8月8日


 昨日のテーマ、懇願するにあたって相手の大事なものにかけて懇願するという心性、それについて気づいたことがある。『イーリアス』最終歌の大団円の意味するところと繋がっているのではないか、と。

 最終歌で老王プリアモスはアキレウスに息子ヘクトールの遺体返還を懇願する。プリアモスはそれに先立ってヘルメイアース神からこう言う助言を得ていた。

καί μιν ὑπὲρ πατρὸς καὶ μητέρος ἠϋκόμοιο
λίσσεο κα
ὶ τέκεος, ἵνα οἱ σὺν θυμὸν ὀρίνῃς (24-466,7)

そして彼(アキレウス)に父親と髪良き母親と

息子とにかけて懇願しなさるがいい、彼の心を動かすために

その助言を受けてだろう、プリアモスはアキレウスに「お父上ぺーレウスはお国で息子の生きていることを喜び,帰国を待ち望んでおられる」といって、こう懇願する。

ἀλλ᾽ αἰδεῖο θεοὺς Ἀχιλεῦ, αὐτόν τ᾽ ἐλέησον
μνησάμενος σο
ῦ πατρός: ἐγὼ δ᾽ ἐλεεινότερός περ, (24-503,4)

どうかアキレウスよ神々を畏み、この私を哀れんで下さい

あなたのお父上を思い出されて、私はより哀れな者なのです

 するとアキレウスに父を思う気持ちが起こり、二人は一緒に涙する。プリアモスは息子ヘクトールを思い、アキレウスは父親ペーレウス(とパトロクロス)を思い泣く。涙を共にすることでアキレウスは怒りを解き、遺体返還に応じる。

 相手にとってかけがえのないものと自分にとってのかけがえのないもの、かけがえのないもの自体は別なのだが、それに対する悲しみが一つになった場面だ。


 さて、『オデュッセイアー』に戻ろう。

昨日の一節でもう一つ奇妙な点がある。昨日原文で引用した二行に続く二行だ。


ε
ἰπέ μοι εἰρομένῳ νημερτέα μηδ᾽ ἐπικεύσῃς:
τίς πόθεν ε
ἶς ἀνδρῶν; πόθι τοι πόλις ἠδὲ τοκῆες;  (15-263,4)

私の問に真実のところを隠さずお答え下さい。

あなたはどなたで、どこからお来しですか、国はどこでご両親はどこにおいでですか


 264行目は例の「誰か」の問だ。奇妙なのは、この予言者はすぐ後で分かるようにテーレマコスに助力を懇願する願人なのだが、その願人の方が「誰何」している点だ。しかも自ら先に名告った風もない。更に加うるに、「私の問に真実のところを隠さずお答え下さい」とまで言っている。立場をわきまえない無礼と言うことはないのだろうか。これは謎だ。とりあえず謎として残しておこう。詩編進行につれて何か分かることがあるかも知れない。

 そのような願人に対してテーレマコスは気分を害することもない。先のアテーネーの咎める様な口振りに対してもそうだった(本歌冒頭:8月1日の項)。彼の性格の鷹揚さなのかも知れない。

テーレマコスはその予言者を乗せ、船は一路故郷イタケーへと向かう。