2015年にアップした記事ですが 追記し再投稿します。
この記事を書いた2015年、
ご縁のあった 日本の小さなブランドさんが廃業した。
見た目だけではなく、素材や縫製も質が良く、ディテールまで、全てがカッコイイ服ばかりだった。
時に 若いときにインスパイアされたものに思いを馳せながら
時に 大人になり家族を持ち、家族の顔を思い浮かべながら
こんな人が
こんな場面で
こんな風に着てくれたら
と想像しながら
めちゃめちゃ手間はかかるけれど
創りたくて創っちゃったんだよね!
というような、
作った人たちの無邪気な服に対するワクワクした気持ちや、着てくれる人たちへの愛情が伝わってくる服だった。
最後の最後は サンプルもsaleにかけて
それでも売れ残ったものは
リサイクル業者に引き取ってもらうと、そこのデザイナーさんが言っていた。
サンプル一つ作るのに 数万円かかる。
それが 引き取られるときには サンプルも商品も何もかも、とりあえず残ったもの十把一絡げで 50万そこそこにしかならないのだと話していた。
そうやって、お金に変わっても 撤退にかかる費用、諸々で、ほぼ無くなるだろうことは容易に想像がついた。
事務所の壁際には 以前 店舗を構えていたときの ブランドロゴがカッコイイショッパーがまだ使われていない、綺麗な状態で積まれていた。
「このショッパーも、もう使い道がないからねぇ。キウチさん、いる?」
と 聞かれ、 全部もらいたいくらいだったが、言葉に詰まってしまった。
ここの服を買い、このショッパーで持ち帰ったお客様たちは、
このブランドが無くなることを どう思うだろう。
働いている人たちは
「可愛がってもらうんだよ」
そんな想いで 服をお嫁に出すときに、このショッパーに入れて、手渡したのだろう。
服を扱う私たちにとって
服は、商品は 我が子同然。
我が子の旅立ちを、我が子の嫁入りを、誇らしげに 見送る。
この服で このお客様が少しでも笑顔になりますように。幸せになりますように。
本気でそう思っている。
それらを 手放し、棄てるしかない現実を 目の前に、何を言っていいか、出てくる言葉などなかった。
自分のブランドが 微々たる小銭とゴミに変わって無くなる。
そんな感傷に浸る暇なく、明日から 彼等は生きていくために 別の仕事をする。
プチプラが一概に悪いとは思わない。
私も利用する。