こんにちは😊


こちらは気温も暖かくなり
少しずつ春を感じています
お花見も待ち遠しいです(^.^)



本日は、前回に続きまして
私の中の77と61の統合までの話を
綴ってまいります♪



2月11日までの計画を実行しながら
次々にカンペや気づきに出逢って
私の頭の中はグルグルしていました🥲


中でもインパクトが強かったのは
阿蘇山と神社の関わりを数学を用いて紐解き
阿蘇に炎のピラミッドを発見された


八坂神社宮司の田尻盛永さんの理論に
出逢ったことでした


ネットで検索して出てきた資料を見ただけで
いろいろ繋がっていると感じて


それは、きなちゃんブログで紹介された
ドキュメンタリー「ピラミッド 5000年の嘘」を
観たばかりだったので
同じようなことを言っているー😱


阿蘇って、炎のピラミッド🔺だったの?😱
と感じて、超ビビリました


古代「火の国」の象徴 「炎のピラミッド」の発見/田尻盛永 著
補遺 -細部構造解説-
こちらの資料をAmazonで取り寄せたところ


著者の田尻さんは、知人に紹介せれて
ドキュメンタリー「ピラミッド 5000年の嘘」を
ご覧になられたそうで、


この謎の解明方法と「炎のピラミッド」の解明方法は、
偶然か時代がそうさせたのか、「本質的には全く同じ」でありました

ギザの大ピラミッドは、炎のピラミッドと同じく、
「メートル法やπや黄金比」が築造の根本にある。 一部抜粋

と書かれていました。




炎のピラミッドについては
まだ上記の資料を読んでいないので
詳しく書けませんが


阿蘇とピラミッドが繋がる可能性を
ピン📍と感じました


阿蘇に注目した経緯を
ここから少し詳しく書いていきますと


前回に書きました様に
諫早湾の堤防道路と雲仙普賢岳が繋がり
堤防道路の展望台と阿蘇山第2火口が
ほぼ北緯33°線上に並んでいると
気がついたことから始まって


雲仙普賢岳の火山🌋(長崎)
阿蘇山の火山🌋(熊本)


堤防道路の諫早湾・海の災害🐟(長崎)
水俣病の八代海(別名:不知火海)・海の災害🐟(熊本)


これらが連鎖反応のように
頭に浮かびました




そして、🔻こちらのきなちゃん記事を読んで

YES☉の宇宙の聖母天使のきな優子さんブログより



日本竜の頭とも言える
九州を見たときに

私には、こんな風に見えて




Google Earthより

方位:北を時計回りに90度回転させています



日本竜の目にあたる
八代海(別名:不知火海)が気になりました

不知火海(しらぬい海)と聞くと
思い浮かぶのは、石牟礼道子さんの「不知火」作品です


私は、石牟礼さんの著書や作品を
目にしたことはありませんが😅


私を含め、多くの九州の人にとって
石牟礼さんは不知火と水俣病を繋げてくれる
代名詞のように映っていると思います


そんな縁があって
日本竜の目が不知火海に当たると気がついたときに
自然と水俣病のことを思い浮かべました



また、「不知火(しらぬい)」の言葉も気になって
Wikipediaで調べてみました

-
九州に伝わる怪火(妖怪)の1つ。
竜灯や龍神の灯とも呼ばれる。


第12代 景行天皇がクマソをせいばつして、九州をまわられた時
ある海岸から船に乗って海にでられた。
そのうちまっくらい闇が迫ってきて、どこへ着いて良いかわからなくなってしまった。
すると、突然はるか前方にあかあかと、火の光が現れてきた。
天皇は舵を取っている船頭に向かって、「あの火にむかってすすめ。」とおっしゃった。
言われるままに船を進めると、やがて無事に海岸に着くことができた。
天皇は村の土地のものに向かって「あの火の燃えるところは、なんというところだ。
そして、いったいあの火は何の火だ。」
「はい、あれは火の国の八代郡の火の村でございます。しかしだれがつけて燃やして
いるのか、わからない火でございます。」
そこで天皇は「あれはあそらく人の燃やしている火ではあるまい。」
しらぬひ、しらぬい(不知火)という呼び名は、ここから起こっている。
(福田清人 訳 講談社発行 日本神話物語より)

Wikipedia より一部抜粋



現在は、蜃気楼と同じような光の屈折現象として
捉えられているそうです。


また、八代海(不知火海)と有明海に見られる
干潟(ひがた)が埋められたり
電灯の灯で夜の闇が照らされるようになり
さらに海水が汚染されたことで
次第に不知火を見ることは難しくなっている

-
と書かれていて


妖怪、竜灯、第12代 景行天皇、
諫早湾堤防などの人工物や海の汚染なども影響して不知火が姿を現し辛い

こんなカンペを受け取りました



そうこうしているときに、
きなちゃんの🔻こちらのブログを読んで
日程の空いている日を見て、
2月13日に映画「ゲゲゲの謎」を観に行きました





私は、きなちゃんのブログを読んでから
この映画を観たので
より強くそう思った所があるかもしれませんが


日本特有の血族とか、隠蔽気質、集団意識などが
わかりやすく描かれていると感じながら

その闇が深い分
そこに対峙していくには子世代・孫世代までの
時間(世代交代)が必要なんだな〜


当事者は、その担当を全うし
解決者は、当事者とは別の担当を全うしていくんだな〜


そんな事を感じながら
映画を観た後に、阿蘇周辺の地形を見ていたら
見えて来たんです😱






Google Earth より



阿蘇山の横に、、

巨大な髑髏(しゃれこうべ)が


私には、これまで見えていなかったのに
きなちゃんブログを読んだ後に、映画「ゲゲゲの謎」を観たら
見えて来たんです


きなちゃんが仰っていた
目の前にあるのに見えない!を体験しました


そして、
きなちゃんのブログによって(お陰様でw)
リアルな蓋が開いてしまったのでは。。
そんな予感が漂ってきて、ビビリまくりました😱 


ここから、この髑髏と向き合うことになって
「ゲゲゲの謎」のように
どんな蓋を開けて欲しいのかと考えるようになりました


ここでも、大きなヒントになったのが
きなちゃんが指摘してくれた
”世代交代して解決していく”仕組みでした


日本竜の目に当たる不知火海で問題になった
水俣病について調べていると


水俣病の原因となった
有機水銀を海に流していた「チッソ」(旧社名:日本窒素肥料)
の歴代社長のお一人が
今上天皇の皇后陛下である雅子様の祖父の方であったことを
はじめて知りました


ここでピンと思い出したのが
皇后陛下 雅子様の生誕日のキンナンバーです
サイ時間キンの神秘のパートナー kin77
古代キンの神秘のパートナー kin71


kin71は、私の時間を外した日の現代キン
kin77は、私の現在の年回りキンで、私の担当(我が子)のナンバーです


こんな縁を感じて、ますます自分の出番のように感じて😅
そこから更に調べていくと


先の大戦中の、朝鮮半島が日本の領土だった時代
現在の北朝鮮の興南地域に
日本窒素肥料の興南工場があったそうです


その工場地帯で水俣病の前ぶれのような
奇病が流行っていたと
その工場で働いていた方の回想記事を読んで


私の中で、日本と朝鮮半島が
カチっと結ばれたような感覚がありました😱


そして、興南工場のことを
更に調べていくと、、


あれっ🙄 原子爆弾と繋がっていったのです





Google Earth より

当時の興南工場の場所です(頭の富士山の頂上にあたるような、、)

現在は「興南肥料連合企業所」となっています




興南工場の一帯は
世界屈指の化学コンビナートと呼ばれるほどの
巨大なものだったようで


敷地面積19.8k㎡
従業員約4万5千人(家族などを含めた総人口18万人)
9つほどの関連工場と、近代的な住居なども整備されていたと
説明されていて

私にはピンとこない大きさで?
ひとつの都市のような所だったと想像しています


また、近くにいくつものダムを創り水力発電を起こし
そこから壮大な電気エネルギーを送りながら
この化学コンビナートを稼働させていたと書かれていました


そんな中、この巨大な化学コンビナートで
原子爆弾を製造していた!のカンペに出逢って


「世界が隠蔽した 日本の核実験の成功」矢野義昭 著
をもう一度読んでみました


この本は、令和元年に出版されています
ずっと原爆を憎んできた私は、それ故のように出逢って
三年ぐらい前に、一度目を通しました


当時は、戦後77年から本格的に始まった
私の中の原爆への眼差しを見つめ直す
ファットマンに慰霊碑を創る以前のチャンネルでしたので


例えば、”日本は核実験に成功していた”の内容を読んでも
そうだと思ってた。のような感覚で
そこへの価値を見出せていませんでした


今回、改めてこの本に目を通して
1945年8月12日に朝鮮半島の興南沖で
原子爆弾の実験に成功した内容を読みながら


我が子が待っている!と初めて想いました




そして、自ら問われたのです🥹


8月6日 広島へ原子爆弾を投下される

8月9日 長崎へ原子爆弾を投下される

8月12日 原子爆弾の実験成功


今とは対極的に違う、当時のあの状況下で
原子爆弾の実態もよくわからない状態で
こうなった時、君ならどうする?

と問われました




私は、息を呑みながら、、
「あっ。私なら、使うかもしれない」
と思ってしまいました


その日が来るまでは、
私は絶対にあんなことしない!と思っていたので


私の中には、こんな問いが生まれる
懐がなかったんだなと感じて
総崩れしました


そして、私の中の77の中の我が子を
やっと抱きしめてあげられた安堵感に包まれて


よくここまで来れたなーと
感無量になりました(^.^)





「13の月の暦」の1945年8月12日は、

現代キンkin61、サイ時間キンkin13、古代キンkin257
となります。
また、8月12日よりkin218

以下、このナンバー達を頼りに
繋がる想いたちを探していくと
オールキャストで、ぶら下がって来て
ちょっと引きました


朝鮮半島の李王朝の想いにも気がつけて
よかったです







ここから先は、
この我が子との対話を通しての話となりまして
今回は力尽きて。。次回にさせていただきます🎵



最後に、これまでの流れをリアルに感じてもらえるといいなと思って
豊マヤカレンダーに手書きしたメモを載せてみます
今回はカンペがグイグイ押し寄せてきて、てんてこ舞いでした〜😭







本日も最後まで、ありがとうございました。


🌈高橋幸子