さて、上記に続く一節です。
τῶν ἁμόθεν γε, θεά, θύγατερ Διός, εἰπὲ καὶ ἡμῖν.
ἔνθ᾽ ἄλλοι μὲν πάντες, ὅσοι φύγον αἰπὺν ὄλεθρον,
οἴκοι ἔσαν, πόλεμόν τε πεφευγότες ἠδὲ θάλασσαν: (1-10~2)
それらのどこからなりと、女神ゼウスの御娘よ、私たちにも語ってくれ。
その時、他の険しい破滅を逃れた限りの者達は皆
家にいた、戦いと海を逃れて
10行目の τῶν ἁμόθεν (それらのどこからなりと)は『イーリアス』の場合と興味深い対比を成しています。すなわち『イーリアス』の場合には
μῆνιν ἄειδε θεὰ Πηληϊάδεω Ἀχιλῆος
οὐλομένην, ἣ μυρί᾽ Ἀχαιοῖς ἄλγε᾽ ἔθηκε,
πολλὰς δ᾽ ἰφθίμους ψυχὰς Ἄϊδι προΐαψεν
ἡρώων, αὐτοὺς δὲ ἑλώρια τεῦχε κύνεσσιν
οἰωνοῖσί τε πᾶσι, Διὸς δ᾽ ἐτελείετο βουλή,
ἐξ οὗ δὴ τὰ πρῶτα διαστήτην ἐρίσαντε (『イーリアス』第一歌1~6)
怒りを歌え、女神よ、ペーレウスの子アキレウスの
おぞましい(怒りを)、その怒りはアカイア人達に苦難を与え
多くの勇敢な魂を冥界へと追いやった
英雄達の(勇敢な魂を)、一方彼ら自身(亡骸)を犬共の餌食となした
全ての鳥共の(餌食と)、そしてゼウスの意図は達せられていった
最初に両雄が抗い合って立ったその時から
『イーリアス』ではこのように歌い出しの時点を ἐξ οὗ で指定していました。今回の『オデュッセイアー』では τῶν ἁμόθεν で対照的です。もっとも『イーリアス』のἐξ οὗは(ἄειδεにではなく)直前の Διὸς δ᾽ ἐτελείετο βουλή につなげる解釈もありその場合事情は異なってきます。しかし逆に言えば、その『イーリアス』におけるἐξ οὗの解釈において、『オデュッセイアー』の τῶν ἁμόθεν は前者 ἄειδε ~ ἐξ οὗ 説を補強する要素になります。
11行目行頭のἔνθ(α) でいきなり聴衆・読者は物語の現在(トロイア陥落から十年)に導かれます。そしてここで詩人は既に μοῦσα と一体化しています。
『イーリアス』の ἐξ οὗ はトロイア出征から十年、『オデュッセイアー』の ἔνθ(α) はトロイア陥落から十年です。両詩篇の間の一致・照応そして対照・差異はそれぞれの詩篇を読み解く興味を一層掻き立てる視点です。