この頃 忙しくてなかなか思うようにピアノを練習する時間が取れない。
うちは、リビングに こどもの練習用に買った小さい学習用のアップライト
ピアノがある。、フランスでわたしが使っているピアノはこの学習用の
ピアノだ。ここには、コンピューターもあり、DVDはリビングで観ることに
なっている。大きなテーブルは、長男がバイオリンを練習する時は
楽譜置き場やバイオリンケース置き場になり、宿題をする時もある。
わたしがもっぱらみんなが出はらっている時に仕事の準備をするのも、
この大きいテーブルの上だ。
リビングは多目的に使用される。
わたしが帰宅した時、ちょうど次男が映画を観ようとしていた。
次男に頼んだ。「ママね、ピアノ練習するから20分したら、映画観るの、
途中で、やめてね。」次男は素直に、承諾した。
うちはマンションなので、わたしのように大きい音を出す者は
弱音装置をつけて、夜7時までを練習時間と自分で決めている。もちろん
近所の人と問題を起こさないためにだ。時間がきて、リビングは
わたしのピアノ練習室になった。ちなみに、フランス語を学ぶまで
知らなかったが、リビングルームのことを、フランス語では、「サロン」と
言う。ショパンは、サロンでよくコンサートを開いたと言われるのをきいて、
サロンは大きい、ゴージャスな部屋のことだと思っている人が
いるかもしれない。コンサートを開くぐらいだから、多くの人を
招くことができる「サロン」はある程度の広さがあることだろう。
でも、日本語の、「居間」が単にフランス語の「サロン」にあたることは
知っておいてもいいだろう。
わたしに残された練習時間はあと30分しかなかった。
「!」ピアノを弾いていると、振動を感じた。
ピアノを弾いているときは、その時々によって、指先から
いろんな違ったインフォーメーションを受け取ることがある。
バッハのパイプオルガンの編曲ものを弾いている時に、鍵盤が
手の中に入って軽くなってパイプオルガンの鍵ように感じたり、
音のつながり、響き方も そう感じたりすることがあった。
今日は、シューマンの曲を弾いている時、弦楽器の弦のような振動を
感じた。ピアノの本体の中に張られた弦が振動しているのを、もろに
感じた。弦が、振動している。振動の幅、振幅があるので、静物のように、
鮮明には目に止まらない たえず運動、震え続けている弦の動きが、
目に見えるかのようだった。
おもしろく感じて、震える弦の感じに集中して、同時に「音」に耳を
傾けながら続けて弾いていた。「これだ!」
世界的に有名なピアニストだが、何度きいても、音が汚いと感じる
ピアニストがひとりいる。音を聴いていると、「苦い」イメージを受ける。
あの人は、もしかしたら、この振動の感覚をまだ発見していないのかも
しれない。
この振動は、ピアノを弾く人の体が、具体的には筋肉が緊張している時、
振幅が小さくなり、あまり美しく響かないように弾きながら感じた。ぽんと
鳴らしたあとに、すぐ脱力する。のばさないといけない音がある時は、
鍵盤が完全に上がってしまわないように押さえている必要があるけれど、
最低限の緊張で指を「置いておく」ようにするといい。わたしは、ピアノには
限界があると思っていたことがある。メロディを弦楽器のようにレガートで
歌わせることだ。減衰していくピアノの音では限界を感じていた。でも、
弦楽器のようにのびやかに響かせることができる!と感じた瞬間が何度も
あった。
ピアノの弦を開放させて音楽をつむいでいくと、とても魅力的な自由自在に
呼吸する音楽になると感じた。
電話が二度かかってきた。限られた30分。わたしはピアノを弾きながら、
いあわせた夫に言った。「今は電話に出られないから。わたしへの電話
だったらあと5分後に電話すると伝えておいて!」
夫が出た電話の一番目は、毎年恒例の 知人宅でのf ête de la musique
へのご招待の電話だった。
時間がない。なんとか、それまでに曲を用意するしかない。毎日弾けるように
努力しよう。
二度目の電話は、生徒のお母さんからだった。グランドピアノを買いたいと
思っているのですが、アドバイスをお願いしますと言うことだった。
これで、あの子も、電子ピアノだけでなく、本物の弦の振動が手に伝わる
ピアノが弾けるようになるかもしれないと思った。ピアノを手に入れるのは
早ければ早い方がいいと思った。
教えているわたしが、800ユーロで買ったこどもの学習用ピアノで練習
していると知ったらがっかりするだろうなあと苦笑した。でも、現実って
そんなもんだ。外国で身よりもない一代目の外国人カップルだ。それも、
夫が固定職のポストを見つけたのは次男が生まれてから、わたしは
夫がこどもをみれる週末に、たまに頼まれて日本語を教えていただけの
ほとんど専業主婦という状態だった。そんなカップルが、お城を購入できる
わけはない。
夕食後、また電話があった。中国人の中国語の先生からだった。
車を新しく購入したそうだ。
うちの車、22年前に生産された ぼこぼこにへっこんだ車を見て、電話を
してきてくれたらしい。その人が前に乗っていた車を、安く売るけど、興味が
ありますかという話だった。その車も、生産されてから15年たっている。
彼女いわく、「はっきり言わしてもらって悪いけど、やんぱっぱとこの車
見たら、この話、よく考えた方がいいと思う。うちの車のほうが、ずっと、
快適に違いない。」あんまり中国語の先生がはっきり言うので 電話口で
おかしくなって笑ってしまった。
わたしも、自分の実生活にこんなことが起こりえるのかなと思うような目に
たくさんあってきた。たとえば車。夫は、車を絶対洗わない。車中のそうじも
しない。あるものを、そのまま使い、モーターが動かなくなるまで使いきる、
そんな考え方だ。運転席のシート部分ががいつしか破れた。わたしが
縫っても縫っても破れてくるので今はそのままになっている。夫は、
これでも何とも思っていない。ダッシュボードにも亀裂が入っている。
ドアは、夫が急いでいる時に、前に住んでいたマンションの柱に勢いよく
ぶつけて、大きくへっこんでいる。
夫は出かける前の気がせいている時には、想像もつかないことをする。
車でわたしの足に乗り上げたこともある。幸いにも低いヒールの少し
大きめのサンダルだったので、足をずらすと、タイヤの下から足が抜け、
サンダルだけが轢かれた格好になって大事には至らなかった。うちの
こども達も、一度ずつ、夫が車のドアを閉めるとき、ドアに指を挟まれている。
そんな時、何もなかったように平静な顔をしている夫の態度が信じられない。
ふと思ったことが何度もある。ちょっと前まで 夫は指図しまくり人間で、
気に入らないことがあると、限度を超えた怒りをぶちまけていた。
わたしも この自動車みたいに、全然見た目もかまうことができずに
モーターが擦り切れるまで夫の軍隊式命令のままにに働かされ、車が
廃車になるまで使われるようにして この外国で死んでいくのだろうかと。
わたしが、こういう車に乗って、サバイバルに右往左往するような生活を
送るようになるとは思わなかった。仕事の足として必要で、現在、車には
感謝して乗っている。今や、わたしの戦友ともいえる。小雨の日に
ウェットティッシュで車のボディを根性で磨き上げた。わたしの仕事が続けば、
自分の車だって、いつかは買えるようになるだろう。でも 日本の実家に
置いてもらっているグランドピアノが入る一軒家に住むのは夢に近い、かな。
でも、希望は捨てていない。
本当に必要な時になったら、何でも実現することが多いから。