11月10日


さてオデュッセウスは弓を取る。


・・・ ὁ δ᾽ ἤδη τόξον ἐνώμα
πάντη
ἀναστρωφῶν, πειρώμενος ἔνθα καὶ ἔνθα, (21-393,4)

・・・ 彼は今しも弓を手にした

四方に振り回しつつ、あちらこちらを検分しつつ


μὴ κέρα ἶπες ἔδοιεν ἀποιχομένοιο ἄνακτος. (21-395)
主人がいない間に角(弓)を虫が食っていはしないかと


「四方に振り回しつつ、あちらこちらを検分しつつπάντη ἀναστρωφῶν, πειρώμενος ἔνθα καὶ ἔνθα」、この慣れた手捌きはかつて使い慣らした弓ならではだろう。行頭の「四方にπάντη」と行末の「あちらこちらをἔνθα καὶ ἔνθα」が呼応している。

「虫が食っていはしないか」、これも愛用の武器ならではだ。


「斧」の字を漢和辞典で調べると、その解字はこうなっている。

「形声。斤+父。斤は曲がった柄のおのの象形。音符の父は、むち・おのなどを手にした形」(『漢語林』大修館)

 なるほど、言われてみると斤も父もそのような形に見えてくる。と思う一方、腑に落ちないところもある。音符は発音を示すものであり、意味は示さないのではないか。父がむちの意を含んでいるのであれば、父は意符ではないか。しかし、父(フ)が斧(フ)の音を決定しているのも事実なので、意符を兼ねた音符ということなのだろうか。漢字学に詳しい人に訊いてみたい。