未来の横綱を予感させる力士、尊富士 | 陸 見 の 街 散 歩

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 大相撲春場所は前頭17枚目尊富士の新入幕優勝で幕が下りました。
本場所を通じ圧倒的な内容の良さで大相撲新時代の幕が上がりました。

14日目に敗れた一番で右足を負傷し千秋楽の出場が危ぶまれました。
しかし同部屋横綱照ノ富士の直々の激励で出場を決意し大一番を制しました。

今まで新鋭話題の力士はどの時代でも次々と登場して来ました。
そしてその中には未来の大関を予感させる力士も数多くいました。

尊富士についてはそれらの力士とはちょっと違うものを感じます。
それは大関ではなく”未来の横綱を予感させる力士”という事です。

 

 

2024.3.26 追記

 同部屋横綱照ノ富士の直々の激励で出場を決意した事柄を中心に
スポニチの記事から抜粋させて頂き以下に記します。

[ 2024年3月24日 16:20 ] 尊富士 強行出場で110年ぶり新入幕V!記録ずくめの初賜杯、
所要10場所は史上最速 やったぞ!大拍手
https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2024/03/24/kiji/20240324s00005000420000c.html


 優勝インタビューで右足首の状態について、そして出場を決め、
どんな決意で土俵に上がったか聞かれ
「体的にもきつくて…。でも絶対に自分が最初の頃に15日間しっかり土俵に上がることを、
務めることが力士として(大事なこと)と思ったんで。もう本当に自分自身でも優勝を
勝ち取りたくて…はい、しっかり上がることができてホッとしています」

と笑顔交じりで語った。

 強行出場を決めた理由の一つとして
「このケガじゃ、ちゃんとした相撲を取れないと思っている人もいたと思いますけど、
ここで負けたら皆さんが15日間大阪場所に足を運んできた意味がないと思ったんで、
そこらへんは自分でしっかり考えて上がりました」
と話すと、館内から地響きのような大歓声が巻き起こった。

 支度部屋では
「気力だけだと思いました。もうやるしかないので。昨日歩けなくて駄目だと思ったけど、
横綱から“お前ならできる”と言われたのでそのおかげです。師匠からは“やめとけ”と

言われたけど、これで後悔したら一生悔いが残ると思って土俵に上がりました」と明かした。

 師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱・旭富士)は
「(負傷直後)最初はちょっと無理ですって言って来たんですが、
夜になったら1人で部屋に入ってきましてね“やっぱりやりたい”って。
痛み止め打ったり何をしてでも、この一番をやりたいんだと」
と本人から強いアピールがあったことを明かしていた。

[ 2024年3月24日 17:39 ] 尊富士「千秋楽…土俵に上がれて良かった」
照に続く目標「まさか」靭帯伸びていた…脚を引きずり表彰式に
https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2024/03/24/kiji/20240324s00005000478000c.html


 NHK「サンデースポーツ」(日曜後9・50)に中継で出演。
同じ部屋の横綱・照ノ富士からかけられた言葉を明かした。

 前日に足首をケガするアクシデントに見舞われ
「頭が真っ白になって、(千秋楽)出られないんじゃないかと思いました」。

 それでも、部屋頭で尊敬する横綱・照ノ富士からの一言に奮い立ったという。
「自分自身ではできる状態ではなかったんですが、横綱が会いに来てくださって。
『お前ならできるぞ、お前は自分で記録じゃなくて記憶に残したいんだろ。

明日出たら記憶に残るぞ』と。

横綱のおかげでこうして優勝できたと思っています」と感謝した。

[ 2024年3月24日 22:36 ] 歴史的優勝の尊富士 前日のケガで「頭真っ白」も… 
奮い立った横綱・照ノ富士の言葉明かす
https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2024/03/24/kiji/20240324s00005000694000c.html


 千秋楽から一夜明けた25日、大阪市東成区の宿舎近くにある東小橋会館で会見を行った。
14日目に右足首じん帯損傷のケガを負い、千秋楽は強行出場。
その決断に至るまでに、部屋の横綱・照ノ富士(32)から不思議な力をもらっていたことを

明かした。
救急搬送されて宿舎へ戻った夜「人の肩を使わないと歩けなくて、正直諦めていた」という。
そこへやって来た横綱から
「おまえならやれる。記録はいいから記憶に残せ。最後まで出ることがいいんだ。
負けてもいいからこのチャンスはもう戻ってこない」と諭された。

 すると「言われた瞬間スイッチが変わってしまって、

急に自分の足で歩けるようになったんです。
周りからも“大丈夫か?”みたいに驚かれて、

第二の自分がいるみたいに…自分でも怖かったです」。
横綱の言葉は、どんな薬や治療よりも効いたようだ。

 千秋楽の夜に部屋へ戻ると、尊敬してやまない横綱から
「俺の9回よりおまえの優勝の方がうれしかった」という言葉を受けた。
「それが一番うれしかった。横綱に少しでも恩返しできたなと初めて思いました」。
照ノ富士に憧れて伊勢ケ浜部屋の門を叩いてからわずか1年半、最高の恩返しを果たした。

[ 2024年3月25日 12:21 ] 尊富士が明かした歴史的優勝の裏側
「急に歩けるように…自分でも怖かった」横綱の言葉で“覚醒”
https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2024/03/25/kiji/20240325s00005000309000c.html


 千秋楽から一夜明けた25日、大阪市内で会見。千秋楽の夜、部屋の横綱・照ノ富士から

「俺の9回よりお前の優勝の方がうれしかった」と喜ばれた。
尊敬してやまない兄弟子に褒められ、ちょんまげ頭を何度も撫でてもらった。
「一番うれしかった。横綱に少しでも恩返しできたと初めて思いました」。

 ≪尊富士に聞く≫
 ―― 優勝した実感は?
 「いろんな人から連絡が来て、本当に優勝したんだなと」

 ―― 青森から駆けつけた母と支度部屋で対面した時の心境は?
 「集中していたので、誰が来るかは分かっていなかった。
会った時、相撲から離れて安心感がありました」

 ―― 母からどんな言葉をかけられた?
 「“よくやった”と。その言葉にいろんな思いが感じられました。
相撲に関しては一番の親孝行ができたかなと思います」

 ―― 優勝に加えて三賞まで総なめ。
 「まさかここまでできるとは。夢のまた夢です」

 ―― 来場所には大銀杏が結えそう?
 「それは頑張っても伸びるものじゃないので(笑い)」

[ 2024年3月26日 04:45 ] 尊富士の「横綱に恩返しできたと初めて思いました」 
憧れテル兄弟子・照ノ富士に感謝
https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2024/03/26/kiji/20240326s00005000026000c.html

 

 

2024.3.27 追記

[2024年3月27日5時0分]【若乃花の目】やっと武士が現れた!
心技体で何より「心」が強かった尊富士 歴史的優勝の要因は
https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/202403260000911.html