「東京都知事として、説明責任がある」
「舛添さんは、説明責任を果たすべき」
など「説明責任」という言葉を頻繁に、新聞やテレビで見聞きしますよね。
僕が若いころは、こんな言葉はありませんでした、いや存在していたかも知れませんが、使っている人はいませんでした。
僕はこの「説明責任」という言葉が嫌いです、って言うか意味がよく分かりません。
政治家も、不祥事を起こした議員に対し、「説明責任を果たして頂きたい」などと口癖のように言います。
言葉を大切にしない頭の弱い政治家が使っているのは、まあ放っておけばいいと思います。
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でも記事で目にしたり、キャスターやコメンテーターが使っているのを耳にすると「この人大丈夫か?」と心配になります。
公人や、社会的に強い影響力を持つ人が、嫌疑をかけられたら、それについて「説明」するのは当然のことです。
当たり前のことなのに、それにわざわざ「責任」をくっつけて作られたのが「説明責任」です。
舛添さんだって、一応「説明」はしているんです。
問題なのは、その説明に嘘が含まれていることでしょう?
嘘で塗り固めた説明と言ってもいい。
本当は家族旅行だった。
でも「会議費」として政治資金収支報告書に記載していた。
「記載ミスだった」と謝罪し、訂正する方法もあったのに、彼は「嘘をつく」ことを選んだ。
だから「家族もいる部屋で会議をした」と説明をした。(笑)
このように、舛添さんの会見には嘘が多いので、何度説明してもメディアや国民は納得しないわけです。
ですから、メディアや都民、国民が舛添さんに要求すべきは、
「説明責任を果たせ!」
ではなく、
「真実を語れ!」
であるべきだと僕は考えます。
別に舛添さんに限った話ではありません。
今後も嫌疑をかけられる政治家、官僚、実業家たちが後をたたないでしょう。
繰り返しますが、そのときメディアや我々が求めるべきは、「説明責任を果たせ」ではなく、「事実を嘘偽りなく明らかにせよ」でないといけません。
出典:http://omoixtukiritekitou.blog79.fc2.com/blog-entr...
NHKまでもがこのありさまです。
アンケートや世論調査は、質問の内容を誰もが容易に理解できることが大前提です。
でないと調査の意味がありません。
この場合の質問は、
「説明に納得できたか?」
「真実を述べていると思うか?」
などであるべきで、説明責任の定義がよく分からないのに、このような
「説明責任は果たしているか」など全く意味のない問いかけだと思います。
そもそも、我々日本人は、欧米人に比べて「責任」に対する認識が浅い気がします。
ビジネスにおいて、外資系の企業がプロジェクトを立ち上げるとき、まず「責任者」を決めますが、日本企業は責任者の代わりに「担当者」を置きます。
責任を決して個人に落とし込まず、部署、部門、○チームと言った人格を持たない「責任の所在が曖昧な組織」と紐づけをします。
タスクやプロジェクトが成功を収めたときは、「全員の頑張りとチームワークのおかげ」と喜びや達成感を共有できますが、失敗や不祥事が起きたときが問題です。
「責任者(意思決定者)」が存在せず、契約書に押印した会社の偉いさんは、ハンコを押しただけで、プロジェクトの詳細は理解していなかったりします。
「誰も責任を取らない体制」です。
不祥事を起こした会社の会見に社長や取締役が出てきます。
みんな型どおりに頭を下げますが、詳細については「調査中」などとします。
食品偽装、燃費偽装、耐震性偽装、どの会社にも担当者はいますが(たまに担当者不在と言って逃げる場合も、笑)事情に通じた責任者がいない。
2020年東京オリンピック担当大臣の遠藤さんは、あくまで「担当」で責任者ではない、という理屈も成り立つわけです。(怒)
いろんな問題が噴出しても、誰も責任を取らずにすんでいます。
出典:http://bit.ly/1UkgmlL
傘連判状(かさ、れんぱんじょう)です。
百姓一揆の際、一番に署名した人(首謀者)を分からなくするために、全員が放射線状に署名したと言われています。
現在日本の、「責任の所在が曖昧」「誰も責任を取らない」は、脈々と受け継がれてきたDNAのせいかも知れません。(笑)



