12月26日
ラーエルテースには目の前の男が息子だと、にわかには信じられない。オデュッセウスは証拠を示す。その一つは先に乳母による認知のところであった足の傷痕、もう一つがこれだ。
εἰ δ᾽ ἄγε τοι καὶ δένδρε᾽ ἐϋκτιμένην κατ᾽ ἀλωὴν
εἴπω, ἅ μοί ποτ᾽ ἔδωκας, ἐγὼ δ᾽ ᾔτεόν σε ἕκαστα (24-336,7)
ではさあ、よく造られた果樹園の木々のことを言いましょう
あなたがかつて下さった(木々のことを)、私はあれこれとねだったものでした
παιδνὸς ἐών, κατὰ κῆπον ἐπισπόμενος: διὰ δ᾽ αὐτῶν
ἱκνεύμεσθα, σὺ δ᾽ ὠνόμασας καὶ ἔειπες ἕκαστα. (24-338,9)
子供でしたので、園で(あなたの)後についていって、それらの間を
巡ったときに、あなたはそれぞれの木の名を言い教えてくれました
ὄγχνας μοι δῶκας τρισκαίδεκα καὶ δέκα μηλέας,
συκέας τεσσαράκοντ᾽: ・・・ (24-340,1)
梨の木を十三本下さいました、そして更に林檎の木を十本
無花果の木を四十本・・・
ラーエルテースにはその時のことがまざまざと思い出されたことだろう。「あなたはそれぞれの木の名を言い教えてくれましたσὺ δ᾽ ὠνόμασας καὶ ἔειπες ἕκαστα」、それを父親が忘れるはずもない。そして、「梨の木ὄγχνας」「林檎の木μηλέας」「無花果の木συκέας」それぞれの具体名と具体的本数列挙がとどめだ、ラーエルテースは息子に抱きつき気を失いかける。こうして父親による「認知」も果たされる。
今日の一節を読んでいると自分の少年時代が思い出されてくる。しかし仮に自分が『オデュッセイアー』の主人公だったら、何を以て息子である証明をしようか。
三歳頃の時おやじに将棋を習った。面白くて一生懸命やったのですぐに指せるようになった。あるとき「ウナッタ、ウナッタ」と私が言うので何ごとかとおやじが見たら「(歩がと金に)成って」いたのだった。その「ウナッタ」が面白かったらしく、その後会う人ごとに「うちの三歳の坊主が・・・」といって話題にしていた。そうだ、この「ウナッタ」を持ち出したらきっと「認知」してもらえるだろう。