客人(実はアテーネー)はテーレマコスに応えます。会食を終えてテーレマコスは客人の出身などを訊ねていたのでした。
τοιγὰρ ἐγώ τοι ταῦτα μάλ᾽ ἀτρεκέως ἀγορεύσω.
Μέντης Ἀγχιάλοιο δαΐφρονος εὔχομαι εἶναι
υἱός, ἀτὰρ Ταφίοισι φιληρέτμοισιν ἀνάσσω.
νῦν δ᾽ ὧδε ξὺν νηὶ κατήλυθον ἠδ᾽ ἑτάροισιν
πλέων ἐπὶ οἴνοπα πόντον ἐπ᾽ ἀλλοθρόους ἀνθρώπους,
ἐς Τεμέσην μετὰ χαλκόν, ἄγω δ᾽ αἴθωνα σίδηρον (1-179~84)
それでは私はそれらのことを確りとありのままに申し上げましょう。
私は心の大きなアンキアロスの子メンテースです
そして櫂に親しいタポス人達を治めています。
いまここに船と仲間達と共にやって来ました
葡萄酒色の海を渡って異国の民のところへと
テメセーに青銅を求めて、そして輝く鉄を携えてきました
179行目で客人(アテーネー)は μάλ᾽ ἀτρεκέως と言っていますが、その後に言うことは実は全くの嘘です。名前も国も、そして旅の手段も目的も全てです。
ここで語っているのは神ですので、身分を明かさないのは常套ではあります。しかしここに限らず、以降この詩篇にはこのような「嘘」を登場人物(そのほとんどはオデュッセウスですが)が語る場面が沢山出てきます。『イーリアス』ではこれほど多くの「嘘」はありません。これも『オデュッセイアー』と『イーリアス』の相違点の一つです。
184行目に
ἐς Τεμέσην μετὰ χαλκόν, ἄγω δ᾽ αἴθωνα σίδηρον
とされています。Τεμέση がどこを指すか諸説あります。前行に ἀλλοθρόους とありこの語の成り立ちは ἀλλό+θροος(音、声)ですので、異言語の国であるようです。いずれにせよホメーロス世界における交易の一端を窺わせて興味深いものがあります。
次いで客人(アテーネー)はテーレマコスの最後の問い「初めて来られたのか、父祖の代からの主客の関係 ξεῖνος でおられるか」に答えて言います。
ξεῖνοι δ᾽ ἀλλήλων πατρώιοι εὐχόμεθ᾽ εἶναι
ἐξ ἀρχῆς, ・・・ (1-187,8)
我々は父祖の代からの互いに主客の間柄です
前々からのです ・・・
そしてこう続けます。
・・・ εἴ πέρ τε γέροντ᾽ εἴρηαι ἐπελθὼν
Λαέρτην ἥρωα, τὸν οὐκέτι φασὶ πόλινδε
ἔρχεσθ᾽, ἀλλ᾽ ἀπάνευθεν ἐπ᾽ ἀγροῦ πήματα πάσχειν
γρηὶ σὺν ἀμφιπόλῳ, ἥ οἱ βρῶσίν τε πόσιν τε
παρτιθεῖ, εὖτ᾽ ἄν μιν κάματος κατὰ γυῖα λάβῃσιν
ἑρπύζοντ᾽ ἀνὰ γουνὸν ἀλωῆς οἰνοπέδοιο. (1-188~93)
・・・ もし行って老人にお尋ねになれば(そうとお分かりでしょう)
老ラーエルテース殿に。人は言っています、彼はもはや町には
来られないと、離れた田舎で苦難を蒙っていると
召使いの媼と一緒に、彼女は彼に食べ物と飲み物を
供しています、彼の脚を疲労が捉えたときに
葡萄の園の斜面を這い回って。
188行目の εἴ πέρ で導かれる節は条件節(従属節)ですが、対応する帰結節(主節)がありません。「そうしたら私の言うことが正しいとお分かりになるでしょう」等の意の節が省略されていると考えられます。このような省略は口語ではよくあります。
189行目以下五行に亘って Λαέρτης の生活の様子が語られます。『オデュッセイアー』において Λαέρτης の存在は謎の一つです。王(オデュッセウス)の父でありながらなぜ田舎にいるのか(ἀπάνευθεν ἐπ᾽ ἀγροῦ:190)、なぜこれほど苦難の生活をしているのか(πήματα πάσχειν:190、ἑρπύζοντα:193)、そしてこれは今後語られることですが、求婚者達の横暴に対し(オデュッセウス帰還までは)自ら積極的に対抗するそぶりがなく、またテーレマコスやペーネロペイアなどからも彼に助力・助言を求める動きが見られないのは何故か、等です。
この謎を含め、ラーエルテース・オデュッセウス・テーレマコスの三代に亘る物語という視点もこの詩篇を読み解く一つの切り口かもしれません。
189行目に πόλινδε、次行に ἐπ᾽ ἀγροῦ という風に πόλιςと ἀγρός が対照されています。ホメーロス世界において既にして都市と田舎の明確な区分が存在していたことが分かります。
そして客人(アテーネー)はオデュッセウスの生死について
οὐ γάρ πω τέθνηκεν ἐπὶ χθονὶ δῖος Ὀδυσσεύς,
ἀλλ᾽ ἔτι που ζωὸς κατερύκεται εὐρέι πόντῳ (1-196,7)
というのも大地で貴いオデュッセウス殿は死んではおられないからです
まだ広い海のどこかで生きて引き留められておられる
と述べます。197行目行末に Ὀδυσσεύς の名が出ています。これについて、West は
Odysseus is here named for the first time in this conversation; we have been expecting this for some time, and it surely adds emphasis to Mentes’ confident assertion
と解説しています。
158行目から始まったテーレマコスと客人(アテーネー)とのやりとりにおいて、オデュッセウスは幾たびか言及されていました。しかしそれは ἀνέρος(161)、κεῖνόν(163)、ὁ(166)、τοῦ(168)、κεῖνος(177)、μιν(194)、σὸν πατέρ(α)、τόν(195)といった具合で、常に普通名詞か代名詞によってでした。Ὀδυσσεύς と名指しされるのはここが初めてです。固有名詞の持つ力に改めて気づかされます。