こんにちは!えりなです😊

素敵なご縁に感謝ラブラブラブラブ



一生懸命で可愛い照れ

犬のなんともいえない表情もニヤニヤ笑

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『奇蹟の日本史 (小名木善行 著)』より

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江戸時代の農民は

過酷な年貢の取り立てを受けていて

相次ぐ自然災害と凶作、飢饉で

貧困にあえいでいたというのが

いわゆる 「貧農史観」と呼ばれるものです。


教科書によっては、

「そのために農民は、むしろ旅を押し立てて

 百姓一揆や、打ちこわしをしていた」

などと書いています。


このため多くの現代日本人は

「いつでも死にそうなほど

 貧困にあえいでいた人々」

といったイメージを持っています。



しかし、もしそうであるならば

どうして村祭りができたのでしょうか。


あるいは里神楽(さとかぐら)とか

農村歌舞伎のような

祭りの際の芸能が発達できたのでしょうか。


お祭りではお神輿を担いだり

地方によっては屋台を引いたりします。


また、お正月などには

獅子舞が行われたりします。


お神輿や屋台や獅子舞の獅子は

たいてい金ピカに飾られています。


今でこそ、その飾りは

真鍮(しんちゅう)のハリボテの偽物ですが

江戸の昔に造られたものは

純金が使われていました。



純金を使わない今の御神輿でも

一台、最低でも二千万円くらいします。

江戸時代には

誰がその資金を負担したのでしょう。


村の鎮守様の建物は

耐久年数が普通に百年くらいありました。


今の建築物は二五年〜三五年で

五十年も経ったらボロボロです。


ところが古民家は

今でもあちこちにありますが

それらはいずれも二百年近く経っていて

なお健在です。


それだけの建築物を建てる費用は

どこの誰が負担したのでしょうか。



今ではすっかり住宅街になっている土地も

ほんの数十年前までは

田んぼや畑だったところです。


その土地は誰が開墾したのでしょうか。


河川の堤防も、今ある堤防の多くは

江戸時代に築かれたものです。

誰がそれを築いたのでしょうか。


江戸時代までの農民は

ほんとうに貧しかったのでしょうか。



江戸時代、伊勢神宮に参拝する人の数は

年間五百万人に達したそうです。


当時の人口が二五〇〇万人くらいです。

つまり五人に一人の割合で、全国規模で

お伊勢参りが行われていたのです。


それが毎年です。


ほかにも金毘羅参り、京都見物

温泉場での湯治なども

盛んに行われていました。


そういうことができるだけの経済力が

国民の九割を占める農家には

あったからできたのです。 



このような旅に出るときには

江戸時代の人々は

襟元に小判一両を縫い込むのが習慣でした。


小判一両は今の六万円くらいに相当します。


電気も携帯電話もなかった時代ですから

購買力からすれば

今の十万円以上のお金になります。


その小判は

もし旅先で万一のことがあったときは


地元の人にそのお金で

医療や、火葬、お骨の自宅への送付などを

してくれといういわば礼儀です。 


このようなことができる人々の

どこがどう貧農なのでしょうか。

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豊かだわ〜照れ


行きたいところに行ける幸せ


何泊もして

その土地のものを楽しめる心の余裕


100年も保つ家で

ご先祖様を感じながら

心の安定した暮らし


毎年開催されるお祭りに

当たり前に地域みんなで参加できる

コミュニティの確立



こうしてみると、すべて「人」ですね花


人との関わりを楽しめる自分ができているか

自分自身の安心を確保できているか


今の時代はきっと

自分を知って自分と向き合うところから

なのでしょうねうさぎのぬいぐるみ


表面的でなく、思い込みでもなく

本当の自分が確立していく中で


自立した「個」が引き寄せられて

強固なコミュニティができてくる


そんなふうに感じたお話でした照れ



ではバイバイ



サムネイル

歴史は、人生を豊かにするタネのひとつ🍀 

強く優しい日本人がいたことを知って… 

まだ生まれていない子孫までもが、先人に愛されていたことを知って… 

同じように悩んで変わっていった人たちを知って… 


色んな側面の日本・日本人を知ることで、できる!強くなれる!私はこれを貫くんだ!愛を選択しよう!そんな人が増えたらいいな🥰