11月30日
もう一つ残酷な場面が続く。最後に生き残っていた牛飼メランティオスの番だ。
ἐκ δὲ Μελάνθιον ἦγον ἀνὰ πρόθυρόν τε καὶ αὐλήν:
τοῦ δ᾽ ἀπὸ μὲν ῥῖνάς τε καὶ οὔατα νηλέϊ χαλκῷ (22-474,5)
メランティオスを玄関先から中庭へと引き出し
そ奴の鼻と耳を容赦ない青銅で
τάμνον, μήδεά τ᾽ ἐξέρυσαν, κυσὶν ὠμὰ δάσασθαι,
χεῖράς τ᾽ ἠδὲ πόδας κόπτον κεκοτηότι θυμῷ. (22-476,7)
切り落とし、隠し所を抉って犬に生のまま喰らわせ
両手両足を怒りのままに断ち切った
何とも凄まじい。
ところで、476行目のμήδεά(隠し所)についてFernandez-Galianoの註を読んでいたらこうあった。「起源不明の語、恐らくはμήδομαι(案ずる、慮る)やμῆδος(案、慮り)に関係がある婉曲語法。that which one should be careful to cover」と。
そうだとすれば「隠し所」はなかなかの適訳かも知れない。
血腥い場面が続いた。オデュッセウスは硫黄を燻べ館中を浄めるよう命ずる。そして第二十二歌が終わる。
『ギルガメシュ叙事詩』は『オデュッセイアー』との共通点が語られることがある。シモーヌ・ヴェイユが「『オデュッセイアー』はオリエントの詩の模倣だ」と書いたときに念頭にあったのはこの『ギルガメシュ叙事詩』だったのかも知れない。
『ギルガメシュ』を読んでいて、こんな一節に出くわした。無二の親友エンキドゥを喪った時のギルガメシュの描写だ。「そして彼はまなこを上げもせず、彼の心臓にさわったが、それは動いていなかった。そこで彼は友に花嫁であるかのように薄布を掛けた。ライオンのように声を張り上げた、子供を奪われた雌ライオンのように。彼は友の前を行ったり来たりした、毛髪を引き抜きまきちらしながら、体につけたよき品々を引き裂き投げつけながら」
これなどは『オデュッセイアー』ならぬ『イーリアス』の中にあっておかしくない詩行ではないか。