さて、以降二十行ほどは宴会の準備段取りの描写です。定型的詩行がならんだ散文的叙述です。物語の進展はなく、あまり目立ちません。しかし詩篇は華々しい出来事だけで成り立っているわけではありません。食事・会食も眠りとならんで詩篇の地織りを成している重要な要素です。ここはその要素の詳細な描写となっています。
この中に多くの従者・召使い達の呼び名が出てきます。その意味を LSJ や諸註から確かめてみます。
χέρνιβα δ᾽ ἀμφίπολος προχόῳ ἐπέχευε φέρουσα (1-136)
洗手の水を女中が水差しに入れて運んできて注いだ
ἀμφίπολος(⇐ ἀμφί+πέλω動くor πολέω動き回る)
LSJ:handmaid(女中), waiting-woman(侍女)
ピエロン:άμφίπολος もやはり奴隷である、ただし他の同じ条件の召使い達よりは多少大事に扱われる。館の女の仕事の全てをこなすが、特に女主人やその娘のお伴を務める。
σῖτον δ᾽ αἰδοίη ταμίη παρέθηκε φέρουσα (1-139)
品のよい女中頭がパンを持ってきて脇に置いた
ταμίη
LSJ:housekeeper, housewife
Chantraine : ホメーロスの用例
καὶ ταμίαι παρὰ νηυσὶν ἔσαν σίτοιο δοτῆρες (『イーリアス』19-44)
にある如く、分配する男または女である。
δαιτρὸς δὲ κρειῶν πίνακας παρέθηκεν ἀείρας (1-141)
肉切り役が肉を盛った皿を取り上げて供した
δαιτρὸς(⇐ δαίω切り裂く)
LSJ : one that carves(切り分ける)and portions out, esp. meat at table,
客人歓待のために主人自ら δαιτρὸς の役を務めることもありました。オデュッセウス以下の和解使節を歓待するにあたってアキレウスは豚を自ら切り裂いていました。(『イーリアス』9-209)
κῆρυξ δ᾽ αὐτοῖσιν θάμ᾽ ἐπῴχετο οἰνοχοεύων (1-142)
伝令役が彼らに酌をしてしきりに行き来した
κῆρυξ
LSJ : herald, pursuivant(従者)
Stanford : κῆρυξ were nobly born attendants, like medieval squire, who acted as heralds or envoy in war and as attendants on their lords at sacrifice and feasts.
σῖτον δὲ δμῳαὶ παρενήνεον ἐν κανέοισιν (1-147)
女召使い達がパンを籠に積んだ
LSJ : a female slave taken in war
ピエロン: 元々は「捕らえられた女」の意、そこから「女奴隷」、すなわち自由な身であったのを戦争が隷従の境遇にした女。その点で、生まれつきの奴隷である δούλη とは異なる。
κοῦροι δὲ κρητῆρας ἐπεστέψαντο ποτοῖο (148)
若者達が混種器に酒をなみなみと注いだ
κοῦροι
LSJ : boy, lad(若者)
ピエロン: 彼らは常に自由の身でありしばしば高貴な血筋である。(王侯に仕えた)pages(近習)に比せられる。
このようにいろいろな従者・使用人達が立働いています。いずれも宴席の準備・進行に携わる存在です。彼ら・彼女らは物語の中で日常を陰で支え、目立たぬながらそれぞれ重要な役割を果たしています。
しかしほとんどの場合黒子にとどまり、物語の進捗にかかわる形で前面に姿を現すことはめったにありませんし、個性もありません。『イーリアス』ではそれは皆無です。『オデュッセイアー』では稀ながら個性を持って前面に出ることがあります。
オデュッセウスが求婚者討伐に向けた吉兆をゼウスに求めたとき、ゼウスは非力な粉引き女を通じてそれに応えたのでした(20-105~)。その他にも性悪の下女メラントーが出てきます(18-321~ ほか)。そして最後には、そのメラントーも含め、多くの悪党グループの下女達が誅殺されることになります(22-465~)。この誅殺については、下女達に対してそこまでの懲罰が必要だったのかと疑問なしとしないのですが、逆に言えばそれは下女達を、単なる黒子としてではなく登場人物扱いしていることの証左でもあります。
このように物語の進捗にかかわる形で従者・使用人が登場する点は『オデュッセイアー』の『イーリアス』とは異なる特徴のひとつです。