日々喫茶 アムリタ ~自分と、世界とつながりなおす~ -76ページ目
やりたくないことは
結構、後回しにしてしまうタイプです。
ストレングスファインダーで
「適応性」を上位資質に持っています。
職場で、スキルアップのために
資格を取ることになっていて
そのためには
勉強して、
試験に受からなくちゃいけない。
AWS認定クラウドプラクティショナー
って
何かの呪文ですか。
そんな
愚痴のひとつも申し入れたくなるような
長い名前の資格の認定試験を
やっと、今日
申し込みました。
この資格
別に、絶対取らないと
いけないわけじゃないんです。
仕事で、プログラミングや
データベースの設計や構築をするうえで
スキルアップのために取れたらいいよねと
今期の目標に掲げたもの。
だけど、自分を奮い立たせて書いた目標は
やっぱり
わたしの本心とは乖離していたようで
まったくやる気が起きなくて
そもそも何のためにとるんだっけ?って
心の奥底から
やる気も動機も
探し出して
連れてこなくちゃいけない状態でした。
わたしはもう、今は
システムを構築するための知識を
習得することよりも
自分の考えていることを
文章に発信したり
心のことに関することを学んだり
誰かとコミュニケーションを取ったり
するほうに
価値を置いていて
その変化は、もう
止められないと思っています。
正直なところ、時間が惜しくて
「やっぱり駄目でした。テヘ」
と、言うことも
決して不可能じゃないけれど。
だけど。
一度言い出して、決めたことだからと
どうにかエネルギーを呼び起こして
来月の試験の予約を入れました。
やりたくないことを
やらない。
やろうと思ったけど
気が変わったから、やらない。
だけど、今回のわたしの場合は
やらなかったことを
後から悔やんでしまいそうな気がしたので
それを解消するために
やることを選択しました。
自分との約束、だから。
心変わりはあってもいいと思う。
決めたことを、やらない選択肢もあると思う。
どちらが本当に
自分の心に添うか?
迷った時は
それを基準に、決めてもいいかもしれない。
そんなことを思っていました。
お読みくださり
ありがとうございました。
またどうぞ、お越しくださいませ。
昨日の夜はなぜだか眠れなくて
夜中の3時くらいまで
考え事をしていた。
無性に、踏み出すのが怖くて
人と関わるのが怖くて、
それは一体なぜなんだろう。
やらかしちゃうのが怖いから?
コイツ馬鹿だなと思われるのが怖いから?
自分の思ったままを口にして
それが、受け入れられないのが怖いから?
ぐるぐるぐるぐる
心の中を注意深く見ていたら、
突然、
普段は気づかない奥のほうから
感情が流れ込んできた
『わたし、
おじいちゃんとおばあちゃんに
甘えられなかった。』
それが悲しかった。
ずっと。
のび太くんがおばあちゃんに甘える光景。
おじいちゃん子、とか
おばあちゃん子、とか
羨ましいな。
親は、心配から色々と口うるさくても
おじいちゃんおばあちゃんは
甘えさせてくれる
受け止めて
味方になってくれる、そんな存在。
いいなぁ。
わたしもそんな風に甘えたかった。
安心できる場所が
小さい頃にほしかったなぁ。
わたしは両親と、姉と
4人家族で
祖父母は
父方も、母方も
わたしの従姉妹たちと一緒に暮らしていた。
祖父母から見れば
たまに会うわたしは
「孫」で
きっと可愛がってくれていたんだと思う。
だけど「家族」じゃなかったから
わたしは
たまに会う祖父母に
どう接していいのか、まったくわからなかった。
何を話していいかも
わからなくて
黙ってばかりいた。
微かな記憶を辿れば
きっと祖父母の側もそれは同じで。
きっと不器用な、人たちだった。
甘えるなんて
全く、選択肢になかったよ。
おじいちゃん、
おばあちゃん。
おじいちゃん、
おばあちゃん。
その先になんて言いたいんだろう?
子どもの頃の自分は
なんて言いたいだろう。
「大好き」って言いたかった。たぶん。
だけど
心の距離が遠くて
「大好き」って、手放しで言えない。
そのことが、大人になった今も
悲しい。
めちゃくちゃ悲しい。
発達心理の面から言ったら、
子どもの頃に
無条件で甘えさせてくれる
安心・安全な場が
足りなかったかもしれない。
それが大人になった今も
人と関わるのが怖い
思ったままを自由に言うのが怖い
自己開示が怖い
につながって
いるかどうかは
知らない。
知らん。
知らんのです。
だけどこのタイミングで
心の奥底から
雪解け水みたいに流れてきた
嘘のない、まっさらな気持ちを
ひたひたと心に染み込ませて
その中にゆらゆらと漂って
悲しさを味わっていた。
そんな気持ちが、まだ
心の奥底にあるよ。
そのことに
気づいて
味わい尽くしたら、
いつか
癒えるかもしれない。
* * * * * * *
祖父母のことは好きです。
それは間違いないのだけど
一方で、
それは大人になってから
獲得した感じ方だよなぁ、と
心の底では知っています。
割り切って、綺麗に収めたい気持ちと
割り切れない、奥に閉じ込めてた痛み。
いつか、綺麗に
溶けて、混ざって
流れて
わたしの一部になってゆきますように。
たまに、心の奥底から
流れ出してくる感情を
丁寧に、掬い上げて
見つけてあげる過程で
少しずつ、わたしは
自分の味方でいられるように
なってきた気がします。
最後までお付き合いくださり、
ありがとうございました。
明日もあなたが笑顔でありますように。
3月も今日で終わり。
卒業だったり、進級だったり
異動だったり、転勤だったり
引っ越しだったり
退職したり
転機を迎える。
この春、わが家の子供たちは
進級して
小学2年生と年中さんになる。
卒園式だった、昨年の慌ただしさはなくて
かわりに見送るばかりで
寂しさばかり
積み重なってゆく、春。
娘の小学校の担任の先生は
定年よりも早く、教職を退くそうだ。
まだ一年生だから、と侮らずに
子どもたちの興味を引き出そうと
真剣に向き合って教えてくれた先生だった。
娘が昨年までお世話になった保育園では
3年間担任だった先生も、
息子の担任の先生も、
引っ越しと退職が決まって
今日、さよならをしてきた。
さらには
お隣に住む家族も
転勤が決まって、
数年間、海外へ行ってしまう。
さよならは言えたけれど
まだ、自分の中で気持ちを持て余している。
寂しさを
悲しさを
さよならの、痛みを。
ひとつひとつの別れを見ていけば
自分と、そこまで近い関係じゃないから。
寂しくて
残念には思うけれど
「泣いて悲しむ」ほどじゃない、と思った
「泣いて悲しむ理由」なんて、ないと。
そうやって中途半端に
積み重ねた感情が
今日になって、すべて溢れた。
びっくりするくらい
何の曲を聴いても涙が出てくる。
あぁ、わたし、悲しかったんだ。
さよならの数が多すぎる。
日常を支えてくれた人。
見えない信頼を重ねて、
できることならずっと
いてほしかった人。
「ずっと同じでなんかいられないよ」
当たり前に、思う。
それでも。
ずっといてほしかった。
さよならにも意味がある、なんて
思わない。
今、この瞬間に
意味なんかなくていい。
だから、ただ、味わう。
綺麗に
まとめて
飾りつけて
綴じようとしなくていい。
今の、この気持ちを
余すことなく味わって
そのままの痛みを抱えて眠る。
あたらしく目覚めたら、もう4月。
* * * * * * * *
3月はEテレでも卒業シーズンで
ついに、私の心の支えだった
「ムジカピッコリーノ」も、
メンバー全員が卒業してしまった。
最終回をぼろぼろ泣きながら見ていました。
(これがロスってやつか…)
番組の中で最後に歌った、
くるりの「ばらの花」という曲に
愛してやまないフレーズがあります。
最終バス乗り過ごして
もう君に会えない
あんなに近づいたのに
遠くなってゆく
だけどこんなに胸が痛むのは
何の花に例えられましょう
別離の痛みを、もしも
ばらの花にたとえられたなら
それはとても美しくて
美しくて
痛くて
わたしはそれを大事に抱えて眠る。
そうか。
出逢えてよかった。
最後までお付き合いくださり
ありがとうございました。
明日もあなたが笑顔でありますように。

