こんばんは!えりなです😊
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『奇蹟の日本史 (小名木善行 著)』より
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江戸時代は小作農のほとんどが
読み書きができました。
それも今の世の中みたいな
活字なんてありません。
草書や行書で書かれていて
ふりがななど振られていない文書です。
それを、ほとんどの農民が
ちゃんと読み書きできたのです。
もしかすると、今どきの学者さんたちよりも
よほど優秀だったかもしれない。
そしてそれだけの素養があったからこそ
民衆の民度が高く
物事の善悪をよく承知し
士農工商という身分制度を
誰も階級闘争社会などとは考えていず
みんなが生活共同体の中のメンバーであって
そのなかにおける社会的役割分担としての
身分制という概念を
「みんなで渡るべき秩序」と
考えていたわけです。
このことは平安、鎌倉の昔から
絶えず変わらない日本社会の態様です。
結局のところ、良い世の中というのは
まさに学問や教養によってもたらされる
民度の高い社会でなければ実現できない
ということなのではないかという気がします。
これは福沢諭吉が「学問のすすめ」の中で
書いている通りです。
『およそ世の中に無知文盲の民ほど
憐れみ憎むべきものはない。
知恵のない者は、恥さえも知らない。
自分が馬鹿で貧窮に陥れば
自分の非を認めるのではなく
富める人を怨み
徒党を組んで乱暴をはたらく。
恥を知らないと言おうか。
法を恐れないと言おうか。
(中略)
こういう愚民を支配するには
とてもじゃないが
道理をもって論そうとしても
無駄なことなので
ただ威(い)をもっておどすしかない。
西洋のことわざに
愚民の上に苛(から)き政府あり
とはこのことである。
これは政府の問題ではない。
愚民がみずから招くわざわいである。』
ここでいう学問というのは
単に知識の詰め込みや学問のためにする
学問のことではありません。
高い道徳心を養い物事の正邪をわきまえ
秩序正しい世の中を築こうという
積極的な意思を養成する学問です。
思うに戦後の教育が陥った陥穽(かんせい)が
まさにここにあるのではないかと思います。
学問は、クイズの問題をいちはやく
答えるためのものではありません。
考える力、先を読む力を養い
自らを律して正しく生きるためのものです。
つまり身を修めることが学問の要です。
江戸の身分制は流動的で
農民や町民が武士になることも
その逆も普通にありましたが
江戸社会がひとつ守ったのは
身分を固定させた層を保持したことでした。
それが「殿様」で
殿様の身分に流動性はありません。
要するに身分を固定化し
安定した存在をおくことで
目先の利害にとらわれない
社会の安定の要としたのです。
戦前でいえば、これが貴族院で
貴族院議員は
国民の利益代表という性格を持ちません。
公・侯・伯・子・男の爵位をもった
有爵議員は選挙もありません。
そういう安定的身分があったからこそ
目先の利益にとらわれない
長期的視野に基づく政治が
可能になったのであろうと思います。
なぜならそういう仕組みがなければ
政治が目先の利益だけに流されてしまう
危険から逃れられないからです。
もちろん、身分を固定することには
危険も伴うことでしょう。
けれど衆愚政治
愚民化政治を打破するとしたら
歴史と伝統を踏まえた身分制も
あるべき必要があると
いえるのではないでしょうか。
すくなくとも、戦後の政治をみるにつけ
その印象を強くしています。
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江戸の身分制って
答えるためのものではありません。」
とありましたが
こちらのショート動画をご覧ください![]()
難解なクイズどころか一般教養さえも
