こうかな」
と。
これは、
スゴイ提案です!!
私の脳内では、
一瞬にして、
甘い香りが広がりました。
こんがりキツネ色に焼けた、
フワフワの生地。
その上を、
ゆっくりと溶けていく、
黄金色のバター。
そして、
たっぷりとかかった、
ハチミツの海。
想像しただけで、
ヨダレが出てきそうです。
本当に、
魅惑の食べ物ですよね。
では、いったい、
あの丸くて分厚い焼き菓子は、
いつから私たちの心を掴んで離さないのでしょうか。
少し、
話しは変わりますが、
子どもの頃を、
思い出してみてください。
日曜日の朝。
テレビの特撮ヒーロー番組が終わる頃、
台所からただよってくる、
あの甘い匂い。
「できたよー」
というお母さんの声。
あのときの、
胸がワクワクするような、
特別な高揚感。
覚えていますか。
ホットケーキを焼くという行為は、
単なる調理ではありません。
人によっては、
ノスタルジー、
つまり、
遠い昔の懐かしい記憶そのものを、
呼び起こす儀式なのです。
そう考えると、
ホットケーキとは、
ただの粉のかたまりではありません。
私たちの心の奥底にある、
純粋な喜びを、
引き出すための装置なのかもしれません。
これは、
スゴイことです!!
我が家でも、
さっそく、
その壮大な儀式が始まりました。
食器棚の奥から、
お菓子の本を取り出し、
粉の袋を引っ張り出す。
卵を割り、
牛乳を測り、
泡立て器でシャカシャカとかき混ぜる。
ボウルの中で、
白い粉が、
滑らかな液体へと変わっていく。
この過程が、
また楽しいんです。
少しずつ、
ダマがなくなっていく。
トロリとした、
完璧な生地ができる。
私は、
すっかり料理人モードです。
「フフフ、
今日の俺は一味違うぞ」
心の中で、
そうつぶやいていました。
では、いったい、
ここから何が起きたのでしょうか。
問題は、
焼きの工程です。
フライパンを火にかけ、
十分に温める。
薄く油をひいて、
一度濡れ布巾の上にジューッと乗せて、
温度を均一にする。
ここまでは、
完璧でした。
レシピ通りです。
プロのシェフ顔負けの手際だったと、
我ながら思います。
そして、
お玉一杯分の生地を、
フライパンの真ん中に、
優しく流し込みました。
ジュワァ……。
心地よい音が響きます。
丸く、
きれいな円形が広がっていく。
表面に、
プツプツと、
小さな泡が出てきたら、
ひっくり返すタイミングです。
ここです。
ここが、
最大の勝負所なんです!!
私は、
フライ返しをしっかりと握りしめ、
呼吸を止めました。
いざ、
勝負!!
一気に、
フライ返しを差し込み、
華麗に、
裏返しました。
パサッ。
……あれ?
思っていたのと、
ちょっと違います。
私の脳内では、
お皿の上で優雅に微笑む、
黄金色の円盤が、
再現されるはずでした。
しかし、
目の前にあるものは、
違いました。
見事に、
真っ黒焦げの、
何か別の物体です。
炭化していると言っても、
過言ではありません。
香ばしいどころか、
完全に、
苦い煙が立ちこめています。
我が家の台所が、
一瞬にして、
火事現場のような雰囲気になりました。
「きゃー!
何これ!」
妻が叫び声をあげて、
飛んできました。
私は、
ただただ、
呆然と立ち尽くしていました。
完璧だったはずなのに。
なぜ、
こうなってしまったのでしょうか。
ここで、
私は深く考えました。
人間、
失敗したときこそ、
立ち止まって、
その本質を見つめ直さなければなりません。
では、いったい、
私の何がいけなかったのでしょうか。
火加減だったのか。
それとも、
お玉ですくい取る量の問題だったのか。
あるいは、
私の心の隙が、
この黒焦げを生み出したのか。
そう考えると、
人生そのものと、
ホットケーキ作りは、
非常によく似ていると言えるのではないでしょうか。
どれだけ準備をしても、
どれだけ頭の中で完璧なシミュレーションを重ねても、
いざ実行というときに、
ほんの少しの油断や、
ほんの少しの気の緩みが生じる。
その結果、
思い描いていた理想とは、
まったく違う、
予想外の現実が目の前に現れる。
失敗。
それは、
私たちに何を教えてくれるのでしょうか。
失敗とは、
ただのダメ出しではありません。
実は、
自分自身の慢心を教えてくれる、
最高の教材なのです。
「俺は料理ができる」
そんな、
根拠のない自信。
そのプライドが、
強火のままフライパンを放置させ、
あの黒焦げの悲劇を、
生み出したのです。
そう考えると、
あの黒焦げのホットケーキは、
私にとっての戒めであり、
人生の師匠だったのかもしれません。
ちょっと大げさでしょうか。
でも、
本当にそう思うのです。
その後、
私たちはどうしたか。
もちろん、
黒焦げのものは、
そっとゴミ箱へ直行しました。
南無阿弥陀仏……。
心の中で、
小さく合掌しました。
そして、
二枚目は、
火を極限まで弱火にして、
じっくりと、
慎重に焼きました。
今度は、
見事な黄金色です。
ふっくらと膨らみ、
最高の焼き上がりになりました。
バターを乗せ、
メープルシロップをとろりとかける。
一口食べてみると、
言葉を失うほどの美味しさでした。
苦難を乗り越えたあとに食べる甘さは、
格別です。
人生も、
これと同じなのではないでしょうか。
失敗して、
焦がして、
煙に巻かれて、
大騒ぎして。
それでも、
もう一度火加減を調整して、
やり直せばいい。
諦めなければ、
必ず、
美味しい瞬間に出会える。
たかがホットケーキ。
されどホットケーキ。
一枚の粉のかたまりから、
私たちは、
生きる知恵のすべてを、
学ぶことができるのです。
だからこそ、
休日のお昼ごはんの失敗も、
無駄ではない。
そう、
心から思うのです。
明日からも、
人生という名のフライパンに向かって、
私たちは、
それぞれの焼き加減で、
挑戦し続けていく。
そう、
言えるのではないでしょうか。
では、いったい、
どうして私たちは、
そんなにも一生懸命に生きようとするのでしょうか。
フライパンの前に立ち、
じっと焼き上がりを待つように。
私たちはみな、
それぞれの人生という名の焼き色を、
求めているのです。
それは、
決して簡単なことではありません。
うまく焼ける日もあれば、
どうしようもなく失敗する日もある。
それでも、
また次の生地を流し込む。
そうやって、
毎日を重ねていく。
ここで、
少し、話しは変わりますが、
私たちのまわりにある「モノ」について、
考えてみたいと思います。
たとえば、
目の前にある、
ただの「コップ」です。
ガラスでできていて、
水を入れるための器。
ただ、それだけのものです。
けれど、
そのコップを、
職人が何日もかけて、
手で磨き上げたとしたら。
あるいは、
自分が大切な人からプレゼントされたものだとしたら。
そのコップは、
単なる「モノ」ではなくなります。
そこには、
特別な意味が生まれる。
温もりや、
思い出や、
誰かの優しさが宿る。
モノが、
モノ以上のものに変わる瞬間です。
では、いったい、
何がそれを変えているのでしょうか。
問題は、
『人間の心』
というものです。
私たちは、
自分の心を通して、
世界を見ています。
同じ景色を見ても、
美しいと感じる人もいれば、
何も感じない人もいる。
同じ雨の音を聞いても、
憂鬱(ゆううつ)になる人もいれば、
心が落ち着くと言う人もいる。
つまり、
世界そのものが変わっているわけではないのです。
変わっているのは、
私たちの内側にある、
生命状態(せいめいじょうたい)なのです。
そう考えると、
非常に面白いと思います。
私たちは、
自分の外側にある環境や状況に、
振り回されがちです。
「あぁ、今日は雨だから気分が悪い。」
「仕事がうまくいかないから、私は不幸だ。」
そんなふうに、
外側の出来事によって、
自分の幸せを決めてしまう。
でも、
本当にそうなのでしょうか。
ここで、
少し深い話に入ります。
東洋の古い哲学の中に、
『一念三千(いちねんさんぜん)』
という考え方があります。
少し難しい言葉ですが、
安心してください。
ようするに、
「私たちのひとつの心の中に、
宇宙のすべての法則が詰まっている」
ということです。
一瞬の心の中に、
三千もの世界が広がっている。
自分の心が曇っていれば、
目の前の世界はすべて灰色に見える。
逆に、
自分の心が輝いていれば、
どんなに厳しい現実の中であっても、
希望の光を見出すことができる。
あの、
一枚目のホットケーキを焦がしてしまった絶望も。
二枚目で上手に焼けたときの喜びも。
すべては、
私たちの心が作り出しているドラマなのです。
そう、
言えるかもしれません。
では、いったい、
どうすればその心を変えることができるのでしょうか。
もっと強く、
もっと優しく、
どんな困難にも負けない心を手に入れるには、
どうすればいいのでしょうか。
それは、
特別な修行をすることではありません。
山にこもって、
何年も座禅を組むことでもない。
もっと、
身近なところにあるのです。
たとえば、
目の前の相手に「おはよう」と声をかけること。
たとえば、
散らかった部屋を、
少しだけ片付けてみること。
たとえば、
目の前にある温かいお茶を、
ゆっくりと味わって飲むこと。
そういう、
日々の小さな行動の積み重ねが、
私たちの境涯(きょうがい)を、
少しずつ、
確実に変えていくのです。
これは、
スゴイことです!!
大きな変革は、
派手な奇跡から起きるわけではありません。
毎日の、
何気ない、
当たり前の日常の中にこそ、
人生を変える最大の秘密が隠されている。
だからこそ、
目の前のことを、
丁寧に生きる必要があるのです。
料理をすること。
掃除をすること。
誰かと話すこと。
一人で静かに過ごすこと。
そのすべてが、
自分という人間を磨くための、
かけがえのない時間なのです。
そう考えると、
日々の生活が、
まったく違った輝きを帯びて見えてきます。
ただの退屈なルーティンが、
自分を成長させるための、
尊い冒険に変わる。
それって、
すごく素敵なことだと思いませんか。
私たちは誰もが、
自分の人生の職人です。
うまく焼けない日があってもいい。
形が歪(いづ)んでもいい。
焦げ目を削り落として、
また新しくやり直せばいい。
そうやって、
自分だけの最高の味を見つけていく。
人生という名のキャンバスに、
自分だけの絵を描いていく。
だから、
安心してほしいのです。
今、
たとえ何かに失敗していたとしても。
たとえ、
煙に巻かれて途方に暮れていたとしても。
それは、
終わりではありません。
むしろ、
そこからすべてが始まるのです。
二枚目のホットケーキのように。
もっと美味しく、
もっと美しく、
自分を焼き直すチャンスは、
いつだって残されています。
明日も、
明後日も。
私たちは、
それぞれのフライパンに向き合っていく。
時には失敗し、
時には笑いながら。
自分の手で、
自分の人生を、
黄金色に染め上げていく。
そんな毎日を、
これからも大切にしていきたい。
本当に、
そう心から思うのです。
たとえば、
料理をすることだけではありません。
毎日の掃除や、
何気ない散歩の時間も、
同じことなのです。
ただの作業だと思っていたことが、
見方を変えるだけで、
全く違う意味を持って動き出す。
そう考えると、
私たちの日常というのは、
実に面白い仕組みでできていると言えます。
では、いったい、
なぜそんなことが起きるのでしょうか。
それは、
私たちが世界を見つめる、
その「レンズ」を変えたからです。
曇ったレンズを通せば、
世界はどこまでも灰色に見えます。
でも、
そのレンズをピカピカに磨いてみたらどうでしょう。
いつもの景色が、
まるで宝石のように輝き始める。
これは、
決して大げたな話ではありません。
私たちの心構えひとつで、
現実はガラリと姿を変えるのです。
本当に、
スゴイことだと思います。
ここで、
少し視点を変えてみましょう。
もっと大きな視点で、
この世界を見てみるのです。
私たちが生きているこの地球も、
あるいは、
広大な宇宙の片隅にある、
ひとつのフライパンなのかもしれません。
色々な材料が集まって、
時にぶつかり合い、
時に混ざり合いながら、
ひとつの大きな物語を焼いている。
そう想像すると、
なんだかワクワクしてきませんか。
自分という小さな存在も、
その壮大な物語の、
大切な一部なのだと感じられます。
だから、
今日の失敗を恐れないでください。
明日の不安に怯えなくてもいい。
私たちはいつでも、
自分の手で、
人生を新しく焼き直すことができるのですから。
熱々のホットケーキを口に入れたときのような、
あの小さなしあわせを胸に抱いて。
今日も明日も、
自分だけの火加減で、
ゆっくりと歩いていきたい。
そうやって、
自分の人生を味わい尽くしていく。
それが、
私たちがこの世界に生まれてきた、
一番の理由なのだと、
私はそう信じているのです・・。