12月12日


その時のペーネロペイアの気持ちが比喩によって語られる。


ὡς δ᾽ ὅτ᾽ ἂν ἀσπάσιος γῆ νηχομένοισι φανήῃ,
ὧν τε Ποσειδάων εὐεργέα νῆ᾽ ἐνὶ πόντῳ (23-233,4)

あたかも泳ぐ者達にとって大地が嬉しく現れる如くに

海で(乗っていた)造りよき船がポセイダーオーンによって(破壊された)その者達にとって


ἀσπάσιοι δ᾽ ἐπέβαν γαίης, κακότητα φυγόντες:
ὣς ἄρα τῇ ἀσπαστὸς ἔην πόσις εἰσοροώσῃ, (23-238,9)

彼らは嬉しくも大地を踏む、苦難を脱して

その如くに夫はそれを見る彼女にとって嬉しくあった


念願の再会を果たした夫オデュッセウスを大地にに見立てている。新鮮な比喩だ。

そしてこの大地の比喩は、単なる比喩であるにとどまらず、象徴的な意味を託されているのかも知れない。というのは、オデュッセウスはトロイア戦役に海を渡って参戦し十年戦い、その後も更に十年間海上を方々漂流し辛酸を嘗めたのだった。そのオデュッセウスをペーネロペイアが、難破船から辛うじて泳ぎ着いた者にとっての大地の如く嬉しく見る。この比喩はオデュッセウスの「海」にまつわるの受難の完全な克服を告げているものとはとれまいか。


  閂を真一文字に十二月  一諦

 こういう句は本当は縦書きにしなくてはいけない。一点の無駄もなく欠けるところもない。俳号「一諦」までが句と一体となって響いている。

 ところで今日は十二月十二日。「十二月十二日」を読み込んで一句、と思ったが出来ず。