アテーネーの訴えは続きます。

 

Νῆσος δενδρήεσσα, θεὰ δ᾽ ἐν δώματα ναίει,

Ἄτλαντος θυγάτηρ ὀλοόφρονος, ὅς τε θαλάσσης

πάσης βένθεα οἶδεν, ἔχει δέ τε κίονας αὐτὸς

μακράς, αἳ γαῖάν τε καὶ οὐρανὸν ἀμφὶς ἔχουσιν. (1-51~4)

 木々に覆われた島、そこに女神が館を構えています

 残忍なアトラスの娘(である女神が)、アトラスは

 全ての海の深みを知っており、自分で柱を支えています

 大きな(柱を)、柱は大地と天空を隔てています

そして続けます。

τοῦ θυγάτηρ δύστηνον ὀδυρόμενον κατερύκει,

αἰεὶ δὲ μαλακοῖσι καὶ αἱμυλίοισι λόγοισιν

θέλγει, ὅπως Ἰθάκης ἐπιλήσεται:  ・・・ (1-55~7)

その娘が嘆き悲しむ不幸なる男を引き留めています

そしていつも優しく甘い言葉でもって

誑かしています、なんとかイタケーのことを忘れさせようと。 ・・・

そしてこう続けます。

・・・ αὐτὰρ Ὀδυσσεύς,

ἱέμενος καὶ καπνὸν ἀποθρῴσκοντα νοῆσαι

ἧς γαίης, θανέειν ἱμείρεται. οὐδέ νυ σοί περ

ἐντρέπεται φίλον ἦτορ, Ὀλύμπιε. οὔ νύ τ᾽ Ὀδυσσεὺς

Ἀργείων παρὰ νηυσὶ χαρίζετο ἱερὰ ῥέζων

Τροίῃ ἐν εὐρείῃ; τί νύ οἱ τόσον ὠδύσαο, Ζεῦ; (1-57~62)

・・・ しかしオデュッセウスは

せめて郷土から煙が立ち上るところを見たいと望んで

いっそ死んでしまいたいと思っています。しかしながらあなたは

心に懸けてくださらない、オリュンポスの君よ。オデュッセウスはあなたに

アルゴスの船傍で犠牲を捧げ喜ばせてくれなかったでしょうか

広いトロイアの地で。どうしてそれほどまでに彼をお厭いになるのですか

 

52行目に Ἄτλας の名が見られます。Ἄτλας がホメーロスで登場するのはここともう一箇所だけで、いずれも Ἄτλαντος θυγάτηρ の形でです。そしてここでは、その神話における役割が53行目の ἔχει 以下、ἔχει δέ τε κίονας αὐτὸς/μακράς, αἳ γαῖάν τε καὶ οὐρανὸν ἀμφὶς ἔχουσιν と語られています。Ἄτλας の名(音調上の語頭加音ἀ+支えるの意の τλάω)はその役割を端的に表現しています。

58行目の καὶ καπνὸν の καὶ について、LSJ は with words expressing a minimum, even so much as, were it but, just の語義項目でこの箇所を例文として掲げています。また、この καὶ καπνὸν ἀποθρῴσκοντα νοῆσαι の詩句についてピエロンは、admirable tableau であると称揚しています。海洋小説ならではの情景としても、またオデュッセウスの心象風景としても、たしかに admirable です。

59,60,62行目にνυが三回繰り返されています。アテーネーの問い詰める口調が出ています。

60行目 τ᾽ については二種の読みあります。次行の χαρίζετο に支配された与格 τοι とする読みと、二文をつなげる τε とする読みです。上記では前者をとりましたが、どちらもあり得ます。ただ後者の場合には、60行目の Ὀλύμπιε の後にも疑問符を付すことになります。

62行目に ὠδύσαο の語があります。この ὠδύσαο は Ὀδυσσεὺς と響き合っているのを感じます。先回りすることになりますが、第十九歌に出てくる Ὀδυσσεὺς 命名の趣旨を考え合わせると尚更です。その趣旨はオデュッセウスの母方の祖父アウトリュコスによってこう語られます。アウトリュコスが孫の名を付けるよう頼まれたときでした。

 

γαμβρὸς ἐμὸς θυγάτηρ τε, τίθεσθ᾽ ὄνομ᾽ ὅττι κεν εἴπω:

πολλοῖσιν γὰρ ἐγώ γε ὀδυσσάμενος τόδ᾽ ἱκάνω,

ἀνδράσιν ἠδὲ γυναιξὶν ἀνὰ χθόνα πουλυβότειραν:

τῷ δ᾽ Ὀδυσεὺς ὄνομ᾽ ἔστω ἐπώνυμον: ・・・ (19-406~9)

私の婿と娘よ、私が言う名を付けなさい

私はこれまで多くの者に憎まれてきた

実り豊かな大地で男や女の(多くの者に)

それ故オデュッセウスという名を付けるのが良い ・・・

 

 407行目に ὀδυσσάμενος とあるのは、狡知に長けたアウトリュコスがこれまで散々悪事を働き、それで世人から蒙った恨みのことを指しています。この経緯に基づけば Ὀδυσσεὺς は「憎まれっ子」とでもなるのでしょうか。それにしても、孫に「憎まれっ子」と名を与えるとは驚きです。怪人ともいうべきアウトリュコスの気まぐれなのかもしれません。

もっとも ὀδύσσομαι ⇒ Ὀδυσσεὺς の結びつきは民間語源説であり言語学的には根拠なしとされています。West はこう述べています。The name is clearly non-Greek, and probably non-Indo-European, and its true etymology is mysterious と。

 Ὀδυσσεὺς の名についてはこの詩篇で、オデュッセウス自身が

 

Οὖτις ἐμοί γ᾽ ὄνομα: Οὖτιν δέ με κικλήσκουσι (9-369)

私の名はΟὖτις(ダレモナシ)です、それで皆私をΟὖτινと呼んでいます

 

と述べるくだりも出てきます。『オデュッセイアー』は 多くの遊び、そしてmysterious な謎に満ちているようです。