12月16日
その話を聞いてペーネロペイアは言う。
εἰ μὲν δὴ γῆράς γε θεοὶ τελέουσιν ἄρειον,
ἐλπωρή τοι ἔπειτα κακῶν ὑπάλυξιν ἔσεσθαι. (23-286,7)
もし神々がよりよい老年を与えて下さるのなら
苦しみを逃れる希望があるということです
ペーネロペイアは、残された「試練ἄεθλον」よりも、「安楽な老年γήρας ὕπο λιπαρῷ」(282行目)の方に耳を留めた様だ。むしろ安心する。
そうして二人は臥所を共にし、お互いのこれまでの苦労を語り合う。やがて甘き眠りが包む。
明けてオデュッセウスはテーレマコス、豚飼、牛飼を伴って父ラーエルテースの住む地へと向かう。かくて第二十三歌も終わる。
岩波書店『新フランス語入門』について前に触れた(10月17日の項)。フランス語初心者の人とこの本を読んでいて、モリエールの
L’amour est souvent un fruit du mariage.
愛はしばしば結婚の果実である
という名句に出会った。初心者氏曰く「結婚式のスピーチでつかえそうですね」。成る程そういう受け止め方もあるなと感心したのだが、それを聞いた後、次にあげられている引用句を見て初めて気づいたことがある。それはタレーランの
Voilà le commencement de la fin.
それこそ終わりの始まりだ
だった。これはナポレオンのロシアからの敗退を指しての言葉だが、モリエールの言葉の後では別の意味を帯びて見えてきた。結婚というものの持つ裏の一面だ。ひょっとしてこのテキストの著者(前田陽一・丸山熊雄)はそのように仕組んだのだろうか。いずれにせよ、結婚式のスピーチでは間違ってもタレーランの言葉を引用しないようにせねばなるまい。