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しがないオッサンのしがないたわ言

前回にも書いたが原作の「片田舎のおっさん 剣聖になる」を既刊9巻まで全部読んだ。

 

正直、読むのが苦痛になってくる文章だと思う。

 

主人公ベリルの一人称で語られるのだが、それがイチイチ長い。

 

状況の描写よりもベリル自身の思考が多く、それもその時に直接的に関係ないことを語ったり。その締めが「知らんけど」だったりと、一体何を読まされているんだろうかと思う。

 

作中で王子とお姫様の婚礼のシーンがあるのだが、新郎の「誓います」から新婦の「誓います」のセリフに至るまでに4ページもベリルの思考を読まされるのはさすがにうんざりだ。実際の結婚式なら1分かからないだろう。それを4ページ、、、。いくら何でも長すぎる。

 

全てがこの調子で、肝心のバトルシーンもスピード感が全く感じられず、ベリルの思考が全てを台無しにしている といえば言い過ぎだろうか?

まあ、アクションシーンも実際には結構地味めではあるし、ベリルも剣聖と言いながら圧倒的に強いという感じでもない。

 

赤川次郎の作品はとても読みやすい、読みやすすぎて物足りないぐらいだ。

方や、こちらは本当に読みにくい。なぜにこうも読みにくいのか。

とにかく言葉を、あらゆる言葉の表現を作者が使いたがるからだろうか?

語彙はすごく多いのだが、それが表現の豊かさに繋がっておらず、言い回しもすっきりしないので、物語の進行に対してノイズになっている。

そしてセリフがすごく少ない。

ベリルは一人語りではとても流暢なのに、実際の会話はあっさりしているし、全体としてもセリフの数はかなり少ないのではないだろうか。そこはほぼセリフでの会話劇といっていいい「負けヒロインが多すぎる」とは対称的だ。

 

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そんな原作からコミカライズとアニメを考えた時、コミカライズがあそこまで原作から改変したのは原作の欠点を知りつくした上でのことではないだろうか。

 

アクションシーンの地味さ、会話の少なさ等はコミカライズでは見事に補完されている。

 

実際、人気があるのはコミカライズの方だ。

 

アニメは原作準拠でなければならない事情もあったのだろう、というかそこまで原作をないがしろにもできない。

 

人気の元の多くがコミカライズであるのは明白で、アニメを観た視聴者がこれは違うと感じるのは致し方ない。

それは制作側も初めからわかっていたことだろう。

 

今回のアニメ化で不幸だった大本は、原作から大きく改変されたコミカライズを出版社か原作者が「許可」したことだろう。

コミカライズにあたっては「売れるよう」にわかりやすく改変するのは当然で、そこが狙いだったのかもしれない。

まさに「軒先貸して母屋とられる」という現象が起きてしまったことだろう。