こんにちは😊
四月が始まりましたね♪
母と桜を楽しんで
初ものの筍もいただいて
お陰さまで、
新しい門出を迎えることができました🥰
本日は、”私の中の77と61の統合まで”の
道のりの中で大きな転換点となった
終戦の玉音放送(「終戦の詔書」)について触れながら
綴ってまいります
・
🔺こちらの記事で、
と思ってしまいました。
と書きましたように
この自らの問いと、答えは
私は絶対にあんなことしない!と思っていたことを
受容した衝撃に包まれたものだったので
私の中の基軸(土台)がひっくり返る出来事でした😱
今にして思うと、以前の記事で書きました
私の中で三角の上下がひっくり返ったポールシフト感覚は
ここに繋がっていたんだなぁと思えて、感謝しています
この問いと答えの瞬間から
私も同じ穴のムジナだったのか。日本も悪だな〜。
と、自分の闇深さをじーんと感じました😭
また、その一方(片割れ)で強く思ったのは
昭和天皇は、なぜ終戦の決断ができたんだろう?
の謎(我が子)が、私を待っている予感がしました
今現在の私は、原子爆弾を使おうとは思いません。
あの問いの時の私は、
戦争当時のあの状況下(過去)に私なりに降りて行って🦅
私なりの精神的なチャンネルを設定して
その中での答えでした
また、8月12日の原子爆弾の実験成功についても
真偽はわかりませんが、
私に必要な内容だと感じて選択しました
少し余談になりますが
その時期に届いた、松谷みよ子さんの「あの世からの火」を
パラパラめくって数ページ読んでみると
北朝鮮とウラン
8月12日
これらの文字が書かれていて
あっ!カンペだと感じたことも今回の選択に繋がっています
「あの世からの火」は、
引き揚げのことが書かれているようだったので
私がクエスト中のテーマに重なっていると感じて
時間がある時に、ゆっくり読もうと思っています♪
こんな具合に、
この前の記事で書いた内容は
私にとっては、あくまで私なりの個人的な設定(物語)での
問いと答えです
そして、これまで気がついていなかった
自分自身の可能性に出逢った瞬間でもありました♪
・
それで、当時の昭和天皇の御気持ちを知るには
どうすればいいのかなぁ?と考えていると
ネットで検索する中で、
「終戦の詔書」に原子爆弾のことも書かれていると知って
これはカンペだなぁ。と思って
調べてみることにしました
「終戦の詔書」は、昭和天皇が終戦を宣言された詔で、
昭和天皇がこの詔書を読みあげられた音声を録音し
1945年8月15日に
国民に向けてラジオで放送されたものが「玉音放送」です
戦後から20年ほど経って生まれた私にとっては、
玉音放送(ぎょくおん)はテレビ小説などに出てくる印象のもので
その内容については、ほとんど知りませんでした
今回調べてみると
原文は、漢文調の漢字とカタカナが交じった文体で
私には非常に難解な文章に見えました
🔻宮内庁のHPで、玉音放送の音声が聴けたり
「終戦の詔書」のPDFがダウンロードできますので
アクセス先を添付しておきます
※こちらでは「大東亜戦争終戦に関する詔書」の表題がついています
漢字が苦手な私は
原文を見て、コレ私には無理なやつ。と思って
現代語訳から入ることにして
以下の本を参考書として購入しました
永久保存版CDブック
昭和天皇 玉音放送 / 川上和久 著
この参考書やインターネット資料をもとに、
①現代語訳で大まかな内容を把握
②原文の漢字にふりがなをふった文章で読んで、自分で考えてみる
③わからない漢字の意味を調べる
以上の①〜③を繰り返しながら
私なりの解釈をしていくうちに
私のできる範囲での話ですが、
少しずつ昭和天皇のあの時の御気持ちが伝わって来た気がして
私の中の敗戦や、戦争犠牲に対する頑だった気持ちが
あれっ🙄 そうだったのかな♪と
新たな気づきと安らぎに繋がっていきました
こんなことがあって、
戦争当時から見ると未来の令和だからこそも含めて
この終戦の詔書には可能性が秘められている!と感じて
ここから『終戦の詔書』の内容を載せていきたいと思います
もしよろしかったら、お付き合いください😄
今回は、思うところがありまして
投稿を急ぐ私の都合から😅
「終戦の詔書」の前半部だけを本記事に載せて
後半部は、次回に続けさせていただきます
また、共通事項として
以下の順序で表記していきます
⓵ふりがなつきの原文
⓶その下に【さちこ隊長としての翻訳】
”さちこ隊長として”と書いた理由は、
きなちゃんブログを読ませていただきながら
きなちゃんの実践方法を、お手本にさせていただき
自分なりのやり方で実践を続けていくうちに
自分自身の経験を通して得た気づきの背景に
あっ🙄 きなちゃんが仰っていたのはコレだったのか!
みたいな感じのものが見えて来て
有り難いことに
きなちゃんが教えてくれた原理が
少しずつ確かなもののように腑に落ちてきて
私の土台のようなものに繋がってくれて
お陰様で、私の土台の可能性が拡がっていき
私の第二の人生みたいなものが始まりました
この第二の人生みたいなものの様子は
形容しがたいのですが
私の中で1つだけ言葉にできるのは、
とても楽しい人生なんです(o^^o)
そして、この御恩へおかえししたい❗️
そんな私の中の炎が燃えてくるのを感じるようになって
ようやく、私が自分に名づけた「さちこ隊長」の
名前の真意がわかってきた気がしています
そう感じている
さちこ隊長としての翻訳です♡
⓷青文字部分は、簡単な説明や私の感想です
また、中高生くらいの若い人達から
私の年齢近くの60代ぐらいの方に伝わりやすいようにと
想いながら翻訳しています
それでは、よろしくお願いいたします🤲
『終戦の詔書』
【さちこ隊長としての翻訳】(以下同じ)
私(昭和天皇)は、
世界の大勢と日本が置かれている状況を
深く考えぬいた結果、
この状況をどうにか収めたいと思い、
非常の覚悟をもって決断(選択)をしたので、
我が忠良なる国民の皆に伝える。
私は、日本政府へ
アメリカ・イギリス・ソ連(ロシア)・中国に対して
「ポツダム宣言を受諾する」と伝えるように通告した。
🔺この様な序文から、『終戦の詔書』は
昭和天皇が、ご自身の決断(選択)を
日本国民および日本政府に対して伝えている内容のものだと
改めて認識しました
・
🔻次に、昭和天皇の戦争に対する想いが
述べられていきます
そもそも、我が国民がすこやかに平穏無事に
生活ができるように心がけ、
世界各国が共に平和に繁栄していくように努めることは、
歴代天皇が手本として遺してくれた教えであり、
私が心の中で大切にしてきた想いである。
先に、米英の2国に宣戦した理由も、
我が国の自存とアジアの安定を心から願ったためであって、
他国の主権を奪ったり、他国の領土を侵略するようなことは、
私の志とは全く異なる。
しかるに、この戦争が始まってから既に4年が過ぎた。
その間、我が陸海将兵は戦場で勇戦し、
我が官人達もそれぞれの職務に励み、
また、我が一億国民もそれぞれに奉公してくれた。
このように、おのおのが最善を尽くしたにもかかわらず、
戦局は、必ずしも我が国に向けて好転しているとはいえず、
世界の情勢もまた我が国に不利である。
そればかりでなく、敵は新たに残酷な爆弾(原子爆弾)を
広島と長崎へ投下し、多くの罪なき人々を殺傷し、
その惨害はどこまで広がるか、はかり知れない。
このような状況にあっても尚、戦争を続けるなら、
ついには我が日本民族の滅亡を招くばかりか、
ひいては人類が築きあげた文明をも破壊してしまうであろう。
それでは、私は、どうやって、
我が大御宝(おおみたから)であるすべての国民を保護し、
歴代天皇の御霊(みたま)におわびできようか。
これが、私がポツダム宣言を受諾する決断(選択)をした
理由である。
🔺以上が、前半部となります。
この部分を読んで、昭和天皇が今回の決断をする際に
重んじた想いがよく理解できました。
また、この詔書に原子爆弾についても書かれいた事を
私は初めて知りました。
人類全体への想いを言葉にされていることからも、
昭和天皇が地球の未来を想像されていたことに気がついて
改めて、あの時からの未来で私達が生きている有り難さと
生かされている意義までも感じさせて頂きました。
今回は、ここまでにさせていただきます。
前半だけで終わって、、
投稿時間も遅くなって、ごめんなさい〜
もし、「終戦の詔書」に興味が出てきたら♡
ネットにも、図書館にも、たくさん資料がありますので
ぜひアクセスしてみてください
最後まで、読んでいただいて
ありがとうございました😊
🌈高橋幸子