11月20日


メランティオスを「嘲りながらἐπικερτομέων」豚飼は言う。


νῦν μὲν δὴ μάλα πάγχυ, Μελάνθιε, νύκτα φυλάξεις,
ε
ὐνῇ ἔνι μαλακῇ καταλέγμενος, ὥς σε ἔοικεν: (22-195,6)

さあこうして夜中中見張りをするがいいさ、メランティオスよ

柔らかい臥所にお前に相応しく寝てな


οὐδέ σέ γ᾽ ἠριγένεια παρ᾽ Ὠκεανοῖο ῥοάων
λήσει
ἐπερχομένη χρυσόθρονος, ἡνίκ᾽ ἀγινεῖς (22-197,8)

そうすりゃあオーケアノスの流れから昇る暁を

金の台座の(暁の)お出ましを見逃すこともあるまいて、その時には


αἶγας μνηστήρεσσι δόμον κάτα δαῖτα πένεσθαι. (22-199)

求婚者達のいる家に食事準備にと山羊を連れて行くんだもんな


「柔らかい臥所εὐνῇ μαλακῇ」とはその通りだ。梁から宙づりにされているのだから、これ以上に柔らかい臥所はあるまい。後半は求婚者達に擦り寄っていた山羊飼の態度を当てこすっている。

 上記引用詩行に先立って「嘲りながらἐπικερτομέων」の表現があった。ホメーロスには皮肉嘲笑、罵詈雑言がよく出てくる。それが好きだったし得意だったようだ。両詩編の登場人物や神々は単純素朴では決してない。彼らの皮肉嘲笑、罵詈雑言は毒も含むが機知もあり、実に生彩に富んでいる。「皮肉嘲笑、罵詈雑言から見たホメーロス」、そんな考察はきっと面白いだろうと改めて思う。


 今日は嬉しいことがあった。志ん朝落語のビデオディスクが送られてきたのだ。全五十二席。送ってくれたのは先日一緒に食事をした人で、その時ふとしたことから落語の話題になり、私が「志ん朝はいい」と言ったら、相手も私以上の大ファンで意気投合したのだった。それでその人が持っているビデオディスクをコピーしてくれることになったわけだ。

 志ん朝は亡くなってもう十年くらいになるだろうか。残念ながら寄席で生で聴いたのは一回だけ、「芝浜」だった。このような話芸は一代限りだ。しかしその芸風はこのようなビデオで偲ぶことが出来る。