山口百恵さんが暮らした横須賀の街 | 陸 見 の 街 散 歩

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 横須賀を歌った曲と言えば横須賀ストーリー、歌ったのは山口百恵。


今回は山口百恵がデビュー前に暮らした横須賀の街を
ゆっくり約2時間をかけ歩いて来ました。


なお内容はネット情報に基づいておりますので、その点をお含みおき下さい。



最初は横須賀市立中央図書館です。
当時よく通っていたらしいです。
 

 



不入斗(いりやまず)中学校近くの横須賀不入斗郵便局隣にあるパン屋さんアライベーカリー

です。当時やはりよく立ち寄ったらしく、揚げソーセージ゙パンを買い求めていたそうです。
 


 

 


ひとつ買って食べてみましたが、懐かしい昭和の味がしました。
 

 

追記:その後アライベーカリーは閉店して建物も無くなっています。



横須賀市立不入斗(いりやまず)中学校です。
デビューする前の中学2年生の3学期まで通っていたそうです。
3年生からは上京して私立品川中学校(現在の品川女子学院中等部)へ転入しました。
 

 



県営鶴ヶ丘団地が見えて来ました。
小学校2年生の3学期に引越し、中学校2年生の3学期まで約6年間、
こちらで母と妹の3人で暮らしたそうです。


団地の一室でテレビ番組「スター誕生!」を観て、
そのオーディションに応募したといいます。
 

 



鶴ヶ丘二丁目バス停です。
街中や最寄駅に行く際に使用していたと思われます。
 

 



県営鶴ヶ丘団地配置図です。
2区画に計8棟建っており、どの棟の何号室に住んでいたかは判りません。
 

 



団地は高台に建っており、その四方八方に団地へ続く階段が有りました。
当時通学や買い物に使っていたかもしれません。


横須賀ストーリーの歌詞、
「急な坂道 駆けのぼったら 今も海が 見えるでしょうか ここは横須賀」
を想い出しました。


また小さな公園も有り、当時遊んでいたかもしれません。
その日は高台に心地よい風が吹き抜けていました。
 


 


 


 


 

 



県営鶴ヶ丘団地近くにある建物、当時商店か何かが入っていたかもしれません。
 

 

追記:その後この建物は壊され新たなコンビニになっています。


 

 



横須賀市立鶴久保小学校です。
小学2年生の3学期に横浜市立瀬谷小学校から転校して来たそうです。
 


 

 



さいか屋横須賀本店跡地(現駐車場)です。


1973年(昭和48年)5月20日、さいか屋の屋上ステージで地元でのお披露目として、
デビュー曲「としごろ」を家族や知人数名を前に歌ったらしいです。
その翌日がレコードデビューの日でした。
 

 



本人のナレーターで「山口百恵生い立ち 横須賀ストーリー」が観れます。

追記:動画を再生出来ないようです。


1974年(昭和49年)、ドラマ「灯のうるむ頃」への出演が印象に残っています。 
その前後「ひと夏の経験」から一気にブレークしトップに上り詰めて行きました。


1980年10月、芸能界を完全引退、以後一貫してメディアへの出演は有りません。
かなりの覚悟が有ったかと想像しますが、これからも初志貫徹されて行かれる事と思います。
自分で選択した道を後悔しないことの大切さ、それを身をもって証明する形になっています。  

 

 

 

 

 

2018.10.10 追記:「 陸 見 の 街 散 歩 」へようこそ。
本記事タイトル「 山口百恵さんが暮らした横須賀の街 」は、
当ブログ内のアクセス数第1位を続けている記事です。

 

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2021.2.8 見直し一部再追記