こんにちは!Scoti-manです。

ここは、クルセイダーキングス3(Crusader Kings 3 通称「CK3」)の実績解除チャレンジのコーナーです。

(Version:1.8.1 DLC: Royal Court, Northern Lords)

 

前回に引き続き、「狐のような狡猾さ」のチャレンジ達成に向けて頑張ります。

まずは4代目となったゲルベルトのステータスチェックから。

 

5科目のうち、策謀が25でダントツ。教育特性が策謀(最高のレベル4)であることも大きい。管理は15でこれもかなり良好。他は外交4、軍事8、学識8と並以下。父であるロバート2世とはほぼ逆のタイプ。

先天特性で「明敏(Quick)」「剛健(Hale)」も持っているのはGood。既に巡礼者特性があるが、姦通経験もあり。たぶんそれが原因で、王妃に強フックを取られてしまっている。

性格は「頑固(Stubborn)」「非情(Callous)」「内気(Shy)」なので

 

頭が固くて人付き合いが苦手。自分の世界に籠っている。そんな彼の世界は、非情に満ち溢れている。

 

といったところ。あまり友達にしたくないキャラだ。

 

・3つの戦争

 

ちなみに、キャラのグラフィックが十字軍になっているが、実は第2回十字軍が始まったばかりなのだ。目標はエルサレム。2回目で聖地エルサレムへの十字軍となったのは今回が初めて。

 

CK3の十字軍といえば、十字軍側もイスラム側も大軍を集結させるものの、なかなかお互いに決戦に臨もうとはせず、領土の占領・奪還をしばらく繰り返したのちに、何かの拍子で決戦となる野戦が始まり、勝った方が勝利する、というのが定番の流れなのだが、今回は違った。エルサレムに近い方であるシチリア王国軍は最初に上陸し、いつもどおりまずは周辺領土の占領を進めていたのだが、教皇領の大軍をファーティマ朝の大軍がエルサレム付近で野戦に突入。付近にいた十字軍・イスラム軍も続々と野戦に参加し始めたので、シチリア王国軍も慌てて参戦。かなり遅れて参戦となったが、この野戦は十字軍の勝利で戦勝点43%を獲得。しかも、シチリア王国が勲功第一位になった(笑)最終的に十字軍は約38,000、イスラム軍は約21,000が参戦し、損害は十字軍が9,350、イスラム軍が7,064と、十字軍の方が多くの被害を出しながらも、数の優位を活かして勝利した、という結果。

その後、これより規模の小さい野戦が数回あったものの、十字軍優勢は変わらずに勝利。第一回に引き続き勲功第一とオートヴィル朝シチリアを国王とする「エルサレム王国」が誕生した。

 

これだけ書けば、かなり順風満帆に聞こえるのだが、この時のScoti-manはかなり焦っていた。なぜかというと、最初の野戦が行われた時、征服したばかりのイベリア半島で兵数約15,000にもなるアンダルシア文化民衆の大反乱が勃発していたからだ。

 

↓1146年2月 アンダルシア文化民衆の大規模反乱勃発間もない頃の状況

 

この時、シチリア王国軍はほぼ全軍で十字軍に行っていたので、対応できる軍がいない(汗)。十字軍が戻ってくるまでに主要拠点を攻略されてしまったら敗北になる可能性が高い。いよいよ、オートヴィル朝の全力を出す時が来た

ポメラニア王国をはじめとする、ヨーロッパのオートヴィル朝勢力全部に援軍を求めて、その数約10,000。やや足りないが、十字軍が戻ってくるまで時間稼ぎをしてもらえれば十分だ。

そういうわけだったなので、第2回十字軍大成功の余韻に浸ることもできず、シチリア王国軍は全軍で船に乗り込みイベリア半島へ。最終的には、ポメラニア王国軍を主力とするオートヴィル朝の援軍が野戦で反乱軍を打ち破り、しかも反乱首謀者を捕らえたのでその時点で勝利となった。1146年11月のことである。

 

これでようやく一息つける・・・と思ったのだが、まだ課題は残されていた。それは、王位継承の前にゲルベルトが引き受けていた「フィンランド異教徒への聖戦」の援軍である。

これには説明が必要だろう。ゲルベルトの王妃はノルウェー王の娘なので、二人は同盟を結んでいた。ノルウェー王がフィンランドの公爵級の異教徒に聖戦を挑んだので、ゲルベルトはそれに援軍を送る約束をしていたのである。しかも、目標がスカンジナビア半島の北部で、めっちゃ遠い。。

 

↓青で囲んだエリアがシチリア王国領。目標は赤で囲んだエリア。

 

こんな遠いところまで援軍に行くなんて約束すんなよ、と言いたいが、CK3では遠路はるばるの援軍はそこまで珍しくない

このまま放置するのも一手だが、今後を考えるとノルウェーとの同盟は継続したかったので、シチリア軍約4,000とホスピタル騎士団約5,000を送り込んでケリをつけることにした。十分な軍を送り込めば、スカンジナビアの異教徒など簡単に蹴散らせる。1148年5月、敵首都を陥落させ、ノルウェー勝利で聖戦は終結した。

ゲルベルトの王位継承から約3年で、ようやく3つの戦争は終結したのであった。

 

 

・聖地サンティエゴ

↑1150年時点の状況 ターゲットであるビザンツ帝国はバルカン、アルメニア方面に勢力を伸ばし、動員兵力は約20,000。シチリアはまだ約17,000なので、同盟国とオートヴィル王朝諸国の援軍を集めることができればなんとか勝てるか(正教を信仰しているビザンツ相手では、聖戦騎士団は使えない)、という状況

それにしてもビザンツ皇帝、ナイスなお髭

 

シチリア王国はかなり強大な国になったが、ライバルであるビザンツ帝国も着実に領土を拡大して力をつけている。また、西欧では神聖ローマ帝国が強大。イングランドは分裂してしまっている。

そこで、ビザンツ帝国との対決は後回しにし、まずはイベリア半島を制覇してヒスアパニア帝国を建国することを次の目標にすることにした。

最初目標は、ガリシア王国領であるサンティエゴ伯爵領。サンティエゴはカトリックの聖地の一つなので、ここを支配下に組み込めば大きな決断「聖別された血統」のボーナスを受けるのに大きく前進することになるからだ。サンティエゴ伯爵領の請求権を捏造し、宣戦布告。ガリシア王国は隣のカスティリャ王国などと同盟していたので、同盟国も合わせた総兵力は約20,000。シチリア単独ではあまり勝てそうにないので、ノルウェーやポメラニア、建国されたばかりのエルサレム王国など、動員できるものは全部動員して総勢33,000の軍で侵攻開始。

この戦いも十字軍のような緊張感があった。敵領土の占領を薦める一方で、お互いの主力が少しでも条件のいい戦場を取れるように、駆け引きし移動を繰り返す。最後は、ガリシア勢がシチリア領を占領しにかかったところで、シチリア王国軍全軍と同盟軍の一部が野戦を挑んで勝利。その後は、数回の野戦と占領地の拡大で1152年10月にシチリア王国の勝利となった。

 

↓新たに獲得したサンティエゴ伯爵領。ここに「サンティエゴ大聖堂」を建築可能。効果も高いので、直轄領にしたい伯爵領上位に入ること間違いなし。

 

さらに朗報。カスティリャ王国では高齢だった国王が死去し、カスティリャ王国とレオン王国に分裂。イベリア半島統一がやりやすくなってきた。ただ、カトリック同士の戦争なので、聖戦とかで一気に領土を分捕ることができないのが残念。

 

・対ビザンツ戦の始まり

 

1152年、ビザンツ皇帝が死去し、後継者となったのはわずか4才の幼児。幼君が即位した場合、かなりの確率で内戦が発生する。これはチャンスだ。司教にはペロポネソス半島北東部のアカイア伯爵領への請求権捏造を指示。内戦が発生しなくても、幼帝のために動員可能兵力はシチリア王国を大幅に下回っているので、十分勝てるだろう。

↓それから3年後の1155年、予想通りビザンツ帝国は内戦反乱祭り状態に。

 

このチャンスを逃すわけにはいかない。早速、捏造した請求権を使ってビザンツ帝国に宣戦布告。念のため、同盟国と王朝メンバーにも援軍を送ってもらい、シチリア軍はギリシアの地に上陸した。この侵攻戦の途中で、ビザンツ帝国の内戦は幼帝側の敗北で決着し、替わって40代くらいの男が皇帝に即位したが、戦況に大きな影響はなく、周辺の伯爵領を占領して決着。

ようやく、最終目標の領土の一つを切り取ることに成功した。

↑ペロポネソス半島北西部 アカイア伯爵領。

 

ちなみに、このあたりは古代ギリシアの遺跡がたくさんあるはずなのだが、CK3では特殊建築物は一切配置されていない。

 

ともあれ、この勝利で現在のシチリア王国でもビザンツ帝国に勝てることがわかった。それなら、最終目標達成のためにビザンツ帝国との戦いを続けよう。イベリア半島統一は戦後の休戦期間中に進める。

1164年、アカイア伯爵領の南のメッセニア伯爵領の請求権を捏造し、再びビザンツ帝国に宣戦布告。今回も念のため総動員してシチリア勢は56,000。対するビザンツ勢は同盟国からの援軍を加えて28,000と半分程度。ビザンツの同盟国に、オートヴィル朝のエルサレム王国が入ってしまったのは実に残念。というか、同じ王朝なんだからこっちにつこうぜ、エルサレム王。

 

狭いギリシア半島に大軍がひしめく状況だったが、軍を8つくらいにわけて補給に問題が生じないように気を付けながら敵領地の占領を進め、最後はテッサロニカの平地でビザンツ全軍28,000とシチリア軍約40,000が激突。ビザンツ軍は補給が切れていて士気が落ちていたこともあり、難なく撃破してメッセニア請求戦争もシチリアの勝利で幕を閉じた。これで2つ目。

 

・転機

 

メッセニア請求戦争の停戦期間中、ゲルベルトは策略型のキャラなのに何も策を弄していないことに気づいた。よし、ここはひとつビザンツ皇帝の暗殺を試してみよう。

ビザンツ皇帝暗殺の策略を開始すると、すぐに協力者2人が加入。さらに、ビザンツ皇帝と仲が悪い女公爵に強フックを持っていたので、フックを使って女公爵も協力者に。この女公爵、ビザンツ皇帝と仲が悪いだけでなく策謀が高かった( ̄ー ̄)ニヤリ

そんなこんなで暗殺計画は順調に進み、1170年、ビザンツ皇帝・マニュエルが暗殺された。

 

新たにビザンツ皇帝となったのは10歳の少年。幼帝の即位でビザンツ帝国の動員可能兵力は約20,000から14,000に減少。これなら、シチリア単独でも勝てる数字だ。早速、コリントス伯爵領の請求権を使ってコリントス伯爵領請求戦争を開戦。

戦争は始終シチリア優勢で進んだ。途中でビザンツ皇帝が成人男性に代わったのだが、戦況に影響無し。それどころか、ビザンツ軍がペロポネソス半島の西にあるケファロニア島で2000程度の軍を招集し始めた。しかし何かあったのか、兵力が2000程度止まってしまっていた。よほど遠くから来る兵を待っているのだろうか。招集途中の軍隊は大きな戦力ペナルティを受けるので、招集途中の軍隊を襲うのはとても有効な戦術だ。シチリア軍の一部を回してこの軍を攻撃したところ、なんと即位したばかりのビザンツ皇帝を捕縛することに成功。

この時点でコリントス伯爵領請求戦争は勝利できるのだが、「非情」キャラのゲルベルトなので、捕らえたビザンツ皇帝を処刑。

↑即位後、間もなく戦場で捕えられ斬られたKasjan帝

 

コリントス伯爵領請求戦争もその後間もなくシチリア勝利で終結した。

 

それからしばらくした後、ビザンツ帝国に異変が起きた。

↑ビザンツ帝国分裂 というか帝国が消滅した

 

何が起きたのか、未だによくわかっていないのだが、最後のビザンツ皇帝は「ビザンツ皇帝」の称号を廃止。これによって帝国は消滅し、中小貴族の諸侯が林立する群雄割拠の分裂状態になったのである。

諸侯らは皇帝がいなくなって自由を謳歌したかもしれないが、外敵であるシチリアから見れば絶好のカモである。圧倒的な軍事力にモノを言わせて、中小貴族らから領土を分捕り放題だ。これで、チャレンジ達成はもう時間の問題となった。

 

余裕もできたので、ここで今までやったことが無かった大きな決断の一つである「新帝国の建国」を実行。

 

通常は、それぞれの地域に慣習的領土を持つ帝国の80%以上を領有することで、帝国を建国するのだが、どの君主でも上の条件を満たせばオリジナルの帝国を作ることができる。金1200もかかるので、普段はあまり使う必要もないのだが、今回はいまだに「シチリア王国」なので、ここで帝国化することに。新国家は「シチリア帝国」となった。

 

1182年10月、ビザンツ帝国を消滅に追い込んだゲルベルト帝が74才でついに死去。

後継者は長男のロバートとなった。新しい時代の幕開けであると同時に、「狐のような狡猾さ」チャレンジもそろそろ達成である。

 

 

ー 続く ー