今年度のコーラスの伴奏終了 | 音楽すること・生きること

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フランスに住んでいます。結婚、出産、国を超えての度重なる引っ越しを経てフランスに在住、長男が小学校5年生の時から仕事を
再開。その1年後にジャズピアノを始めました。
音楽・その他、日々の出来事を綴っています。

先週はわたしがかかわったコンサートが一週間に3つあった。
二日続きで、その3つのコンサートがあり、1日目は
ジャズのアンサンブルのコンサートであり、2日目は
わたしのクラシックのピアノの生徒の発表会が
15時から18時まであり、それから
お弁当を食べて、20時からコーラスのコンサートの
伴奏があった。
 
ジャズのコンサートと生徒のコンサートのことは
一部、前回・前々回の記事に書いたが、最後のコンサートは
コーラスの伴奏だった。
 
コーラスの曲目の中には、前回の複数のコーラスグループの
合同コンサートがあった時には、よそのグループの伴奏者が
弾いた曲が2曲あった。その2曲は、わたしはあまり
練習をしていないという認識だった。そしてそのうちの
一曲はアカペラの曲なのでピアノ譜がなかった。
自分で書こうと思ったが、ジャズのコンサートの曲目が
変わったり、いろんな兼ね合いで譜面を書く時間がなかった。
ゆっくり練習ができないうちにコンサートに突入かと
さずがに当日、危機感が高まった。
ピアノの生徒たちのコンサートが終わってからも
同僚のピアノの先生たちは長らく話していたが、
数分聞いてから、わたしはコンサートで弾くので
練習に行かせてもらいますと、
席を立って練習に行った。
ピアノを弾きに行くと、まちがったところが
かなりあった。
こういう時は、本番でなくてよかったと、
いつもなら余裕だが、それが当日となると、
もう集中するしかない。うまくいかせるしかない。
ピアノの生徒の発表会の後に一人でコーラスの伴奏を
練習していた時はかなり間違えた記憶があったが、
こういうのを火事場の馬鹿力というのか、本番では
3つ、気にかかることがあった以外はうまくいった。
一つ目はコーラスメンバーが歌っているときに、
例のアカペラの曲で
一音、繰り返す音を、一拍先に隣の音に上がってしまった
ことに気が付いたので、もう一度その音を鳴らし、つなげた
ところがあった。そこだけだ。残りの2つは
コリストが歌っていないときだったので、ある意味では
全く迷惑はかかっていない。
ある曲のピアノ前奏で、一か所違う音を鳴らしたこと、
コーダの途中で、一小節、集中力がそれて
楽譜と違う響きの和音を3つくらい鳴らしたことだ。
一瞬、この3和音の後でこの後の小節に続けられるかと
いう思いが雷のようによぎったが
弾きなおすなんてことは、拍を乱すことは
一番やってはいけないこと。
何事もなかったかのように続け、いつもより丁寧に
リタルダンドをかけて曲を美しく閉めた。
 
わたしたちの演奏が終わった後に、聴衆の前で
合唱指揮者が、わたしを呼び、一緒にあいさつした。
 
コンサートが終わってから彼女がわたしにお礼を言った。
カリスマ性のある厳しい指揮者だ。彼女は笑顔で言った。
「よくコーラスを支えてくれてありがとう!
わたしたちよくやったわよね!」
わたしはにこりともせずに答えた。
「いや、わたしのほうは気にかかることがあった。
完璧に弾きたいほうだから。」
彼女は記憶をたどり、
「ああ、ちょっと集中力が切れたところがあったね。」
わたしが言った。
「昨日から3つコンサートがあったの。」
彼女は思い当たるように言った。
「疲れていたのね。学年末というのは忙しいからね。」
 
わたしが伴奏している合唱団員は伴奏者にも厚く、
プレゼントをくれた。

 
わたしが一緒に仕事をしている今の合唱の女性指揮者は
ものすごく気性が激しい。
今までに、別のコーラスグループの男性ピアニストとは一緒に
演奏できないと、事実上、追いやった。もう一人の
男性ピアニストも、もう少しで追いやられそうになっている。
わたしには、コンサートの後に彼女からメッセージがきた。
「今年一年ありがとう。
あなたと一緒に働けることは私にとって喜びです。」
たくさんのハートマーク入りだった。
喜んでいただけて良かったとは思う。
そう思う反面、わたしが伴奏できなくなるとしたら
視力に問題が出てきた時だ。
目が見えにくくなって、変なことをしだすと、
彼女からは追いやられるだろう。
現場は厳しい。
 
とにもかくにも、この指揮者とは、心底嫌いあうか、
気が合うかどちらかだと
初めから思っていた。
今は、わたしは彼女の率直なところが
気に入っているし、気が合うほうでよかった。