上手くいったと感じる時ほど誰もみてくれていなかったし,上手くいかなかった時ほど褒められたりする。
人生そんなもんだろうと17年かけて悟った。
叱られて伸びる人間と褒められて伸びる人間がいるならば私は前者に当てはまると思う。
特別叱られることと褒められることのどちらかが多かったわけではないのでたいした因果関係などは無いが,短い人生を振り返れば叱られたり挫折したときの方が成長できているのだ。
褒められるとどうしても素直に受け止められない。適当にあしらわれているのか,何に気を遣っているのだろう,とその人が自分を褒めるにあたっての裏にある意味をどうしても見出してしまう。
逆に叱られた時の方が期待されてるからこその意見だとポジティブになれる。
M気質なんだろうか。
人からの評価なんて気にするなとかよく言うが,社会で生きていく以上それは無理である。
そう慰めるしか無いほど精神を病む人がいるからそう言うしかないのだ。本気でそうは思っていない。
特に音楽など芸術は評価なしでは成り立たない。ひいきだとか文句を言っても個人に好まれるものを生み出せば勝ち,そういう世界なのだ。
スポーツもそうだろう。試合中の点数に表される技術はもちろんだが(当たり前に芸術でも一定の技術がある上での話だ),最終的にスカウトやドラフトでは一人一人の人間が評価して結果となる。
勉強に関しても入試の採点は人間がするのだ。少なからず人によっては違う評価になるものではある。
必ず正しいことなんてこの世にはないのではないだろうか。(どこぞの主人公が言うようなセリフを言いたかったわけではない。)
人に評価されることが怖いならば承認欲求を捨てて自慰行為として消化するしかない。
人に聴かせた,みせたならば何を言われても,相手はそう感じたのだ。それ以上でも以下でも無い。受け止めても受け止めなくてもいいが,他人に強要したり,否定したりする必要はない。
人生や人格全てを批判されたわけでもないのにこの世の終わりのように騒ぎ,学校に来なくなり,社会から外れていく。そばでみていてさみしいなぁと思う。
だから思ってもないが言うのだ。
人の評価は気にするな,なんて。
強く生きろよ。
おやすみなさい。良い夢を。