夫の逆鱗に触れた言葉「お皿洗いしておいてくれる?」 | 音楽すること・生きること

音楽すること・生きること

フランスに住んでいます。結婚、出産、国を超えての度重なる引っ越しを経てフランスに在住、長男が小学校5年生の時から仕事を
再開。その1年後にジャズピアノを始めました。
音楽・その他、日々の出来事を綴っています。

思いがけないことで誰かの逆鱗に触れる事ってある。

あまりにも意外だったので、忘備録に書いておく。

読むと気分を害する人もいるかもしれないので

そういう人はスルーしてほしい。

 

ここしばらく、夫の怒りの叫び声は聞いていなかった。

こどもたちが小さい時は、

3日か4日に一度は聞こえていたが。

そう、夫は、短気で、怒ると、応援団に向いていると

言ったらわかるだろうか、そういう

腹の底からの、誰にも負けないくらいの叫び声を出す。

 

昨日は、日曜日で、午前11時に

お友達のおうちに行くことになっていた。

二人分なので大した量ではないが

お皿が左側のシンクに残っていた。

普段なら、朝起きて何かが残っていると

気持ちが悪いので、わたしはお皿洗いを

夜には済ませているが、

この日は違った。夫もわたしも新年度が始まって、

疲れていたのかもしれない。

 

朝ごはんは各自が好きなものを食べるので

誰がご飯を作るという事はない。

金曜日の夜は夫が晩御飯を作ったが、

わたしは お皿洗いをしなかった。

いつもなら夫は自分のお弁当箱を帰ってきたら

すぐに洗うのに、この日は次の朝まで洗わずに彼の

母国語の動画を見ていて、鍋類も、いつものように

自分で洗わず放置していた。だらしないと思った。

わたしは何も言わず、寝た。

 

土曜のお昼ごはんは夫が買い物に出たので

わたしが作り、

その夜は夫が晩御飯を作った。

金曜日からのお皿の一部が、左のシンクに洗われるのを

待っていた。

うちはシンクが2つあるので、右側のお皿は

土曜に料理をする前にわたしが洗ったが、

左側に、後で洗おうと思っていた

大きいサラダボールと、お皿や茶わんが残っていた。

 

わたしが、お友達のおうちに行く約束の時間が

迫っていたので、

夫に、ふつうに軽く頼んだ。

 

「お皿洗っといてくれる?」

 

フランス語でこう言った。

"Tu peux faire la vaisselle?"

 

夫の逆鱗に触れた。

残しておかないと

忘れてうやむやになるに決まっているので

忘備録に残しておく。

 

「どうしてぼくがお皿を洗わなければならないんだ!!!

ぼくが料理を作るから、あんたがお皿を洗うってことに

なっているだろう!!!」

 

わたしが驚いて、言った。

 

「お皿を洗っておいてくれる?と

聞いただけなのに、いきなりなんで怒り狂ってるの?」

 

「どっちも機嫌が悪いんだから、ぼくを一人に

してくれ~!!」

 

「わたしは、全然機嫌悪くないけど?普通に話してるのに

なんでそう怒り出すの?」

 

「5分間黙っていてくれ!ここから、出ていけ!」

 

夫に怒鳴られ、ドンとキッチンから突き飛ばすように

外に出された。

 

これが、その意外な出来事。

こどもたちが小さい時から、

わたしはこの夫の叫び声で大変な思いをしてきた。

あまりにひどいブログ記事は、ブログから消去した。

でも、コンピューターか、ハードディスクかに、

残してあるはずだ。昨日も、音声を録音することにした。

昨日はまだましな方だった。数年前には、

録画していたわたしの携帯を、夫は手で払い落したからだ。

こういう大声を出した翌日は、借りてきた猫のように

おとなしくなるのも変わらない。

 

昨日は夫に言った。

 

「あなたは大声を出して叫べば、みんなが自分のことを

恐れて、いう事を聞くと思っている。

でも、わたしは今までも怖くなかったし、今だって、

あなたが大声を出しても怖いとは思わない。

それを怖がるのは、赤ちゃんだけだからね。」

 

夫は何も言い返さなかった。

 

人間誰も完璧な人はいない。

夫もお酒に飲まれるタイプでもないし、

浮気をしまくると言う女たらしでもないし、ギャンブルで

お金をするタイプでもない。

でも、思う時がある。

これからこの人と別の人生を歩んだとしたら、

もっと輝かしい人生が待っているかもって。

その方がいいのかどうなのか。

人生には簡単な算数の足し算のような「答え」がない。

あってるかあっていないかでなくて、

自分が何を選択するかしかない。

 

わたしは、回りの人に、あなたは

作家のように創造力、想像力が

豊かだって言われることがあるのだが、

自分の人生を自分がどういう風におくりたいかと、

生まれる時に、何かの存在に問われたことが

あるかもしれないという、仮説からの想像だ。

選択肢、いろいろ大変な人生の選択肢の中から、

この「叫ぶ男」、と言う受難を選択したのかもしれない、

と言う想像をめぐらすことがある。

その仮説の物語の中で、きっと、わたしには、

「叫ぶ男」は、「酒びたりの男」

「浮気性の男」「ギャンブル男」や

その他の問題ありの選択肢の中から、

この選択肢は、どれもこれも嫌だけど、

これが、まだマシかなと思ったのが「叫ぶ男」だったの

かもしれないと。 

 

それと、不思議なことに、そういう怒りの叫び声を

聞くと言ういつにない不快なことの後に、

2つ、やっぱり、ふつうのルーティンにない

素敵なことがあった。

 

その後に会ったお友達には、大歓迎してもらい、

わたしに嫌なことがあってもなくても予定されていた

のだが、「気」と言うか「エネルギー」を使っての

ヒーリングをしていただいた。とても気持ちがよかった。

その後に、あり合わせだけどお昼を一緒に食べていかないと、

提案され、お友達と楽しくランチをした。

 

また、その翌日である今日は、本当に懐かしい知人から

電話があった。最後に会ったのは今が思春期と言う

3人目の息子さんが生まれたばかりの時だったので

10数年以上前だ。懐かしかった。うちの次男より、

2・3か月早く生まれた息子さんがいて、そろそろ、

赤ちゃんたちが おなかがすいているかもと、

彼女のうちの居間でそれぞれの赤ちゃんにおっぱいを

あげたことも愉しい思い出だ。

彼女は、夫、「叫ぶ男」の行動で苦労しながら

子育てをしていた当時のことをよく知っているので、

今日も、言っていた。

 

「よくも やんぱっぱさん(わたしのブログでの仮称)、

今まで耐えてきましたね。」

 

いやはや、昨日の「叫ぶ男」の叫び声で、

絶望的に嫌な気持ちになっていたところ、

今や、心の中が晴れ晴れとしている。

もう、嫌な気持ちはなくなっている。

今度からは、嫌な気持ちになることさえ、

避けることができればいい。

 

わたしは、どうして「お皿洗いしてくれる?」

と言われて ブチ切れるという現象が起こるのか

考えてみた。

わたしは料理を作る人が、自分で洗い物を

してもおかしくないと思う。わたしは、子育てをしている間は

自分で料理をして自分でお皿洗いをしていた。

誰かがお皿洗いをしてくれたらありがとうと思うくらいだ。

 

「お皿洗っておいてくれる?」

 

こういう事でぶち切れする理由は、いまだに分からないし、

分からなくてもいい気がする。