9月7日
メランテウスの悪口雑言は続く。
ὃς πολλῇς φλιῇσι παραστὰς θλίψεται ὤμους,
αἰτίζων ἀκόλους, οὐκ ἄορας οὐδὲ λέβητας: (17-221、2)
そいつは沢山の戸口の柱に立ち肩を擦り付けるんだろう
刀でも鼎でもなく、パンの一切れをねだって
「肩を擦り付けるθλίψεται ὤμους」とはどういうことをいっているのだろうか。諸註、何も解説していない。戸口に立って物乞がペコペコする時、戸口の柱に肩が触れて擦れるということだろうか。確かに物乞いは戸口の中央に立つのではなく、端の柱に寄って物乞いしそうではある。今ひとつ明確ではないが、何か物乞いの仕草の実態に基づく表現であるようなリアリティーを感じる。
メランテウスはさらに、俺の小屋の番人にしてやってもいいが、といって続ける。
「しかし悪い事ばかり知っているから、仕事に精をだすことなどやりたがらないのだろうな、それより、国中腰を屈めてまわり、飽くことのない胃の腑を食わせるために食い物を乞い求める方を望むんだろう」(17-226~8)
「飽くことのない胃の腑γαστέρ᾽ ἄναλτον」が出て来た。既にオデュッセウスの口からこういう言葉が吐かれていた(4月7日の項)。
「この忌々しい胃の腑以上に厚顔無恥なものはありませんので。胃の腑は否応なしに自分のことを思えと迫るのです」(7-216,7)
「物乞い」もそうだが、それに関わる「胃袋」もこの詩編における小テーマの一つなのだろう。
季節外れだがこんな句を思い出した。
薦(こも)を着て誰人(たれひと)います花の春 芭蕉
誰人(たれひと)は「どなた様」に近いが、それ以上の尊崇の念と奥ゆかしさが込められているような気がする。乞食に身を窶した貴人、聖人の伝統は日本にもあったのだ。