8月7日


 昨日の「ハタタ」だが、翻って、ホメーロスでは「ハタタ神」といえばだれあろう大神ゼウスだ。『オデュッセイアー』でも少し前に「雷を喜ぶゼウスΖεὺς τερπικέραυνος」(14-268)の詩句があった。


船出の準備や神への捧げ物に取りかかっているテーレマコスの所に、一人の男が近づいてくる。殺人を犯したために国を逃れてきた者で、予言者でもあった。名をテオクリュメノスという。彼がテーレマコスに話しかける。


「もし、そちらのお方。この地で犠牲を捧げているあなたにお会いしたので、捧げ物と神霊にかけて、そしてさらにあなた様ご自身と従っているお仲間の頭とにかけてお願いいたします。私の問に真実のところを隠さずお答え下さい。あなたはどなたで、どこからお来しですか、国はどこでご両親はどこにおいでですか」(15-260~4)

この一節には奇妙に見える点がある。 捧げ物以下の二行で、それはこうなっている。


λίσσομ᾽ ὑπὲρ θυέων καὶ δαίμονος, αὐτὰρ ἔπειτα
σ
ῆς τ᾽ αὐτοῦ κεφαλῆς καὶ ἑταίρων, οἵ τοι ἕπονται, (15-261,2)

捧げ物と神霊にかけて、そしてさらに

あなた様ご自身と従っているお仲間の頭とに掛けてお願いいたします


お願いするのに神仏にかけるのは良いとして、相手の頭に掛けるとどういうことか。もっとも「頭κεφαλῆς」は直訳でここでは「命」を意味すると思われるが、いずれにせよ自分の頭や命ならばまだしも、お願いする相手の頭や命を持ち出すのはどういう考え方なのだろう。勝手に人のものを持ち出すなと言われないのだろうか。

そういえば、『イーリアス』にも同様の例があった。

λίσσομ᾽ ὑπὲρ ψυχῆς καὶ γούνων σῶν τε τοκήων
μή με
ἔα παρὰ νηυσὶ κύνας καταδάψαι Ἀχαιῶν, (22-338,9)

そなたの魂(命)と膝とご両親とにかけてお願いする

私を船端でアカイアの犬共が食いちぎるままにしないでくれ

ヘクトールがアキレウスに、自分が討たれた後の遺体の扱いを懇願する場面だ。願いは無下にはねつけられるのだが。

これらの例に徴すると、ホメーロス世界においては願人が相手にとってかけがえのないものに掛けて願い事をする風習があったようだ。その心はなかなか理解しがたいのだが、あえて推し量ってみると、「御身がかけがえのないと思うもの、それを大事にするお気持ちを少し分けて下さらぬか」といったところだろうか。それなら分からないでもない。