12月25日
オデュッセウスはラーエルテースに同情の言葉を掛けた後、作り話をはじめる。自らは、誰々の倅で、どこどこの出で、船旅の途次ここに流れ着いた、かつて「ラーエルテースの息子」と名告る男に会って主客の契りを結んだことがある、彼の出航を見送って五年がたつ、等々。「あること、ないこと」というがこれは「ないこと、ないこと」だ。
ラーエルテースはそれを聞くなり、悲哀にとらわれ激しく呻く。それを見たオデュッセウスはどうなったかというと、
τοῦ δ᾽ ὠρίνετο θυμός, ἀνὰ ῥῖνας δέ οἱ ἤδη
δριμὺ μένος προὔτυψε φίλον πατέρ᾽ εἰσορόωντι. (24-318)
彼の心は揺すぶられた、鼻の奥にはもはや
鋭い力が突き上げた、我が父を見るからに
そして、父をかき抱き
κεῖνος μέν τοι ὅδ᾽ αὐτὸς ἐγώ, πάτερ, ὃν σὺ μεταλλᾷς, (24-321)
その男ですこの私自身が、父よ、あなたが訊ねておられる(その男です)
とついに名告る。流石にもう「試して」などはいられない。
「鼻の奥にはもはや/鋭い力が突き上げたἀνὰ ῥῖνας δέ οἱ ἤδη/δριμὺ μένος προὔτυψε」は印象深い表現だ。こういった身体の感覚はホメーロスの時代から不変なのだろう。
日本語に「鼻の奥がツンとした」という表現がある。これはまさしく今日の「鼻の奥に鋭い力が突き上げたἀνὰ ῥῖνας δριμὺ μένος προὔτυψε」ではないか。「鋭い力が突き上げたδριμὺ μένος προὔτυψε」のところを「ツン」とは、オノマトペーが得意な日本語ならではだ。
ところで、「鼻の奥がツンとした」はいつ頃から使われるようになったのだろう。そしてその前の古語ではどう言っていたのだろう。又、他の諸国語ではこれに類した表現はあるのだろうか。漢語に「酸鼻」の語があるが、それ以外は全く思いつかない。
感覚自体はホメーロスの時代にあったのだから人類共通なのだろう。ホメーロス以降、この感覚を諸民族がどう表現してきたか、ここら辺もいつか調べてみたい。