十七条の憲法について(8) | Rhythmicbeatの感想文

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気になった事柄の感想を記録していきます。
1年も経つと何でこんな話をしたのかわからなくなるのも楽しいし、
英文表現にもトライしたいし。

第十五条

 私を背きて公に向くは、これ臣の道なり。およそ人、私あるときはかならず恨みあり、憾みあるときはかならずととのおらず。ととのおらざるときは私をもって公を妨ぐ。憾み起こるときは制に違い、法をやぶる。ゆえに初めの章に云う、上下和諧せよ、と。それまたこの情か。

 

 訳 私心を捨てて公務に勤しむことは臣下の心得である。人間というものは、私心があると必ず恨みがあり、うらみがあるときは物事は整のわない。これを私をもって公を妨げるという。うらみの起きる時は制度に違反し、法を破ることになる。それ故、第一条に言う、上下がWIN-WINを目指して議論をせよと。それは私事を排除することにも繋がっている。

 

 公の判断に私事を優先すると周囲を納得させる説明ができない。まったくその通りである。現代でも、日本に限らず、大臣が義理のある企業に所管の仕事を発注するなどは普通に聞く汚職話である。

第十六条

 民を使うに時をもってするは、古の良き典なり。ゆえに、冬の月に間あらば、もって民を使うべし。春より秋に至るまでは、農桑の節なり。民を使うべからず。それなりわいせずば、何をか食らわん。桑とらずば何をかきん。

 

 訳 人民に労役を課すときは時期を選んで行う、これは古くからの良い慣例である。だから、冬の間に人民に労役を課すべきだ。春より秋までは農作、養蚕の季節である。人民を使役してはならない。食料生産、衣料生産をしなければ、何を食べ、何を着ようというのか。

 

 日本は四季があり、農業つまり食糧生産は春夏秋に行っていた。労役を課すのは冬にしないと十分な食料および植物や養蚕に依存する衣料が調達できない。現在の日本ではそのような事にはならないので前提は解消している。

 現在の日本国では罰則による場合を除き、政府が国民に労役を強制することはないが、今後は、徴兵制度や緊急事態(最近の例では疫病による自宅待機要請やワクチン接種要請)について検討しないといけない情勢である。