映画は、レイティング(年齢制限)を設定することができるので、例えば暴力シーンやSEX描写が不可欠な作品には、R指定を設けて子どもの目に触れないようにするなどの工夫をすることが可能です。
一方、テレビドラマは、ターゲットとなる視聴者を、例えばF2層(35~49歳の女性)などと想定して作るわけですが、基本的に誰が観るか分からないので、製作者サイドはその内容に注意を払う必要が出てきます。
結果、どういうことが起きるかというと、テレビドラマは、よく言えば「わかりやすい」悪く言えば「単純な、ありふれた」表現が多くなりがちです。
セリフも映画と比較して多くなるし、キャラクターも単純化されることが多い。
分かりやすいものにしないと、視聴率に影響が出てしまうので、難解さを極力排し、子どもから高齢者まで、誰が観ても分かりやすいものを作らざるを得ないのです。
テレビドラマシリーズで人気が出たので、同じ監督やスタッフで劇場版を作った。
期待して観に行ったら、拍子抜けするくらい、つまらない作品でガッカリってこと結構ありがちですよね。
なぜでしょうか?
ライバルに完膚なきまでに叩きのめされた主人公が、唇を噛み締め、右手こぶしで壁を何度も何度も叩くことで、悔しさを表す。
これが映画的な表現ですが、このシーンをスタッフがドラマと同じ手法で手がけると、「うおーーー負けた!どうしてだ?ああー悔しい!!」
とセリフを付けてしまったりする…。
見上げた時計は3時半、4時の面接に遅れそうな主人公の焦った顔のクローズ・アップ、カットが変わり面接会場へ疾走する主人公、一分前に到着したが、汗ビッショリで肩で息をする主人公、それを冷淡に見つめる面接官。
映画であれば、一切のセリフなしで、観客に流れを説明できます。
でも、時計を見たあと「まじか!やべぇ!遅れそうだ!」とか、走りながら、「間に合ってくれよぉ!くっそーー」とかセリフが入ると…。
テレビで観ていると気にならないようなシーンなのに、チケットを買って、大画面で集中して観る映画では、多すぎるセリフや過剰な説明、大げさな演技などに不自然さを感じることが多々あります。
逆に、普段は子どもをターゲットにしているテレビアニメを「劇場版」で作ると、尺を長く取れるし予算も多い、そして一緒に観に来る大人の鑑賞にも耐えうるものを作ろうとするので、「クレヨンしんちゃん」「ドラえもん」など劇場版のすばらしい名作が生まれたりもします。
ようするに、映画とテレビドラマは、似ているが別物だと僕は思っています。
「アルジャーノンに花束を」では、風船が母の愛のモチーフになっていますが、これを映画でやると安易で、手垢にまみれた表現に見えてしまう可能性がありますが、テレビだと丁度よかったりします。
ちなみに、NHKの朝ドラは、忙しい朝、主婦が水仕事などをしながら観ても理解ができるように、意図的に説明セリフを多くし、ナレーションを入れることで、分かりやすくしていると聞いたことがあります。
前置きが長くなりました。(汗)
第二話も面白かったですね。
咲人の「おりこうになりたい」という強い願いが伝わってきて胸が熱くなりました。
唐突ですが、このドラマ、音楽もいいんです。
って言うか、僕にとってストライク・ゾーンなのです。
第一話の冒頭、花を配達に行く車の中で流れるのが、レッド・ツェッペリンの「胸いっぱいの愛を」でした。
第二話では、ロイ・オービソンの「プリティ・ウーマン」が流れました。
もちろん、言うまでもなく主題歌、ベッド・ミドラーの「ローズ」は最高。
咲人の思いが、この歌に乗って、僕の脳にどんどん刻み込まれて行くので、第二話ではすでにこの歌が流れると、条件反射で目頭が熱くなる始末(^_^;)
暴走キャラの望月さんも、ようやく冷静さを取り戻したようで(笑)、三話以降も楽しみです。