12月14日
そして二人が久しぶりの共寝をする前にオデュッセウスはこう言う。
「おお妻よ、決して全ての試練の終わりに我々は至ったわけではない、まだこれから計り知れぬ難事が控えている、多くの手強い(難事が)。その全てを私は成し遂げねばならぬのだ 」(23-249~51)
こう言って、しかし臥所に向かおうと誘う。このくだりも不思議な箇所だ。
何故、再会を果たし抱き合っている時に、こんな将来のことを言うのか。直ぐに対処すべきことならそれも分かるが、そう言った口も渇かないうちに臥所に誘うのは又何故か。
それに対する答ではないが、ペーネロペイアはこの疑問を一部共有した様子で「臥所に向かうのもいいですがその前に」と言ってこう訊ねる。
ἀλλ᾽ ἐπεὶ ἐφράσθης καί τοι θεὸς ἔμβαλε θυμῷ, (23-260)
しかし、あなたが心にかけ神が思いつかせなさったのですから
εἴπ᾽ ἄγε μοι τὸν ἄεθλον, ἐπεὶ καὶ ὄπισθεν, ὀΐω,
πεύσομαι, αὐτίκα δ᾽ ἐστὶ δαήμεναι οὔ τι χέρειον. (23-261,2)
さあその試練のことを話して下さい、というのも、私は思うのです、いずれ
知ることであれば、今うかがっても悪いことはなにもないでしょうから
これはよく分かる。こういう仄めかしを聞いて聞き流す伴侶はいないだろう。
261行目行末の「私は思うのですὀΐω」が微妙なニュアンスを伝えている。控えめでありつつ、しかし自分の考えの明確な表明だ。ペーネロペイアの人物像が窺える。
今日は赤穂浪士討ち入りの日。
ぞくぞくと蕎麦屋の二階十二月 拙作