ふってきたソロ練習のアイデア・衣替え・繕い物・階段 | 音楽すること・生きること

音楽すること・生きること

フランスに住んでいます。結婚、出産、国を超えての度重なる引っ越しを経てフランスに在住、長男が小学校5年生の時から仕事を
再開。その1年後にジャズピアノを始めました。
音楽・その他、日々の出来事を綴っています。

あれこれ、勉強やうちのことをしようと思うと、

外出しないまま一日が過ぎる。

昨日は、体調が悪かったが、

今日は頭痛は消え去り、お天気もいい。

運動不足の解消にもなるし、お昼ごろに外出した。

お砂糖抜きのシリアルを買って、ついでに、

プリンターの使い切ったインクをリサイクルしてきた。

 

昨日、何か書き忘れたと思ったのは、衣替えを

したことだった。

服はクローゼットにかけているものとドアに、

フックをつけて吊り下げてある服と

たたんでタンスにしまってある服がある。

タンスの中の方を衣替えした。と言っても、

たいそうなことではなく、前面にある服の中から、

厚めの服、タートルネックの毛糸のセーター関係を

後ろ側の2列に置き、季節的に

もうすぐ着れそうな服が後列にあると、

前列に出す、それだけのシンプルなことだ。

 

朝起きて、朝ごはんを食べようとした時に、

今日はBrigas Nunca Maisのコントラバスの耳コピより、

ソロのために何かした方がいいのではないかと

言う内なる声が聞こえてきた。

今まで、困ったことがあった。

要素として、耳コピした物を使うことはできるけれど、

クラシック歴が長いわたしには、

耳コピした物が「一つの完成した曲」になって、2

回目弾いても、3回目弾いても

おそらく百回弾いても同じものを弾くと言っても、

言い過ぎではないということが数年前に起こった。

前にジャズピアニストについていた時のことだ。

「まだ、分かっていないのか。」

と落胆されたことがある。その時は、アドバイスはなく、

ず~んと、『わたしはまだわかっていない。』が

自分の中で絶え間なくこだまする、真っ暗な中で

どうしたらいいかわからない状態だった。

それで、ソロは、いつかはやり方が分かる日が来る

だろうくらいに考えて、今に至る。

一曲くらいなら弾く当日に6時間くらいかけると、

グループの授業の

担当のジャズピアニストになかなかいいと言ってもらえる

ソロが一応弾けるようになったのが、1・2年前だ。

朝、突然一つのアイデアが降ってわいた。いつも同じに

ならないために、アイデアを一瞥できる方法だ。

水平方向に考えていくと、譜面に書いたとしても

書かないでアイデアを覚えたとしても、

わたしには丸覚えになる。でも、

水平方向と同時に、垂直に同じコードで、あうフレーズを

ビッグバンドの楽譜を書く時みたいに書いていくと、

たとえば、コーディネートで紺色Tシャツでなければ

ここのところは

いけないんでなくて、オレンジのTシャツに変えても

別のイメージ=コミュニケーションができて、

面白いという、柔軟な方向に行くのではないかということだ。

そうすれば、数年前に自分がしていたように、

いつも同じソロを弾くか、そこを忘れたら、後は、

もう絶体絶命の、賭けみたいなソロから

脱却できるかもしれない。今は、プロのジャズピアニストに

個人レッスンを受けていないので

自分で楽しみながら、いろいろトライするのもありかと。

やってみるね、朝のインスピレーション。

 

さて、きのう、ある方の記事を拝見していたのだが、

急に、「階段」の危険さが自分の中で

クローズアップされてきた。

「階段」は危ないんだと。自分を含めて、

一般の人の日常は、危機に対する自覚が薄いのかもしれない。

平地を歩くのも、坂を上るのも、階段を上るのも、

階段を下りるのも、プールで泳ぐのも、

人間の手が入って整っている場所は、安全であるような

「気」がしている。

そもそもそれが間違っているのではないだろうか。

錯覚の中で生活しているようなものではないだろうか。

 

わたしが小学校の頃、クラスメートの同居していた

おじいさんが階段から落ちて亡くなった。お葬式で

大人達が、打ち所が悪かったと話しているのが聞こえた。

知人のご主人も、高齢ではあったが、

階段でこけてから、腰が悪くなり、体が弱くなったと

聞いたことがある。

そう言う自分も、職場の階段を上る時に急いでいて、

ワイドパンツのすそに、もう一方の足が入って

つんのめってこけそうだったことが一度、

もう一度はコーラスのコンサートの前に、これも急いでいて、

職場の階段の踊り場でこけて手を打った。手首に損傷がなく

コンサートに支障が出なかったので助かった。

わたしが幼かった時、普段は、階段では年の離れた兄が後ろから

何かあった時の為についてくれていたそうだが、

それでも事故はあった。階段の途中からの事も、

また、階段のてっぺんの方からのこともあるが、

わたしは数回、階段から落ちたことをはっきり覚えている。

このままいくと、下に置いてある、当時は黒い電話だったが、

それにぶつかるかもしれないと思ったことまで

覚えている。おかげさまで、おそらくタンコブくらいは

できたと思うがそれ以上の怪我がなかったことは

実は不幸中の幸いだったのだ。

 

階段の話しからはそれるが、危険な場所と言う意味では、

こども達が小さい時に、危険マップと言うものについて

話し合ったことがある。主に登下校などで通る道について

危ないところはどこかを話し合ったのだ。

危ないところはどこか、なぜ危ないのか、

何に気をつければいいのか、そんな事を話し合った。

小さいこどもさんや、お孫さんのいらっしゃる方は、

そういう危険マップについて、話し合うのもいいだろう。

最後に、みんな、階段には気をつけましょう。

pianomanさん、怪我の治療の計画性が、また回復力が

素晴らしいと思いながら記事を拝見しております。